来年度の「神戸スウィーツ・コンソーシアム in 仙台」の準備のため、雪の仙台に出張。そして、仙台で決意を新たに・・・・
2012年2月9日
2月2日のマキの誕生日に、たくさんのご祝辞、ありがとうございました!!
お一人お一人にお礼ができなくてゴメンなさいm(_ _)m
こんなにたくさんの方々がマキ&ナミねぇを見守って下さってると改めて実感し感謝でいっぱいです。ホンマに、ありがとうございます!!!
☆マキの誕生日のブログ
http://ameblo.jp/takenakanami/entry-11152922684.html
翌日2月3日は、朝から日清製粉の仙台営業所で今年度の「神戸スウィーツ・コンソーシアム(KSC) in 仙台」の企画打合せを行うため前夜、空路で仙台入りしました。
昨年の東日本大震災で被災して再建中の東北石川食料(株)(日清製粉の連携会社です)の工場がゴールデンウィーク明けに完成するんやけどその再建したばかりの調理室を使わせていただいて被災地のチャレンジドの皆さんを対象とするスウィーツ講習会を、開催します。
4年にわたり、ボランタリーに講師をつとめて下さっている超一流のシェフたちが「美味しいスウィーツを作りたい!」と願う被災地のチャレンジドたちに技と魂を伝授します。
明日は、再建中の東北石川食料(株)の工場も見学させていただくことになっています。生まれ変わった調理室を、私たちの企画に無償でご提供下さる東北石川食料(株)の皆さんに心から感謝申し上げます。
仙台空港は、宵闇の中に真っ白な雪の滑走路が、すごく綺麗でした。
青葉区のホテルまでタクシーに乗ったんやけど運転手さんは、3.11のあの日空港で客待ちしてて地震と津波に遭遇し、空港に居た3,000人の人たちとターミナルビルの2-3階に避難したそうです。
空港から仙台市内に向かう高速道路は無料で左側には街灯りが見え右側は、真っ暗でした。右側は、ほぼ全域が津波の被害に遭った「閖上(ゆりあげ)地区」やと運転手さんは、淡々と話されました。
運転手さんが空港に閉じ込められてる間に自宅は流され、今は仮設住宅暮らしやけど「家族がみな無事で良かった・・・」と突き抜けた、明るい声で話されるのを聞きながら今年度の、KSC被災地支援プロジェクトから私たちは逆にたくさんたくさん学ばせていただくことになるやろうな、と心の底から思いました。
マキの誕生日の今日仙台に来られたことに改めて感謝。
翌日
2月3日(金)の仙台は「こんなに積もったのは初めて!」という声を、たくさんの市民の方からお聞きしました。
街中の積雪は10数センチくらいで、いわゆる豪雪ではないけどマイナス5度という、ハンパない寒さでした。
訪問した日清製粉仙台営業所の方々からは今年度の「神戸スウィーツ・コンソーシアム in 仙台」を「力一杯、応援します!」という力強いお話しをうかがったばかりか仙台名物「牛タン極み定食」を、ご馳走になりました。
日清製粉仙台営業所のみなさんと(左から日清製粉 関野修策課長、八木淳司マイスター、
日清製粉仙台営業部 佐藤直樹部長、ナミねぇ、同 山下正人次長)
仙台名物「牛タン極み定食」
すっごく分厚いのに、すっごく柔らかくジューシーな牛タンと麦ご飯、スープがセットになってて舌がとろけるほど、美味しかったです!!
◇ ◇ ◇
東北石川食料の皆さんはオフィスが全壊したため、仮のオフィスで業務をされてましたが行天(ぎょうてん)社長はじめ社員の皆さんが大変温かく迎えて下さり再建後の新しい「加工センター」で「神戸スウィーツ・コンソーシアム in 仙台」を開催することに全社を挙げて、ご協力下さるとのことでした。
東北石川食料のみなさんと(左から関野さん、東北石川食料 山田武伴部長、
石川株式会社 山田正巳専務、東北石川食料 行天強社長、八木さん、ナミねぇ)
再建中の東北石川食料(株)工場
仙台中税務署の東隣に再建中の工場も、見学させていただきましたが鉄筋3階建ての立派な工場の骨組みが、雪の中で粛々と組み上がっていました。
「ゴールデンウイークまでには完成させたい」と行天社長は、力強くおっしゃっていました。
社員のお話では3.11当日、突然大きな揺れがありオフィス家具などが動くだけでなく建物全体がギシギシ唸りだしたので社員全体が外に飛び出したとたん、目の前で工場が倒壊したそうです。
「全員が、オフィスが倒れるところを見てしまったんです・・・」と、説明下さった方は、唇を噛み締めながら話されました。
◇ ◇ ◇
打ち上げられた巨大タンカー
その後、社員の方のご案内で、仙台港へ連れて行っていただきました。
仙台港へ向かう道が津波の到達地域やったそうで、道の右側と左側では、建物の様子が全く違っていました。
阪神淡路大震災も甚大な災害やったけど、地震だけでなく、大津波に襲われるということの恐ろしさをひしひしと感じ、言葉を失う私たちでした。
仙台港では、港の業務再開のためかなりスピードを上げて整備がされてるというものの対岸に打ち上げられた巨大タンカーの前半分があまりに巨大なためどうにもできずコンテナ群に船首を突っ込んだままになっていました。
港湾流通業務を元気に担っていたであろう日通倉庫は屋根と柱と壁の一部を残し人影も全く無い、廃墟となっていました。
◇ ◇ ◇
仙台港の後は、NHK仙台放送局を訪問し震災報道に関わられた方から様々な体験を聞かせていただきました。
「大震災から間もなく1年たつけれど、まだまだ、全くと言ってよいくらい、手つかずの地域が多い」というお話しでした。
また日本の報道は、あまりに悲惨な状況を映像や記事にすることを自粛しているけれど、目の当たりにした記者たちは「被災者の方々と同じ苦しみを持ち続けている」とのことでした。
報道者として、これからも全国に、世界に被災地の現状と復興への日々を発信し続けていただきたいと心から願います。
NHK仙台放送局にて菅隆雄副局長と
たった1日の仙台滞在やったけど改めて「被災地に心を寄せ続ける」ことの大切さを自分の胸に刻み込みました。
再建された、東北石川食料加工センターで「神戸スウィーツ・コンソーシアム in 仙台」を開始するまでに何度か現地を訪問させていただくことになると思います。
一人でも多くの方のご協力をいただきながら、被災地のチャレンジドの皆さんだけでなく再建された東北石川食料の皆さんにも、元気と希望と誇りを届けることのできる講習会になるよう全身全霊をかけて取り組まねばと決意を新たにしながら、仙台の街を後にした、ナミねぇでした。
<by ナミねぇ>