liberty 2011年5月号より

"チャレンジド"が納税者となれる日本をつくりたい

 

20年にわたり障害者の就労支援を続けてきた竹中ナミさん。パソコンセミナーや一流パティシエを招いた菓子作りのセミナーを主催し、障害者がスキルを身につけ、社会的に自立していく仕組みを模索してきた。彼女を突き動かす原動力とは何か。

「プロップ・ステーション」の「プロップ」とは「支え合い」を意味する言葉。「プロップの設立メンバーに、ラグビー中の事故で、体の自由を失った男性がいます。『ラグビーやってたときの自分の誇りあるポジションがプロップやねん』という彼による命名です」(竹中さん)

竹中ナミ Nami takenaka

1948年、兵庫県生まれ。重症心身障害の長女を授かったことから、独学で障害児医療・福祉・教育を学ぶ。91年、草の根のグループとして「プロップ・ステーション」を発足、98年厚生大臣認可の社会福祉法人格を取得、理事長に。
ICT(情報コミュニケーション技術)を駆使して、チャレンジド(障害者)の自立と社会参画、とりわけ就労促進を支援する活動を続ける。これまでに内閣官房雇用戦略対話委員、社会保障国民会議委員などを歴任。09年、アメリカ大使館より「勇気ある日本女性賞」を受賞。10年6月、NHK経営委員に就任。著書に『プロップ・ステーションの挑戦』(筑摩書房)『ラッキーウーマン』(飛鳥新社)がある。ニックネームは「ナミねぇ」。

「社会福祉法人プロップ・ステーション」
http//www.prop.or.jp

トレードマークのヘアスタイルは、地元・神戸の行きつけの美容院で。

 

"チャレンジド"が納税者となれる日本をつくりたい

 

 私は「障害者」ではなく、「チャレンジド」という呼び方を使っています。これは「神から挑戦する使命やチャンスを与えられた人々」という意味の、アメリカ生まれの言葉なんです。

 

「お金は公平なんやね」

 私は重症心身障害を持つ娘を授かったことをきっかけに、多くのチャレンジドに出会い、一緒に活動するなかで、「障害があっても、自分で稼いでみたい」「自分の能力を発揮して認められたい」と思っている人がたくさんいることを知りました。

 そこで91年、私は「プロップ・ステーション」を立ち上げ、チャレンジドの就労支援を始めたんです。彼らの願いをかなえるツールとして注目したのがパソコン。パソコンを使えば、在宅で仕事ができます。当時はパソコンが1台100万円するような時代でしたが、アップル、マイクロソフト、NECと、私たちの考えに賛同してくださった企業から提供を受け、セミナーの講師を派遣してもらうこともできました。

 重度の脳性まひのチャレンジドが、パソコンを使ったイラストで、プロとして初めてお金をもらったときのことです。彼が「お金っていうのはこんなに公平やったんやね、ナミねぇ」と言ったんです。私はその言葉を一生忘れることができません。

 

弱者を弱者でなくしていく

 プロップでは、「チャレンジドを納税者にできる日本」というスローガンを掲げています。日本では「弱者」のために、「弱者ではない人」が何かをしてあげることが福祉だと言われます。でも、本当の福祉とは「弱者を弱者でなくしていくプロセス」なんだと思うんです。

 「障害がある人間から税金取るつもりなんか? 何ぬかしとんねん」っていう批判は多いですよ。でも、世の中にない新しい価値観を生み出してこそ、元不良の本領発揮です。私は「日本の不良少女のハシリ」というようなワルだったんです。

 

やんちゃだった子供時代

 私は子供の頃からやんちゃで、趣味は家出と木登り。とにかくじっとできない子でした。

 中学生で家出したときには、神戸の一番大きなキャバレーでトップを張っていたお姉さんに拾われて、14歳にして水商売デビューしたくらいです。

 でも、そんな私を両親は一度も叱ったことがないんですね。父は京都帝国大学の学生時代、カフェのお姉ちゃんに仕送りを全部継ぎ込んでいたという人で、「俺の娘やから、道外してもしゃあない」と、私を溺愛していました。

 母は、父親と長男だけが一段高いところでお頭付きを食べるような地方の旧家の出身で、男女差別を理不尽に感じていたような人でしたから、「お前はいつか何者かになるために、今、少し道を外れてるんや」と、これまた叱ろうとしない。

 高校には進学したものの勉強するのが嫌で、「アルバイトをしたい」と騒いだら、母が職安で事務の仕事を見つけてくれました。私はそこでアルバイトを取りまとめる男性に一目ぼれ。そのまま付き合って同棲しました。

 高校生の男女が手をつないで歩いただけで不純異性交遊と言われた時代です。それはもう大騒ぎになって、私は即座に高校を除籍。ちゃぶ台一つ抱えて実家を飛び出し、16歳で結婚しました。

 

「麻紀を連れて死んだる!」

 結婚して5年後には長男が、さらに3年後、24歳のときに長女の麻紀が生まれました。麻紀は3ヵ月健診で「脳に重い障害がある」と言われ、私は両親のところに相談に行きました。

 すると父がいきなり私から麻紀をひったくり、真っ青になってガタガタ震えながらこう叫んだんです。
  「わしが麻紀を連れて死んだる! こういう子を育てたら、お前が苦労して不幸になる」

 私は「そんなこと言わんといて。私ら、元気に楽しく生きていってみせるから」と父をなだめました。とはいえ、この先、どうしていけばいいのか全く分かりません。麻紀を病院に連れていっても「お母さんのせいじゃないから」と慰められるだけ。育児書を読んでも「あなたの子供が脳に障害を持って生まれたら、こう育ててあげなさい」なんて一行書いてありません。

 麻紀の目は光を感じる程度で、音には反応するものの、どんな音かは分かっていないようでした。そこで私は麻紀をおんぶして、いろんな団体や勉強会に飛び込み、目の見えない人や、耳の聞こえない人たちに、どういう工夫をしたら楽しく過ごせるのか聞いて歩きました。

 娘の障害を聞きつけて、いろんな宗教の方が訪ねてきたこともあります。でもたいてい、「障害は、過去に何か呪いがあったから」と言われるんです。

 幸福の科学さんも宗教だから申し上げるのですが、宗教団体の方には、「過去がどうのこうの」というネガティブな言い方ではなく、「私たちは子供さんが社会で活躍できるように応援します」と、チャレンジドを抱えるお母さんを励ましてほしいんです。それによって救われる方は、きっと多いと思います。

 

娘の麻紀さんとの写真

娘の麻紀さんと。「『麻紀』って呼びかけると、笑顔が出るようになってきたんですよ。周りの方から『お母さんが想像しているより、分かってはるんちゃいますか』と言われて、その気になりつつあるところです」

 

娘がくれる無限のパワー

 「プロップ・ステーション」を設立して今年で20年。パソコンセミナー参加者は4千人以上、プログラマーなどとして活躍する人は500人を超えました。

 日清製粉の方が声をかけてくださったのをきっかけに、08年からはお菓子作りのプロを養成する「神戸スウィーツ・コンソーシアム」も始めました。著名なパティシエの方々が、続々と講師に名乗りを挙げてくださり、うれしい限りです。

神戸スウィーツ・コンソーシアムの写真
08年に発足した「神戸スウィーツ・コンソーシアム」。モロゾフ株式会社テクニカル・ディレクターの八木淳司氏(写真中央)はじめ、一流パティシエからチャレンジドたちがプロのレシピと技を学ぶ。

 私は人に恵まれて、ここまでやってくることができました。でも、私を一番成長させてくれたのは麻紀だと思うんです。

 私はもともと図々しい人間なんですが、麻紀といると怖いものはなくなるんですね。だって38歳になった娘が今でも、「おかんをおかんと分からない」っていうのは、やっぱりすごい出来事じゃないですか。でも、そんな状況にあっても、楽しく元気に生きられることを知ってしまうと、もう何も怖くなくなる。

 ですから、私の辞書には「物怖(ものお)じ」という言葉はありません。どこにでも飛び込んでいきます。彼女が母を動かす「チャレンジド・パワー」たるや、すごいものがありますよ。

ページの先頭へ戻る