8月29日発行の産経新聞に、相模原事件に寄せたナミねぇの寄稿が掲載されました。

2016年8月29日

 

相模原事件 1カ月
「人が支え合う社会」再確認

産経新聞 2016年8月29日発行より転載


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相模原事件 1カ月
「人が支え合う社会」再確認

竹中ナミ
 たけなか・なみ 社会福祉法人「プロップ・ステーション」理事長。昭和23年、神戸市生まれ。重症心身障害の長女を授かり、チャレンジドの自立と社会参画、就労を支援する活動を続ける。著書に『プロップ・ステーションの挑戦』『ラッキーウーマン マイナスこそプラスの種』。

 相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で、入居者19人が刺殺された事件の後、「チャレンジド」(障害のある人)やそのご家族から「私たちは生きていてはいけないのか」「幸せになってはいけない存在なのか」というご相談のメールが相次いでいます。また、「障害者」「弱者」という呼び習わし方について「私たちの立ち位置を、社会が固定化してしまった」「私たちは、弱者でなければいけないのか」という訴えも届いています。

 今回の事件は、長い時間をかけて、世界各国が、日本社会が取り組んできた「障がいのある人も、ない人も、人として同等の尊厳と、幸せを希求しながら生きる権利がある」という思想・哲学を覆す、先祖返りともいうべき「負のエネルギー」をまき散らし、多くの人の胸に、怒りとともに、虚しさ、やり切れなさをも沸き上がらせたのではないかと感じます。

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 43年前、私は重度の脳障害のある娘マキを授かりました。孫の障害を知った私の父が、「わしが、この孫を連れて死んでやる」と言ったのを鮮明に覚えています。父が、障害のある子を授かることは「不幸」であり、娘がつらい目に遭うに違いないと感じたことに、私は反発しました。なぜなら私は、親や親族に迷惑をかけ続けた「不良」だったのですが、その私を両親は責めることもせず受け入れ、見護り続けてくれたからです。我が子が親の意に沿わない存在であっても、親は子を受け入れるものという感覚が、私には染みついています。

 「父ちゃんが言うような不幸な存在になんか、絶対ならへん!」「障害=不幸やなんて、絶対に信じへん!」と反発し、その反発心が、チャレンジドの自立を支援する「プロップーステーション」の活動を続ける現在の私につながっています。障害のある人をチャレンジドと呼び、「持てる力を発揮できる社会の実現」のためのソーシャルビジネスを創造してきました。

 そして今の私には、すでに天に召されたあの日の父が、「天の邪鬼の娘が、孫とともに腹をくくって生きられるように『命がけの脅迫』をしたのだ」と、よく分かっています。

 私は、親に愛され「無条件で子どもを受け入れる」事の出来る多くの親たちを知っていますし、両親から虐待を受けたにもかかわらず「自分は決して子どもを否定しない」と、強い意志で家族関係を築き上げた人にも出会いました。また、障害のある我が子を「不幸のタネ」ではなく、「家族の宝物」ときっぱり言い切る親たちに、私は今日までにたくさん出会いました。

 しんどいこと、つらいことは決して人を不幸にするのではなく、強くも豊かにもすると、私は言い切ることができます。人は自分の意思で生き方を決めることができる。娘との43年間で、私はそう学びました。

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 お盆に、マキを病院から連れ帰って一緒に過ごしました。やまゆり園での悲惨な事件で犠牲になられた方々とご家族にとっては、どんなにか悲しく、辛い、お盆だったでしょう。幸いにも元気で帰省外泊のできるマキと、迎えるオカンのナミねえは、被害に遭われた方々のご冥福を祈りつつ、改めて、生きていることの幸せを噛みしめました。

 近所のスーパーに買い物に行くと、温かい眼差しでマキの車いすに目を向けてくれるお客様たちが多く、心がなごみました。車の中でのマキは、いつものように唯一、自分の手で囗に運べるタオルを一心にしゃぶって、穏やかに過ごしています、こういう子を、あの犯人は選んで殺傷したんやな・・・そう思うと、運転しながら涙があふれました。私は、ハンドルを強く強く握りながら「絶対に、元気で幸せに暮らしたる!!」と、心の中で叫んだのでした。

 事件を受けて様々な対策がとられることと思います。命を守ることは何より優先されねばならないと思いますが、それが、多くの人たちの努力で築かれた「障害のある人も、ない人も、共に支え合う」という社会規範を後退させるものにならないよう、心から願います。時代のネジを巻き戻すことだけは、絶対にしたらアカンのです。事件がまき散らした「負のエネルギー」を日本全体で跳ね返し、新たな歴史を創っていかねばなりません。

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