flanker No.12

私の阪神大震災

集合住宅 桜井龍一郎
障害:頚髄損傷
住所:西宮市
家屋:公団住宅5階

 私の原稿では、自力で移動できない障害者としての立場からと、集合住宅に居住する者としての立場から、今回の地震を振り返ってみます。
  ベッドの上で今回の地震に遭ったわけですが、揺れがおさまった直後、真っ先に気になったのは、「火事で逃げる必要が出たらどうしようか」ということでした。幸い、建物は無事で、棚が身体の上に倒れてくるようなこともなく、怪我はなかったのですが、電気がストップしていたので、電動ベッドを起こして、電動リフトで車いすに乗り移ることができなくなっていました。また、家の中は散乱しており、玄関までの車いすの移動もままならない状態です。ここまではそれでも、家族の者に抱えてもらって車いすに移るなどして、なんとかできますが、最大の問題は、エレベーターがストップしていることでした。家は公団住宅の5階ですが、外に出るには、担いでもらって1階まで階段を降りるしかありません。それに、外に出ても寒空での体温調節のことや、排尿のこと
など、いろんな心配が頭を駆け巡りました。「避難」、そんな事態になることが一番心配でした。
  そんなことを考えた私は、とっさに家族の者に、ガスが漏れていないか、ドアが開くかどうか、階下で火事が起きていないかどうかを確かめ
てもらいました。幸い、いずれも問題がないことが判り、最悪の事態は避けられたのですが、もし階下で火事が起きていたらと思うと、今考えてもゾッとします。

 震災から一週間ほど経って、困ったのは風呂でした。水道・ガスのストップした家庭はどこでもそうですが、自宅で風呂に入れないので風呂屋に行ってました。車いすの私の場合、一般の風呂屋に行くことはできません。それ以前にエレベーターが動かないので(電気は震災後数時間で復旧しましたが、点検が必要なため、エレベーターが動いたのは、1月の終わりでした)、外に出ることができません。しかたなく頭を拭いてもらってました。水道・ガスが使えるようになって、2週間ぶりに風呂に入った時は、風呂嫌いの私でも、さすがに爽快でした。そのほか、5階まで階段を登り降りして水汲みをするのは、家族の者には大変でした。

 また、FLANKER N0.11編集の佳境に入っていた時期でもあり、電話連絡ができずに編集に影響もあったなど、いろいろなことがありました。紙面の都合上ここでは触れませんが、皆さんのご協力のおかげで、無事当初の日程で発行できたことをこの場を借りてお礼申し上げて、私のレポートを終えさせていただきます。

[写真]

移動風呂も登場

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