読売新聞 1998年9月19日より転載

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現役時代の技術生かす 定年後のボランティア

障害者をプログラマーに育成

定年後の第二の人生。「現役時代とは違った生き方を」と願う人は多い。未知の分野に挑戦するのは1つの選択だが、それがすべてではない。「会社のため、生活のため」と培った経験や技術を、新しい世界で活用する道もある。

障害を持つ人たちの就労を支援する市民団体が大阪市内にある。橋口孝志さん(63)(兵庫県西宮市)はそのボランティアスタッフだ。

担当しているのは、パソコンを使ったデータベース作成講座の指導。障害を持つ人が自宅で受講できるよう、インターネット上で行っている。

在庫管理など、社の事情に応じたソフトを企業は求めている。市販のデータベースソフトを、そんなソフトに作り替える技術を身に着けてもらい、プログラマーとして独り立ちを―。講座の狙いだ。

生徒や修了生は全国にいる。課題や演習の回答、質問が昼夜を問わず電子メールで届く。朝7時から日中最低5、6回はメールを確認し、質問に答えたり課題の添削をしたりする。気が付くと夜の10時ごろになっていることが多い。「365日、休みなしです」(橋口さん)。ボランティア、というイメージとは、かなり違う生活だ。

大手企業で業務をコンピューター化するソフト開発に携わった。日本にまだコンピューターがほとんどなかった1960年代初め。80年代、パソコンが出始めると、データベース作りや音楽などを個人的に楽しんできた。

90年に退職すると、関連企業への再就職を断って小さなソフト開発会社に就職した。「第二の人生は自分中心に」。コンピューターを使った仕事を本格的にしたかった。月給の一部とボーナスのすべてを福祉団体に寄付していた。生活は年金でできた。

クリスチャンとして、故マザー・テレサの言葉に胸を打たれたのはそのころだった。「困っている人にお金を出すことで満足することはないように」。自らに向けられているように思えた。「お金だけでなく行動も」と。

自分にできることは、と問い掛けると、答えはコンピューターを使って仕事、ボランティアだった。

さまざまな団体を回り、94年の2月、今の市民団体にめぐり合った。経験が100%生かせる、と思った。コンピューターの仕事は向き不向きがある。一定の技術を身に着けることのできる人は半数ほどだ。それでも、ここ数年で約15人が仕事ができるまでに育った。

公立高校の成績管理。貿易会社の在庫管理。多くのソフトを納入し、実績を重ねている。大手企業に在宅プログラマーとして採用された人もいる。教え子の成長ぶりを語る時、うれしそうに目を細める。

「データベースを作る、という点では、会社でしていた仕事と基本的には同じです。今は、それが人の役に立っている。満足感があります」

コンピューター技術に限らず、30年、40年と働いてきた人のほとんどは、社会の中で生かせるものを持っている、と橋口さんは言う。それを、第二の人生で実際に生かせるかどうか。

「問題は『社会からの招き』に気付くか気付かないか、でしょうね」

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