flanker No.12

私の阪神大震災

大阪へ脱出 松村依美子
障害:クローン氏病(難病、小腸障害)
住所:神戸市須磨区

 7年前に発病したクローン氏病のため、私は通常の食事がとれないので、1日2400キロカロリー(2.4リットル)の栄養剤を経管注入しています。また、下痢の症状もあり、通常の人よりかなり多くの水を使って生活していました。地震で断水し、水を心おきなく使えなくなってしまったため、ストレスがたまり、症状が悪化してしまいました。そこで地震から4日後、私は姉と共に大阪へ避難するため、神戸市須磨区自川合の自宅を10:30に出発しました。
  神戸市営地下鉄で名谷〜板宿へ。電車は1時間に3〜4本(通常7〜8本)しか走っておらず、発車前は朝のラッシユ時のように超満員でした。そして電車は所々で徐行運転されていました。板宿駅改札から地上への出口は通常6ケ所ありますが、3ケ所は閉鎖されていたため、外へ出るのも一苦労でした。
  板宿からは神戸市バスでJR神戸駅へ向いました。バスは道路の渋滞などがありましたが、比較的たくさん走っていたように思います。高校、短大と6年間通学していた長田地域の変貌には言葉もありません。戦争は知らないけれど、まるで終戦を疑似体験した感じです。
  普段なら神戸駅まで約20分で来ることができるのに、約1時間もかかりました。アスファルトの道路は、あちこちに亀裂が入ったり段差ができていたりして歩きにくかったです。
  神戸ハーバーランドから天保山までは船で移動です。しかし、乗船(切符を買う)まで長蛇の列で、あまりの人の多さに、「このまま並んでいても今日中には船に乗れないぞ」という噂もささやかれ、「歩いて行こう!」という人たちもいて、不安でした。当時JRは甲子園口駅から、阪急は西宮北口駅、阪神は甲子園駅より大阪行が運転されていましたけれど、とても神戸からそれらの駅まで歩く自信も根性も体力もない私は、忍耐のみで並び続け14:30ごろの高速艇に乗船できました。ほっと一安心です。まず座れたこと、そしてお手洗いにやっといけたから…。それまでどこも多くの人がいたのに仮設トイレは1つもなかったのでした。
  大阪天保山に着いたのは15:30、そこから大阪市営地下鉄で移動し落ち着いたのは16:30でした。自宅を出てからなんと6時間、地震前なら1時間30分で移動できた場所でした。
  大阪−神戸わずか数十キロの違いで、大阪の生活にはほとんど支障がなくてよかったです。一日も早く(安全な)復旧を願って止みません。

[写真]

がれきのなかで思い出の品を探す人

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