神戸新聞 2009年5月13日「人」欄より転載
在日米国大使館から「勇気ある日本女性賞」を授与された
竹中 ナミさん
「多くの人が取り組みに共感してくれた。続けてきてよかった」
通称「ナミねぇ」。長女(三六)に重症心身障害があったのをきっかけに一九九一年、障害者の就労を支援する「ブロップ・ステーション」を設立し、九八年には社会福祉法人に。活動を認められ、今年三月、在日米国大使館から[勇気ある日本女性貫」を授与された。
「チャレンジド」(障害のある人)という言葉に共感する。もともと米国で「挑戦という使命、課題を与えられた人」との意味で使われだした。障害をマイナスととらえず、障害者としての体験を前向きに生かせることを願う。「納税者にできる日本にする」のが目標だ。
障害のある娘が生まれたとき、父は「わしが連れて死ぬ」と言った。障害を苦にした無理心中や疲れ切った母親らを見聞きするたび「社会を変えなきゃ」との思いは募った。
本人の努力に加え、社会の意識と制度の変化があって初めて障害者は期待される人として輝ける。プロップでは、知的障害や自閉症の人らがコンピュータを駆使し、図面をかいて稼いでいる。
「私たちができるのはほんの一握りだけど、『こんなことができる』と発信するとそれが普通になり、制度を動かす力になる」
亡き父は後に「あのとき、死ななくてよかった」と話してくれた。米国からの受賞に「励みになるし、プレッシャーでもある。次は娘を残して安心して死ねる社会に」。パワーは衰えない。神戸市出身。六十歳。
(小西博美)