読売新聞(朝刊) 1996年2月20日より転載

いまマルチメディアは

加速する情報社会 "弱者"にやさしく

マルチメディアのもたらす情報社会は、私たちにバラ色に未来を約束してくれるかにみえる。しかし、膨大な量の情報を前にして、その恩恵にあずかれない"情報弱者"を生み出す危険性もはらんでいる。とりわけ障害者や高齢者にとって、マルチメディアはハンデを乗り越えて自立を促す大きな可能性を秘めているだけに両刀の剣になりかねない。マルチメディアはどこまで人に優しくなれるのか、福祉と医療の現場からリポートする。(生活情報部・高橋直彦 科学部・芝田裕一)

指先で感じる世界
視覚障害者 点字、音声通して"読む" アクセスは対話感覚

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点字ディスプレーを触りながらホームページにアクセスする中根さん。「モニターは必要ないんですが写真を撮るなら電源を入れた方がいいですね」とモニターのスイッチを押した

「パソコンが動くときの音で、においを感じる気がします。だから僕の場合、触覚だけでなくきゅう覚だってマルチメディアの大切な要素になるんです」と慶応義塾大学環境情報学部二年生の中根雅文さん(23)は話す。

中根さんは二歳の時に失明。「ものを見た記憶はほとんど残っていない」が、インターネットにアクセスして画像データの多いワールドワイドウエッブ(WWW)上で“ネットサーフィン”を楽しむのが日課だ。

一昨年11月には自分自身のホームページも立ち上げ、英語と日本語で視覚障害者のための情報発信を続けている。
「電子メールのやり取りを重ねて親しくなった人でも、直接会うまで僕が視覚障害者って気が付きません。最近はそうやって、人を驚かせるのが快感」

実際にパソコンの操作を見せてもらった。モニターに映し出された文字情報をキーボードの下に敷かれたオランダ製の点字ディスプレーに表示、それを指で触りながら読み取り、手際よく、電子メールを打ち返していく。

WWWでの情報収集は「リンクス」というアメリカ製の検索ソフトを使い、画像データを文字ベースの情報に置き換えて行う。音声合成装置も併用する。
「ロボットのような声ですが、画面の文字を読み上げてくれるので、洗濯をしながら“サーフィン”もできちゃう」と余裕の表情。

パソコンはここ数年、視覚情報を重視したグラフィカル・ユーザー・インターフェース(GUI)が主流になりつつある。操作手順を図形(アイコン)で表示し、それをマウスで動かすことで簡単にパソコンを操作できるからだ。ところが、視覚障害者には肝心のアイコンがモニターのどこにあるかわからない。

同大環境情報学部の安村通晃教授は「マルチモーダル・インターフェース」という考え方を提唱する。
「視覚に頼るのではなく、音声や体の動きなど複数の伝達様式(モダリティー)によって人間同士が対話をするような感覚でパソコンを操作できるようになれば、本当に人に優しいマルチメディアを実現できる」

一見、夢物語のようにも思えるが、すでに次世代のインターフェースとして開発が始まっている。

日本障害者雇用促進協会の障害者職業センター(千葉市)は、今年5月をめどに視覚障害者でもウインドウズ95の操作ができる画面読み上げのソフトを開発する予定だ。

通産省でも、平成10年度までに視覚情報によらなくても操作のできるマルチメディア機器の開発を目指している。

病室からメール交換
肢体障害者 インターネットで 在宅勤務も検討へ

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日本アイ・ビー・エムのスペシャル・ニーズ・システム・センターが運営している「こころWeb]のホームページ

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畠山さんたちの作った装置を左手に持ち、自作の電子ブックを見せてくれる轟木さん。マルチメディア型電子本を作りたいという(国立療養所南九州病院で)

11歳で進行性筋ジストロフィー症になった轟木(とどろき)敏秀さん(34)にとって、鹿児島県加治木町の国立療養所南九州病院筋ジス2病棟の周辺が自由に動き回れる世界だ。

数年前から自力での呼吸も困難になり、器官切開をして人工呼吸器を付けたため、その範囲も病床に狭まりつつある。
「でも、ネットワークの中は限りなく広い。自由に跳び回っていますよ」と轟木さんの表情はむしろ明るい。7年前から病室にパソコンをいれ、同じ病気で闘っている全国の仲間などと頻繁に電子メールをやり取りしているからだ。

横浜市総合リハビリテーションセンター企画研究室で、重度の肢体障害者を対象にしたパソコンの入力装置の開発を行っている畠山卓朗さんともパソコン通信を通して知り合った。横浜と鹿児島の間で電子メールで相談しながら作った、押しボタン一つでマウスの動きを代行してパソコン操作のできる装置を使っている。
「障害者にとってパソコンを操作するまでの敷居が高い。その敷居を低くするのが私の仕事。だから轟木さんは私には機器を開発するヒントを教えてくれる先生なんです」と畠山さんは話す。

香川大学教育学部の中邑(なかむら)賢龍助教授は、障害者がパソコンを操作するための補助機器や情報機器を紹介する「こころリソースブック」を毎年発行している。

日本アイ・ビー・エムのスペシャル・ニーズ・システム・センター(東京)は、その本の内容を自社のホームページで紹介。同じ関心を持つ人たちがネットワークでつながれ、その輪を広げている。

インターネットを利用して障害者の在宅勤務の可能性を探る動きも始まった。野村総合研究所(横浜市)と大阪の市民団体プロップ・ステーションが昨年12月から、共同で行っている「障害者リモートワーキング・プロジェクト」もその一つ。

19歳の時に交通事故で四肢まひになり、車いすの生活が続いている大阪府堺市の山崎博史さん(31)もプロジェクトに参加し、同研究所と半年間の雇用契約を結んで、WWWのホームページのオンラインショッピングに関するリポートを行っている。

プロップ・ステーション代表の竹中ナミさんは「企業と障害者の橋渡し役としてインターネットの役割は大きくなりそう」と話している。

高齢者支援進むアメリカ
引退後にパソコン通信楽しむ 慣れた手つきで…

退職後は、パソコンを覚えて楽しい生活を送ってみませんか。

米国では、高齢者に対するパソコン教育を支援する取り組みが進んでいる。おかげで、パソコン通信や電子メールのやり取りを楽々こなすお年寄りが激増中だ。
「簡単ではないわ。でも、とっても楽しいわね」。ここはシリコンバレーの中心、サンノゼ市(カリフォルニア州)にある「シニアネット」の学習センター。パソコンを前に、ポーリン・スミスさん(78)が慣れた手つきでキーボードをたたいてみせる。

彼女が今興味を持っているのは、自分の家族の歴史をまとめること。インターネット上にスミス家のホームページを作って、結婚したころからの出来事を記録し始めた。
「あのころは何があったかしら。娘に聞いてみましょう」。ポーリンさんは全米のあちこちに住んでいる4人の子供たちに、ときどき電子メールを送って問い合わせる。それはそのまま、「元気でやっている?」という便りのかわりになる。

ポーリンさんの夫のマロウさん(79)は、インターネットを通じて世界中のネットをのぞくのに夢中。きのうはヨーロッパ、きょうは日本という具合に。「毎日いろいろの発見がある。素晴らしい経験だね」

潜在的な市場に着目

シニアネットは、高齢者向けのパソコン通信ネットワークを運営する非営利組織で、全米78か所に学習センターを設けている。会員は2万人程度だが、すでに約7万人が学習センターの経験者だ。

サンノゼの学習センターの講師、フィル・カーナハンさん(62)が言う。「彼らはみなとても熱心だ。ちゃんと覚えていくよ。そりゃ、若い人のようにはいかないさ。講師にも忍耐力が必要だ。でも、年寄り向けに、特別なことは何もしていないよ」

ポーリンさんらが使っているパソコンは、コンピュータ用CPU(中央演算処理装置)製造の最大手メーカー「インテル」から贈られたものだ。インテルは全米30か所の学習センターに、高速CPU「ペンティアム」搭載のパソコンを寄贈、支援している。

スティーブン・ナクシャイム副社長=写真=に高齢者支援の目的をたずねると、「高齢者は、潜在的にかなり大きな市場だから」と正直な答えが返ってきた。調査によると、55歳以上の米国人の30%がパソコンを持っている。全世代の平均を8%下回っているが、決して低い数字ではない。

孫との交流に不可欠

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インターネットのホームページからホームページへ渡り歩く“ネットサーフィン”を楽しむお年寄りたち(米・サンノゼ市シニアネット学習センターで)

高齢ユーザが増えている要因の一つは、孫たちとの対話にパソコンが欠かせなくなったことだ。

ナクシャイム副社長はこんなエピソードを披露してくれた。「ぼくらが小さいころは、消防車のおもちゃで祖父母と遊んだものだった。今は違う。昨年のクリスマス、いつもパソコンで遊んでいる4歳のおいは、80近いぼくの父にフロッピーディスクを見せて、こう言った。『じいちゃん、新しいゲームを手に入れたから、一緒にやろうぜ』。時代は変わったと思わないかい」

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