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さあ、言おう 2007年5月号より転載 |
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すべての人が誇りを持って |
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社会福祉法人プロップ・ステーション理事長 |
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「障害者イコール弱者」と決めつける福祉政策に反発。「障害を持つ人は、神から挑戦という使命やチャンスを与えられた“チャレンジド”」だと言い、障害をマイナスではなくプラスの種と捉え、自分のため、社会のために生かしていこうと、そのシステムづくりに取り組む女性がいる。『プロップ・ステーション』の理事長を務める、「ナミねえ」こと竹中ナミさんがその人だ。その強烈な個性と反骨精神に裏打ちされたパワーは多くの人を巻き込んで、今、時代に大きなうねりを起こそうとしている。 (取材・文 城石眞紀子) |
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「学歴は中卒。バツイチで障害児の母ちゃん。それに年齢と体重のハンディを加えれば、まさに五重苦もん(笑)。ああ、私のことは“ナミねえ”で、ええですよ。“竹中さん”なんて呼ぶ人は、誰もおらんねん」
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すべての始まりは障害を持つ娘の誕生から |
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今でこそ、障害者の自立支援を訴えて国の内外を飛び回り、内閣府の中央障害者施策推進協議会委員をはじめとした、30を超える委員も務めるが、
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こんなおかしな社会は変えなあかん! |
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どうすれば、障害を持った娘と楽しく生きていけるのか。慰めの言葉はかけられても、誰もそのヒントを示してはくれない。「ならば、自分で探すしかない」と、ナミねえは日々の療育のかたわら、障害児の医療・福祉・教育を独学。さらに、「障害のことは、当事者に聞くのがイチバン」と、手話通訳やおもちゃライブラリーの運営といった数々のボランティアにも携わった。 |
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目指すはユニバーサル社会の実現 |
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こうしてプロップを立ち上げ、チャレンジドの自立支援を始めたのが、1991年5月のこと。まだ、「NPO」という言葉すら一般的でなかった時代。草の根の任意団体で、発足メンバーはわずか4名。資金も虎の子の貯金を合わせて100万円しかなかったが、「達者な口と、苔が五重に生えた鉄の心臓」を武器に、ナミねえは支援者のネットワークづくりに励んだ。
「何でも自分たちでやろうと思ったら、それが足かせになって何もできんようになる。ないものはSOSを出して、お金も人材も機器も、助けてくれる人の協力で揃えばいい。プロップはそうやって、階段を一段ずつ上ってきたんです」
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