読売新聞 1998年6月13日より転載

ワーキングスタイル

在宅でプログラマー

障害持つ人に就労機会

大阪の奥野さん
猛勉強で資格取得「忙しいけど満足」

小さな事務所や自宅を拠点に働くSOHO(ソーホー=スモールオフィス・ホームオフィス)について前回まで紹介したが、コンピューターネットワークの発達は、重い障害を持つ人を通勤の負担から解放し、就労機会を広げてもいる。業種によっては、社員が在宅でほとんどの仕事をこなせるケースが出てきたのだ。

大阪府富田林市の奥野安史さん(29)はコンピュータープログラマー。ソフト開発会社の正社員だが、仕事場は自宅の一室。会社とパソコン通信やファクシミリで連絡を取りながら、病院や特別養護老人ホームなどで使われる業務用の献立ソフト(食事の栄養管理や材料管理など)を作っている。勤務時間は午前9時から午後6時までで、他の社員と同じだ。
奥野さんには四肢まひがあり、パソコンのキーボードも手ではなく、あごと鼻を使って打つ。入力の速度は両手を使う人より遅くなるが、仕事ではほとんどハンデにはならない。「ソフトを作る仕事は考えている時間が長い。入力の速度はあまり関係ないのです」
初めてコンピューターに触ったのは養護学校中等部2年のとき。両親にポケットコンピューターを買ってもらった。当時から入力は鼻を使うしかなかったが、独学で使い方をマスターし、高等部のころには簡単なソフトも作れるようになっていた。
「重い障害があっても、学校を卒業したら仕事に就きたい」とずっと思っていた。目をつけたのが趣味でやっていたコンピューター。高等部3年になると「将来はパソコンを使うことでしか仕事はない」と思うようになった。自力で通勤ができないというのが最も大きな理由だった。
在宅で仕事ができるようになるにはコンピューター技術をさらに磨く必要があり、3年生の1年間、地元のOAスクールにも通った。
初めて仕事をしたのは19歳の時。会社に雇用されたのではなく、ソフト会社の仕事を請け負った。この形態で5年間続けたが、いつ仕事を切られるか分からないなどの不安もあり、正社員としての在宅ワーカーは常に夢見ていた。
93年4月、仕事をいったん打ち切り、公立の職業リハビリテーションセンターに入学した。「在宅で正社員になりたければ資格がいる」と言われて猛勉強、95年7月、難関といわれる第一種情報処理技術者試験に合格した。
資格はとっても、一般の企業の就職の壁は厚かった。そこに手を差し伸べてくれたのが今の会社。請負で仕事をしていたときから、奥野さんの技量を評価してくれていた。96年4月、晴れて正社員として採用された。
今、奥野さんは八つのプログラムを同時に作っている。それぞれの納期も厳しく、1−2時間の残業をすることもざらだ。電話やファクシミリがしょっちゅう入り、在宅といっても会社との距離感はない。「遊ぶ暇もないほどの忙しさですが、待遇も含めて満足しています」

障害を持つ人のパソコンを活用した就労を支援している民間団体、プロップステーションの竹中ナミ代表の話「障害を持つ人がひとりでも自分の持つ能力や条件を生かして、正社員でなくてもそれぞれのスタイルで働ける社会になればいい。コンピューターを使った在宅勤務の広がりは障害を持つ人にとっても大きなチャンスになる」

コンピューターのキーボードに向かう奥野さん。この部屋がオフィスにもなり生活空間にもなる

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