flanker No.12

特別寄稿
インターネット もう1つの震災時のメディア

中野 秀男
プロップ・ステーション顧問
大阪市立大学総合情報学部教授
  (前・大阪大学工学部助教授)

 平成7年1月17日の早朝、激しい揺れで午前3時に寝たばかりの私は、浅い眠りを起こされた。それからはすでに報道のとおりの惨状である。この小文では「インターネット」と呼ばれる我々が日頃から研究や教育ばかりでなく、それこそ電話代わりに使っている通信ネットワークが、この阪神大震災の場面でどのように使われたかを報告する。話は私の周辺で起こったことと、インターネット上を流れた情報で現時点で確認したことをそのまま書くことにしたい。

 私の住まいは吹田市の中でも昭和45年に開催された万博のそばである。ここでも揺れは激しく、マンションではとくに上の階に行くほど被害が出た。停電も30秒ほどあり、一瞬、研究室の計算機のハードディスクはこの停電で大丈夫だろうかと思った。電気はすぐについたので急いでテレビをつけたが、大きな地震と報道されるだけであった。子供を学校に送り出し、私も1つ用事をこなして車で研究室に向った。すでにテレビやラジオは災害の模様を点情報として1つ1つ紹介していた。まだまだ被害の全体の状況が見えないながら徐々に大変なことになったと思った。

 研究室に到着して最初に見たのは部屋の状況で、次に計算機達が動いているかであり、そしてネットワークが外部につながっているかであった。時間は確認していないが私が外に初めて電子メールを書いたのが午前10時7分と記録されているので、研究室到着は10時前であったろう。すでに関西以外の数人の方から私の安否を尋ねる電子メールが届いていた。これらの電子メールのうちの2つはメイリング・リストと呼ばれる形の電子メールであり、同時に複数の登録された人達に送られる。1つ目のメイリング・リストは主に関東の人達のグループのものであり、そこで私が私白身の無事と大阪大学吹田キャンパスの状況を報告すると少なくともそこに登録された60名以上の方がその状況を知ることができる。もう1つのメイリング・リストは関西を中心にして一部関東の方が入っているものである。それ以外にも個人的な安否確認の電子メールも2、3入っている。昼から大阪市内で行われる会合の開催是非の確認のために電子メールも京都から入る。

 研究室でも自宅でも電話が駄目なため、外部への電話による連絡はデジタルの携帯電話を使う。幸い東京には通じたので、大阪に来ているはずの担当者から電話があれば携帯電話にかけてもらうように伝言する。しばらくして自宅に戻った時、携帯電話に連絡が入り、大阪市内の会合はキャンセルとなる。関東方面のメイリング・リストでは、このような時、家庭や職場にある通常の電話は規制がかかり、街角の公衆電話が非常用にもなっているので有用であると議論をしている。なるほど、町を車で通ると公衆電話はそれぞれ10人以上の列ができていた。

 5階の研究室がそれほど被害を受けていないのを見て安心し、8階の私の部屋に行くと、3つある書庫のうち2つの上部が倒れており、部屋は足の踏み場のない状態であった。翌日、部屋を片付けたとき、倒れた書庫で私の椅子が曲がっているのに気付き、この地震が昼間であったらとぞっとした。 17日午前10時24分には神戸外国語大学の方から神戸外大は大丈夫である旨のメールが出されていた(但し中継の神戸大学の線が復旧したのが翌日の朝であったため、神戸外大からの電子メールは18日午前10時32分に到着)。

 入院している家内の母親が気がかりのため、一旦帰宅して、夕方近く研究室に出てくる。その間、家ではNHKテレビをずっと見る。合間合間に電話をかけようとするがかからない。実家の松原には携帯電話でもかからないため、少し不安になる。妹夫婦がいるアメリカには携帯電話で無事を知らせる。入ってくる情報はテレビかラジオだけであり、電話が使えないため個々に知りたいことが分からない。

 午後5時前に研究室に到着。さっそく計算機に向かって情報を集める。メイリング・リストでは、実家のある松原に住んでいる方から「松原は被害が少ない」と聞いて、実家がほぼ無事だろうとやや安心する。午後4時19分、日本のインターネットの管理者のメイリング・リストの1つに、インターネット上のニュースグループで地震関係の情報を流していると報告があった。その電子メールでは併せて、大阪大学の入口まではインターネットが到達することと、神戸大学は届かないことが追記してあった。ただ大阪大学の全学が停電で火事もあるらしいとあり、若干事実と違うことも書いてあったので、火事に対してはその20分後に火事はぼやでありすぐ消えたこと、停電に関してもさらに10分後に大阪大学の吹田キャンパスは停電ではない(少なくとも工学部は)と私から報告した。このメイリング・リストは日本のインターネットの管理者が多く入っているので、これで神戸大学や大阪大学のネットワーク的な状況が理解していただけたと思う。

 インターネットとは大学や企業などの組織を結ぶネットワークである。最近ではパソコン通信のユーザーもインターネットとの間で電子メール等が使えるので、組織や個人を結ぶ計算機ネットワークと思って欲しい。日本のインターネットではこの2月1日の時点で1772組織が接続しており、利用者は70万人とも言われるが、パソコン通信の利用者200万人も入れれば300万人に近い利用者がいることになる。世界的にも昨年の秋の時点で46,000の組織が接続しており利用者は3,000万人とも5,000万人ともいわれている巨大な計算機ネットワークである(なお、あくまでも利用者は推定である)。

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阪急西宮北口付近の倒壊家屋

 インターネットの特徴はいろいろとあるが、利用法から考えると、電話のように個人同士の会話も、郵便のように手紙も、新聞やテレビのように多くの人に情報を送ることもできる。しかし、計算機を介在させるので電話とは違って記録を残しやすいし、またその情報の再利用も簡単である。また、郵便と違って高速に相手の所に届く。さらに、新聞やテレビと違って参加する誰もが容易に情報を発信することができる。今回の阪神大震災では、今述べた長所が活かされたところが多々あった。

 ニュースシステムは、パソコン通信の電子掲示板とは少し仕組みが違うが、利用者からみればそれほど変わらない。テーマ毎にニュースグループと呼ばれるものがあり、その中で複数の話が進行していく。1年前のアメリカ・ロスアンジェルズの地震がよく今回の阪神大震災と比較されるが、ロスの時は地震後すぐに新しいニュースグループが作成され、そこで安否確認等の情報交換がされたと聞いている。今回の地震でも、インターネットやパソコン通信のニュースグループ(このために新規に作成されたものも多い)の中で情報交換がなされている。

 インターネットでも既存のニュースグループの1つで議論することが17日の朝に提案され、そこで情報交換が始まり、また新しいニュースグループが作成されて議論がそこでも続けられた。その他のパソコン通信でも臨時のフォーラムが開設されたと17日の午後10時にはインターネット側に情報が流れてきた。 17日には被災を受けたいろいろな場所の問い合わせとそれに対する報告がほとんどであったが、18日頃からは現地にいってから計算機通信のできる場所に戻ってきて報告する人や、身近に被災者がいて、その方達の電話等からの報告が情報として流れ始めた。パソコン通信では数千の記事が流れたと聞いているが、インターネットでは2月4日の夜の時点で2,000以上の記事が流れている。大震災専用のニュースグループでも関連した記事がたくさんあったはずである。

 パソコン通信やインターネットでは、誰でもが情報発信者になることができるため、被災を受けたその人本人や組織の人、また土地感のある人が情報発信をするので確度の高い情報となった。関西学院大学が崩壊との情報も新聞で報道されたそうだが、神戸方面の大学では多くの大学の一部の建物が危険な状態になっており、その後から実際に内部に入って見た人からの情報が流されてだんだん詳細な事実がニュースに記事として流れることによって見えてくる。2月4日に一番被害が大きいと思われた神戸商船大学がネットワークに接続してきたので、まがりなりにも大学関係のインターネットは入口までは復旧したのではないかと思う。

 インターネットでは今、情報を載せる仕組みとして「world Wide web (WWW)」と呼ばれるソフトウェアがある。専門的にはこのソフトウェアはサーバ(奉仕するもの)と言われており、このサーバの情報を読みにいくソフトウェア(クライアント:お客)もいくつかある。このWWWはハイパーメディアと呼ばれる構造を持っており、マルチメディアであって内部にデータベースを持っていると考えてもらってもよい。今回の震災では流れる情報を溜めておく仕組みとしてこのWWWサーバが活躍した。情報は多くなればなるほど整理が必要であるが、複数できたWWWサーバはそれぞれが独自の情報を持ちながら、他の有用な情報については簡単にそこにアクセスできる仕組みを作っている。

 今、17日以降のニュースを読み直したり、2月1日に流された情報のまとめのニュース記事を見ながらこの原稿を書いているが、後者によれば日本語のWWWサーバは20近く、英語の情報を持つものは30以上ある(リンクを張っているので数えることに意味がないかもしれない)。 WWWサーバには17日に国土地理院によって写された1,000枚あまりある空中写真の中から阪神高速道路の倒壊等の写真や、大学の職員等によって撮影されたと思われる甲南大学や大阪大学の校内の写真もある。また神戸市外国語大学では18日以降の神戸市内の写真を載せている。 WWWサーバを最初に立ち上げた奈良先端科学技術大学院大学では、朝日放送の協力によって17日午前7時撮影の街の様子の写真もあり、火事等の動画もある。

 流されたり議論された情報は、まず人の安否情報、次に建物や場所を指定しての被災情報、それから被災地で暮らす人達のための生活情報であった。生活情報には停電、ガスの供給停止、断水、電話、交通情報が、また募金、救援物資、ボランティア、献血の情報も流されていた。

 今回の阪神大震災では電話がかからないことがそれほど被害のなかった地域にもおよび、そのためパソコン通信をする人も困っただろうが、それと同じように、電話でインターネットを使っていた人達はほとんど最初の数日はお手上げであった。しかし、所属する組織がインターネットに高速デジタル回線のように専用線で24時間つながりっぱなしの場合は、インターネットのありがたさを味わった。

 新聞やテレビ・ラジオからの初期の報道のような面として捉えた、または一部の目立つところを報道したことに比べると、インターネットでは多くのよく知っている人達からの情報発信が点から沸き上がってきてよく分かったような気がする。
  今後、インターネットは有線だけでなく無線を使ったトータルなネットワークシステムとして構築されるので、ますます災害時も含めた情報通信基盤となるであろう。(了)

編集部注:
中野先生は1995年4月から大阪市立大学総合情報学部教授に就任されました。

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応援する市民の会 活動の様子

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