朝日新聞 1999年7月26日 より転載

【ええ仕事できまっせ】(中)

原点 障害者は「働きたい」


「まき、まきたん」。重度障害の娘麻紀に、やさしく語りかける竹中ナミ=兵庫県内で

「学歴、中卒」「長女が重症心身障害児」「ニックネーム ナミねえ」「神戸出身」……。社会福祉法人「プロップ・ステーション」(神戸市)のホームページ。理事長竹中ナミ(50)はそこに、自分のプロフィルをのせている。

竹中は子どものころ、よく言えば自由奔放、悪く言えば不良で、学校嫌いだった。「男を超える強い女になれ」という母親の教育方針への反発もあり、家出ばかりしていた。高校のときに、アルバイト先で知り合った男性と暮らし始める。それが学校にばれて、退学処分に。正式に結婚して2人の子どもができた。

長女麻紀(26)の存在が、竹中の人生を変えた。

麻紀は、生まれたときから脳に障害がある。目はほとんど見えず、言葉も理解できない。一人で歩くことも難しい。つきっきりで暮らした20年間、竹中の睡眠は平均3時間だった。

目が見えなかったらどんな支えがいるんやろ。動けへんかったらどうなん。麻紀を連れて障害者や高齢者の施設に通い、独学した。

実感したのは「麻紀のように、24時間、サポートの必要な人は少ない」こと。そして、「働く意欲のある障害者が、ある時は支える側に回れる。そんな社会こそ、麻紀のような子も安心して支えてもらえるのとちゃう」と考えた。

8年前、友人の障害者やボランティア仲間と全国の重度の障害者1,300人にアンケートした。回答者の8割が「働きたい」。その道具に掲げたのが、ベッドや車いすの上でも操作できるコンピューターだった。これがプロップ結成のきっかけとなった。

パソコン1台が当時は、50万円以上した。寄付してくれる企業を探し、1992年夏から大阪市内でセミナーを始めた。一期生は5人。在宅雇用はほとんど浸透していなかった。「コンピューターで在宅勤務希望」。車いす生活のメンバーが公共職業安定所に求職票を出すと、「そんなの、あるわけない」だった。

セミナーは最初、無料にした。しかし、ボランティアの講師が時間通りに来るのに、受講生が遅れる。1年後、お金をとることにした。「なんで障害者から、お金なんや」。そんな電話もあったが、受講生の目の色は変わった。

受講生は増え、これまでの総数は300人。ホームページやプログラムの作成など、40人が何らかの仕事を経験し、10人が在宅や通勤で企業に勤めている。

支援者の一人、住友電気工業相談役の川上哲郎(70)は、障害者や高齢者もできるコンピューター制御の農業を、竹中と一緒にできないかと考えている。「口だけでなく、結果を出す。実行力がすごい」と話す。

麻紀は今、兵庫県内の病院の重症病棟に入院している。竹中が手を握り、顔を寄せて話しかけると、時折、大声で笑う。この夏のお盆は自宅で一緒に過ごす予定にしている。

(敬称略)

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