flanker No.12

阪神大震災「復興期」に想う

プロップ・ステーション代表 竹中ナミ

 あの大震災から3ヵ月が経過し、被災地は救援から復興の時期に入ったと言われていますが、被災された方、一人一人の生活をどのように取り戻すのか、問題はむしろ深く、重いものになっています。

 私の両親は自宅が倒壊全焼し、プロップの実務部門プロップ・ウイングの一隅や、関東に住む弟のアパートなどで避難生活を送っていました。幸い全国各地の親戚や、友人・知人の温かい励ましをいただき、現在は父の剣道の後輩である方のご厚意により、神戸市内に住まいをご提供いただくくことができました。でも、「夫婦で力を合わせて元の場所に自宅を再建したい」との思い断ちがたく、再建に向けて様々な計画を立ててはいるも
のの、瓦礫の撤去・整地すらまだ手つかずの状態です。

 私にとっても、幼い頃からのアルバムをはじめ、無数の思い出のつまった家を失ったことによって、心の一部が大きく欠損してしまったよう
な不思議な感覚から抜け出ることができませんが、プロップの活動の多忙さがそれを紛らせてくれている毎日です。

 「今年は日本における“ボランティア元年”の到来だ」と言われるほど、多くの人が「自分も何かやらねば」という思いに衝き動かされて、震災救援のボランティア活動に取り組みました。でも、住まいを失った人、職を失った人、高齢や障害によって自立生活の困窮度が一層増した人、失った住まいや職場を再建するため二重のローンを抱えるに至った人、心の傷がますます深くなってゆく人・‥ボランタリーな活動で支援のでき得る限界を越えた状況が残り、社会全体の課題としては、むしろこれからが正念場です

  この正念場といえる時期を狙ったかのように地下鉄サリンや銃撃などのテロが起きました。日本という国の安全神話がガラガラと音を立てて崩れるとともに、私達の心に芽生えた不安感は、もはや拭いきれないところへ来たように思います。
  東京都と大阪府で、青島氏・ノック氏が知事に就任という、既存の政党や既存の政治形態を拒む選択を市民が行ったのも、震災とテロという未曾有の出来事の中で芽生えた、既存のものへの不信感があったことは否めないと思います。
  「安全でお金持ち」だったはずの国、日本を今こそ「生命と生活」という人間が生きる最低条件を護れる国にしなければならない、というのは漫画チックであり滑稽でもあるけれど、現実です。この現実から目を逸らさないためにも、被災地の復興を決して他人事視せず、全ての人が痛みを共有しながら「完全復興」と呼べる日まで、心を添わせていくことが必要だと思います。

 とくに、被災地復興を被災市民自身の手によって行うための施策の創設と、それを支援するボランタリーな活動への援助は、行政の緊急課題ではないでしょうか。

 極限を超えた状況で取り残された被災地の高齢者、要介護者、要介護者を含む家庭等のための介護・給食活動・日常生活の取り戻しなどは、行政がその責任において実施すべき性格のものだと思います。被災地域の雇用の創出に繋がる様々な事業も創設される必要があるでしょう。そうした事業にボランティアの協力をあおがなければならないとしたら、行政は真摯に地域住民と話し合い、地域住民の自治によってそれが行える態勢を造り、その自治組織が機能するための行政予算をつけるという連携が必要でしょう。
  未曾有の出来事からの再生に新しいシステムの誕生がなければ、私達は「震災を体験した」だけに終わってしまいます。

 震災直後に発行した前号の「FLANKER」で、私は「生命を護る情報と福祉のネットワークづくり」を提唱させていただき、各方面から大きな反響をいただきましたが、この「新しいシステムの構築」に向け、復興期においてなお一層、国民的論議が望まれます。

 既存の行政施策の多くが、いざという時、有効に働かなかったという事実を私達は忘れてはならないと思います。施策はこれからは「与えられるもの」ではなく、「市民が造り、育て、実行し、責任を持つもの」であり、市民こそ防災を含めた施策の主体者であるという感覚を一人でも多くの人が持つことによってはじめて、震災は「体験」を越えるでしょう。
  行政が「おかみ」である時代の終焉を迎えるために市民が立ち上がることが、「ボランティア元年」の実態であってほしいと思います。

 被災地では、復興のため様々な市民活動が起こりつつあります。一人一人が自分のエゴを押さえながら、連帯して復興に向かわねばならないこの時期に、市民活動のノウハウや、復興に必要な様々な専門知識を持つ人達がボランティアとして、被災地住民の自律的な市民活動を側面支援する。加えて、「今回は幸いにも被災しなかった人達」の総てが、復興への道のりを見守る心を持ち、行政が責任を持つ部分、ボランティア活動で成しうる部分、そして自分自身にできることを真剣に考え行動に移す。こうした国民的取り組みが継続されることこそ、失われた5500余人もの尊い命に報い、なおかつ新たな「施策の不備による犠牲者」を生まない道ではないか、と私は考えています。

 不安感、不信感、無力感、壊失感、厭世観などを震災は多くの人に与えました。サリンやテロ事件は、それに追い打ちをかけました。まさに「パンドラの箱は開けられた」のです。

 残る「希望」がどのような花を咲かせ、実をつけるのか、私自身はプロップの活動を通じてその答えを得たいと思っています。
(1995.4.17 記)

[写真]

全焼した竹中の生家(神戸市東灘区)

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