<ユニバーサル社会の実現をめざすシンポジウム>

ジョン・トーマス・シーファー駐日米国大使 ご挨拶

ナミねぇ ということで、福田総理からのメッセージでした。続きまして、駐日米国大使のシーファーさんより、また熱いメッセージをいただきたいと思います。シーファー大使、よろしくお願いいたします。

シーファー 竹中さん、ありがとうございます。ここでお話しできますことを非常にうれしく思います。こちらでは議員の方々もいらっしゃいますし、また、この中で世界が直面する非常に重要な問題に対してお話をすることができるというのは、大切なことであると思っております。私たちはチャレンジドの方々に対して大きな機会を提供しなくてはいけない、私たちの心を温かくしてくれる人たちに対して機会を提供しなくてはいけないわけです。
  そして、私はここに来るときに考えました。まず、そもそもこちらのオファーをお受けしたのはなぜかといいますと、私自身がどんな経験をしたのかということについてお話ししたかったからです。私はテキサスで、レンジャーズ・ベースボール・チームの会長でした。1990年代の初頭のことです。そのときに新しい野球場を造ろうとしていました。私はその責任を有する者であったわけです。それは非常に大きな敷地であったのです。大体40万平方フィートぐらいのところ、13万平方メートルぐらいでしょうか、非常に大きな敷地でした。そして、それが初めてのこのような大きさの公共の*土地*であったということで、アメリカでは「障害を持つアメリカン法(Americans with Disabilities Act:ADA)」が制定されて以来、初めてのそのような種類の大きな施設であったわけです。

[写真]ジョン・トーマス・シーファー大使

 このADAですが、このような新しい施設を設立する場合には、それをガイドラインとして使うという性質を持っています。そして、国内で多くの施設を造る場合には、必ずADAに照らしていくということが行われています。建築家も、コントラクターも、そういったものを必ず見ていかなくてはいけません。その際、この新しい基準に照らしていこうと思ったならば、それが非常に難しいことが分かります。つまり、例えば障害者のためにいろいろな変更をしなくてはいけないということで、そのようなプロセスには大きな変更が必要になるわけです。

 その時、本当にそれが必要となるのかどうかということが私は分かりませんでした。本当に障害者に対する配慮が必要なのかどうか分からなかったのです。しかし、それが出来上がった時にどうなったでしょうか。その時に、チャレンジドの方々を招待したのです。というのは、彼らにまずプレビューという形で、実際に公開する前に、一般の人に使っていただく前に見ていただきたかったわけです。視覚障害者の方々、聴覚障害者の方々、白杖をついていらっしゃる方々、そして車いすの方々、大体15人〜20人というようなレベルのチャレンジドの方々に来ていただき、その野球場を見学していただきました。どんな変更を行ったのか、そして、障害者の方々に対してどのような建物を造ったのかということをお見せしました。

  例えば、いろいろな売店がありますが、売店でオーダーをするときに、車いすの方もオーダーできるように低くしました。それからまた、このプロセスの中で、多くの場合において、例えば家族の場合で言いますと、二つの車いすではなく、三つの場合もあるでしょうし、あるいは一つの車いすの家族もいるということで、通常の場合は家族の中に一人、車いすの方がいて、そのほかの人は車いすではないということになりますから、その結果、車いす席というものを造ってもしょうがないと思ったわけです。ですから、車いすの人がいて、そのほかの車いすでない人たちが一緒に座れるような形ということで、場所を造っていったわけです。つまり、その中でどんな種類の家族構成となっているのかということについても配慮したわけです。

 さまざまな問題について検討しました。例えばこの中に来た人たちについても、いろいろと観察をしてまいりました。そして、彼らのほおに涙が流れるのを見ました。「何がおかしかったのでしょう。何かまずいことをしましたか。何かおかしなことをしてしまったのでしょうか」と言うと、「間違っていたことではないのです。正しいことをしてくださったので、感動して涙が出ているのです。そのときに思ったのです。ほかの人と同じように野球場に来て、野球を楽しむことができるということが初めて分かったから、涙があふれているのです」とおっしゃいました。本当に私にとっては感動の瞬間でした。このようなことを話しながら、自分自身も胸に迫るものがあります。

 しかしながら、その時にも問題がありました。この中で非常に大切なことは何かと言うと、チャレンジドの人、例えば車いすで野球場に来ることができなかった人たちがたくさんいたということです。そして、その新しい施設ができて以来、5倍の人たちが車いすに乗って、野球を見にくることができるようになったわけです。野球場で野球を観戦することができるようになったわけです。大きな野球場です。その中で、野球場に来て、チケットを買って、お菓子を買って、コミュニティーの中の一員として、野球を楽しみたい人たちがいたのだということです。そして、私たちが造った施設がそれをできるようにしたのだという、その力です。

 私が理解したのはこういうことです。これは一つ、ビジネスとしても成り立っていくのだということです。つまり、変化をもたらすということは、そのビジネスにとっても良いということ、そしてまた、これまでそういった施設を使うことができなかった人たちに対して、こういった機会を提供する、それは市場の開拓にもなるということです。しかしながら、もちろんビジネスといいながら、正しいことだからやるのだという、それが重要です。つまり、それをやって正しいことをしたと思えるということ、そして、これまで楽しむことができなかったことを、提供することができたということが重要なのだということです。

[写真]

満員の聴講者を前にご挨拶いただくシーファー大使

 私たちはその後ますます、これがいかに重要かということを認識するに至ってきました。つまり、あらゆる人が参加できる社会をつくっていくのだということ、その中で非常に大切なことが起こりつつあります。テクノロジーの進歩です。今テクノロジーが存在するがゆえに、より多くの人たちが職場に参加することができます。就労の機会を得るのです。そして、意味のある貢献を社会に対してもたらすことができるのです。

 そして、私たちが何ができるのかということを考えてみるのならば、私たちは心を開かなくてはいけないのだということです。どんな変化が起こっているのか理解しなくてはいけません。そして、チャレンジドの人たちに対して、その人たちが参加してくださることによって、どんなメリットがあるのかを考えなくてはいけないということです。つまり、お互いに歩み寄っていくこと、そして、それがつながっていくことによって、より良い社会、より良い世界をつくっていくことができるに違いありません。

 今日ここで皆さんの前でお話をしています。この冒頭の部分でお話をさせていただきますが、皆さんしっかり聞いてください。そして考えてください。そして、いろいろな社会、私たちがこれまで持っていた社会とは違う社会を生み出すということについて、権利を主張してください。ありがとうございました(拍手)。

ナミねぇ シーファーさん、ありがとうございました。体験に基づく力強いメッセージをいただきました。

 

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ジョン・トーマス・シーファー駐日米国大使 ご挨拶 (07:53)

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