月刊NEW MEDIA 2006年3月号より転載

特集 ユニバーサルな街づくりとIT活用 (上)
巻頭対談

国交省ユニバーサル社会実現の
「自律移動支援プロジェクト」
2006年度、いよいよ全国展開へ

[写真]
愛・地球博の会場で行った実証実験を見学する小泉首相に説明する坂村教授

[写真]佐藤事務次官と坂村教授チャレンジド(障害者)が自分の意志であらゆる所に移動できるインフラの実現を目指し、国土交通省が中心となって2004年から実施している「自律移動支援プロジェクト」は、民間企業や地方自治体、チャレンジドが自主的に参加し、全国各地で精力的に実証実験を展開しているという異例の国家プロジェクトである。同プロジェクトを主導する「自律移動支援プロジェクト推進委員会」の委員長を務める坂村健・東京大学教授と佐藤信秋・国土交通省事務次官が、同プロジェクトの現在までの成果と、今後の展開について対談した。

(構成:渡辺 元・本誌編集部、 写真:石曽根理倫)

「新しいインフラ、安全・安心の概念を世界に先駆けて実現することが目標です」

[写真]坂村 健 Sakamura Ken
自律移動支援プロジェクト推進委員会委員長、東京大学大学院情報学環教授・副学環長、工学博士
1951年生まれ。専攻はコンピュータ・アーキテクチャー(電脳建築学)。1984年からTRONプロジェクトのリーダーとして、まったく新しい概念によるコンピュータ体系を構築して世界の注目を集める。現在、TRONは携帯電話をはじめとしてデジタルカメラ、FAX、車のエンジン制御と世界中で非常に多く使われており、ユビキタス(どこでも)コンピューティング環境を実現する重要な組込OSとなっている。さらに、コンピュータを使った電気製品、家具、住宅、ビル、都市、ミュージアムなど広範なデザイン展開を行う。2002年1月よりYRPユビキタス・ネットワーキング研究所長を兼任。IEEE(米国電気電子学会)フェロー。第33回市村学術賞特別賞受賞。2001年武田賞受賞。2003年紫綬褒章。2004年大川賞。
主な著書には、『グローバルスタンダードと国家戦略』(NTT出版)、『ユビキタス、TRONに出会う』(NTT出版)、『21世紀日本の情報戦略』(岩波書店)、『ユビキタスコンピュータ革命』(角川書店)、『情報文明の日本モデル』(PHP研究所)、『痛快! コンピュータ学』(集英社)、『TRON DESIGN』(パーソナルメディア)など多数

「国交省は新しい社会インフラという位置付けで推進しています」

[写真]佐藤信秋 Sato Nobuaki
国土交通省事務次官
1947年生まれ。1972年京都大学大学院修了後、建設省入省。1983年道路局高速国道課長補佐、1988年関東地方道路局北首都国道工事事務所長、1989年道路局有料道路課建設専門官、1991年道路局企画課道路事業調整官、1993年道路局企画課道路経済調査室長、1995年道路局有料道路課長、1996年道路局企画課長、1999年官房技術審議官(官房担当)、2001年1月国土交通省官房技術審議官、2002年道路局長、2004年技監、2005年8月から現職

企業・地方自治体が自らのリスクで参加

坂村 健・プロジェクト委員長 自律移動支援プロジェクトは予定した以上のペースで進んでいます。最近、「小さい政府が良い」「民間にできることは民間に任すべし」とよく言われています。それは全く正しいことだと思いますが、逆に「政府にしかできないことは政府がやらなければいけない」ということでもあります。このプロジェクトでは、国は国がやらなければできないことに集中し、民間にできることはやっていません。全ての技術情報を公開し、「民ができることは民でやる」ということを最初からうたっています。

このプロジェクトは国土交通省が中心に進めていますが、サポーター会議というものを設けています。サポーターには民間の方、地方自治体などが自ら参加し、その数は増えています。地方自治体サポーターには、30の自治体が参加しています。IT系企業を中心とする企業サポーターには約70社が参加しています。このようなプロジェクトでは、参加する民間企業や地方自治体が補助金に頼る場合が多いのですが、このプロジェクトでは自分たちでリスクを負って、「費用を負担してでもやりたい」という姿勢で参加されています。例えば、東京都では予算をとって、石原知事が先頭に立って上野、浅草などで実験を実施しています。神戸での実証実験は技術確立のための国のプロジェクトですが、そこから派生した神戸空港での実験は神戸市自らが負担しています。青森県の実験では、県が自ら豪雪地帯での利用実験を行いたいということで、始めています。その他、全国各地で実証実験が行われています。また、サポーターも基礎実験に関しては手弁当で参加しています。

佐藤信秋・事務次官 坂村先生のお考えは、「オープンシステムで、やる気のある人間が主体的に集まるから進んでいく」ということだと思います。国は最もやる気がある一員です。オープンなやり方が、産・学・官で止まらない産・学・官・民の4者協調スタイル、あるいは4者競争スタイルを可能にしています。

バリアフリーだけではチャレンジドは自律移動できない

佐藤 自律移動支援プロジェクトに対する国土交通省の期待は3つあります。1つ目は、バリアフリーからユニバーサルデザインへの展開です。単にバリアフリーだけでは、チャレンジドは自律移動できません。いつでも、誰でも、どこでも、自由に動くことができるという点では、不足しています。ユニバーサルデザインによる自律移動の可能性を大きく感じています。2つ目は、観光面での効果です。外国から来た方の多くは日本語が読めないため、自由に移動ができません。「ユビキタスコミュニケーター」と「ucode」を連携させて多言語でご案内することで、あらゆる人たちが自分で行きたい所に行けるようになります。これは外国からのお客様を迎えるホスピタリティの大事なツールとなります。3つ目は、国土管理の面での可能性です。場所情報をucodeに乗せ、国土管理や公物管理に利用できます。

自律移動支援プロジェクトの目指すユニバーサルデザインは、このように多様な可能性を秘めています。そのため私はこのプロジェクトを引き継いで2年間、国が4者協調・競争体制の中で先頭切って走るために、努力させていただいています。

[写真]坂村教授坂村 自律移動支援プロジェクトは「自律」というところに非常に大きな意味があります。ただ移動するだけでなく、人に影響を受けず、助けを借りず、自分で判断して行動、移動できることを目指しています。今、佐藤次官はすごくいいことをおっしゃいました。自律移動のためには、バリアフリーでは不十分なのです。例えば、車いすの方のためにスロープが必要だというのは確かです。バリアフリーで建物、道路が作られていることは必要条件ですが、しかし、それがどこにあるかわからなければ利用できません。つまり、情報がないだけであるにもかかわらず、設備がないのと同じになってしまいます。外国人が日本に来てどうにもならないのは、道がないから動けないのではなく、日本語がわからず、理解できる情報がないから動けないのです。同様に、チャレンジド用トイレがあっても、それがどこにあるかわからなければ利用できません。バリアフリーで作られている建物が揃っていても、情報がないため移動できないという問題を解消していくこと、それがプロジェクトのねらいです。

日本発の世界に向けた新しい社会インフラ

佐藤 国土交通省は、この自律移動支援プロジェクトを新しい社会インフラづくりという位置付けで捉えています。道路を作れば人、車、物が移動できます。しかし、情報も大事なインフラです。このプロジェクトの骨格を成すユビキタス技術は、新しい社会インフラとして日本で育み、世界の最先端技術としてそれを見に来る人たちが海外からたくさん訪れるようになることを目指しています。

坂村 今、佐藤次官はインフラということを言われました。先程申し上げた「国がどうしてもやらなければいけないこと」は、まさにそこにあります。自律移動支援プロジェクトはインフラを作る省庁である国土交通省が主体的にやっていることが重要です。ユビキタスは「どこにでもある」という意味です。現実空間の中にコンピュータ技術を持ち込めるかどうかは、現実空間の道路、建物を所管している国土交通省の取り組みにかかっています。また、国土交通省はIT、コンピュータにとってユーザーの立場です。インフラを作る省庁であり、しかもITのユーザーの立場である国土交通省が本気になることによって初めて、日本政府がe-Japan構想として推し進めてきた、情報をベースにした新しいインフラが実現できます。

21世紀の道路は、20世紀に完成された道路と同じでいいのかというと、それは違います。道路がこれからどうなるかという時に、このプロジェクトで開発しているユビキタス道路のような新しい道路を世界でいち早く実証実験し、実用化にまで持って行き、その技術を世界に出したいと思います。それは新しい世界貢献です。日本から世界に発信したインフラ系の技術開発は、今までなかなかありませんでした。コンピュータ、家電、自動車などは世界に出しても、インターネットのような概念、考え、哲学を世界に発信することはありませんでした。このプロジェクトのような新しいインフラの概念、新しい道路の概念を世界に先駆け実現するのが、我々の取り組みの目標です。おかげさまでいろいろな国から注目を集めており、特に愛・地球博で行った実証実験には、多くの外国政府の方が見に来られ、「このようなことを日本が先進的にやろうとしているのか」と非常に驚かれました。

4万個のRFIDタグをチャレンジドが実体験

坂村 2004年度から始めた神戸での実証実験は、2005年度にはさらにスケールアップし、本格化させました。RFIDのチップタグ、電波や赤外線を使うユビキタスマーカーなど約4万個を埋め込み、たくさんのRFIDタグなどを使ったときにどのような問題点があるか、実物スケールで検証を行ってきています。情報をどうやって出すのかということも重要です。そこで、障害者や高齢者の方に情報の作り方、出し方の開発に一緒に参加していただきました。空間をシームレスにカバーするため、道路から建物の中までチップを取り付け、大勢の障害をお持ちの方、それも視覚障害者、聴覚障害者、肢体不自由の方などさまざまな障害の方に体験していただき、現実に即した実験ができました。

[写真]佐藤事務次官佐藤 坂村先生のすごいところは、「物ができさえすればいい」「独り善がりのコンテンツを出せばいい」というやり方ではないことです。常に改善を繰り返され、民を巻き込み、産学官民で進めていくのは素晴らしいやり方です。2005年度の目標は技術仕様書の策定です。極めて実体験に根差した、応用力のある技術仕様書になると思います。

坂村 プロジェクトの進め方がよかったのだと思います。佐藤次官が技監であられた時から、この方向でやることをご理解いただきました。「仕様書を作ったらおしまい」というプロジェクトが多いのが現状です。自律移動支援プロジェクトのように、民の参加を最初から意識したプロジェクトは異例です。さらに国民の理解を広めるため、全国各地でデモンストレーションを行っていきます。

佐藤 私は国土交通省でよく、「検討のお化け」ということを言っています。省庁の担当者が「検討します」と言っておきながら、2、3年たってその間に担当者が異動したためまた新しく検討し直す、という国家プロジェクトは少なくありません。「ごちゃごちゃ言わずに、まず社会実験をやってみる」というのが私の方針です。国土交通省の中でも、「手をこまねいているだけでなく、社会実験、実証実験をまずやってみよう」という姿勢がだいぶ根付き始めています。まずやってみることが先です。そして結果として良い方向性が見えてきたら、集中と選択で走っていくという方針です。特に自律移動支援プロジェクトは、国土交通省という寄り合い所帯に見える省が、心を一つにして走っているプロジェクトです。

日本の街並みの顔である銀座で実証実験に取り組む

坂村 自律移動支援プロジェクトとは別ですが、大阪でICタグを利用して通学路の安全を確保する実証実験が行われています。今、不幸なことに通学中の児童をねらった事件が増えていますが、RFIDタグなどを使えば、簡単に安全が確保できます。確かに我々のプロジェクトは自律移動支援の目的で始まりましたが、応用は無限です。ucodeとuIDを使うという同じメカニズムで、そのような不幸な事件に対してのセキュリティガードが可能になります。また、建物の耐震強度偽装が問題になっていますが、この技術で建物の管理もできます。災害後建物の危険性をRFIDを手がかりに建物から設計図を読み出して現場で即評価できるだけでなく、アクティブRFIDタグと組み合わせた歪みや振動センサー機能によって、現物の建物から知らせることもできます。軍事を放棄している日本としては、食物に対するトレーサビリティや防犯、防災、交通など、軍事以外で日本の「安心・安全」のための技術開発を世界に出すということが、一種の安全保障にもなります。

佐藤 実証実験は平成16(2004)年度、17(2005)年度の2ヵ年の計画です。18(2006)年度にいよいよ全国的な試験展開に持って行きます。

坂村 佐藤次官はすごくお忙しいのに、どんどん各地の実証実験に来ていただいています。そのため地方自治体のやる気が出ています。全国展開をする場合、国だけが旗を振ってもできません。その地域の人たちが「一緒にやろう」という気にならないと、なかなか進みません。2006年には銀座で実証実験を行います。石原知事が支持、サポートしてくださっています。宣伝効果のある日本橋から銀座にかけてのエリアで大々的な実験を行うことは、全国展開の象徴にふさわしいイベントです。

佐藤 全国展開では各地域の独自性、独自プランを出していただき、各地の間でのアイデア競争となることを楽しみにしています。今後、ますますお力をお借りしなくてはなりません。よろしくお願いします。

坂村 大いに楽しみです。こちらこそよろしくお願いします。

解説 国土交通省「自律移動支援プロジェクト」の概要

あらゆる人の社会参画を可能にする情報インフラ作り

国土交通省の「自律移動支援プロジェクト」(推進委員会委員長:坂村健・東京大学教授)は、高齢者、障害者などが就労などによって社会参画できるようなユニバーサル社会のインフラ作りを目的に、2004年に開始した。道路や建物内を他人の助けを借りずに自由に移動(自律移動)するための情報にアクセスできる環境の実現を目指している。

情報提供にはRFIDタグなど最新のユビキタス技術を活用している。街の中の「場所」に与えられた固有の識別番号(ucode:ユーコード)をユビキタス・コミュニケーター(通信端末)が、そのコンテクスト(状況)情報を読み取り、ネットワークセンターにあるデータベースから最適な情報を提供する仕組みとなっている。

具体的には、次のような情報を携帯電話、インターネット、カーナビ、駅や空港などの情報端末で提供できるようにする。

  • ◎移動手段、移動経路の情報
  • ◎移動中の緊急時における支援情報
  • ◎目的地の施設内やその周辺の案内情報
  • ◎自律移動の支援システムに関する情報

このプロジェクトの特徴は、利用者である高齢者、障害者などが参加し、産官学民の連携で取り組んでいることである。

全国各地で産官学民参加の社会実験を展開

全国各地で社会実験を積み重ねていく手法も特徴である。神戸市中心部での実証実験では、道路、鉄道、港湾、公園などに、RFIDタグなど約4万個のICタグを設置して、実用化段階での実際の利用状況を想定した大規模の実験が行われている。愛知万博会場での実証実験では、多数の日本人、外国人が参加し、外国政府の注目も集めた。東京でも実証実験が実施された。上野では動物園、公園などでナビゲーションシステム、観光情報案内などを実験。モニターには地元小学生、外国人観光客も参加した。浅草では街の中で多言語対応のユビキタス観光ガイドなどを実験した。銀座での実験計画も進められている。青森県の実証実験では、厳しい気象条件下でのハードウェアを動作検証し、豪雪地帯での移動の負担を軽減できるシステムの実用化を目指す。

このプロジェクトは2006年度、さらに実証実験の全国展開を進め、実用化を視野に入れた検証にステップアップする。


手には「ユビキタス・コミュニケーター」と呼ぶ通信端末を持ち、ucodeのポイントでコンテクスト(状況)情報を伝える


電車の遅れなど、状況を即した情報が必要な個人に提供される


点字ブロックの裏面に張り付けられたRFIDタグ。白杖に組み込まれたリーダーが「ucode」を読み取る


アンテナを付けたRFIDタグ

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