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マッセOsaka セミナー講演録集2006 2007年3月より転載 |
第62回マッセセミナー |
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ユニバーサル社会への実現に向けて |
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社会福祉法人プロップ・ステーション 理事長
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1.はじめに 皆さん、こんにちは。ご紹介いただきましたプロップ・ステーションの竹中ナミこと、ニックネーム「ナミねぇ」です。よろしくお願いします。控え室で突然、司会をしてくださるかたに、「申し訳ないけれども、『ナミねぇ』というニックネームで呼んでな」とお願いをしました。日ごろから仲間や友達、あるいは支援してくださっているかたが「竹中さん」と言うことはほとんどなくて、「竹中さん」と言うと「だれ? そんな人」みたいな感じで、全員に「ナミねぇ」と呼んでいただいているので、今日もぜひ皆さんからナミねぇの話をちょっと聞いてやろうという雰囲気でお聞きいただければうれしいです。
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2.チャレンジド(Challenged)とは 「チャレンジド」と「ユニバーサル社会」という言葉は、どちらも横文字で、横文字に抵抗のあるかたからすると「何じゃらほい?」ということなのかもしれませんが、この両方の言葉について、その意味をよく知っているというかたは、手を挙げていただけるでしょうか。まず、チャレンジドという言葉はいかがでしょうか。お二人ぐらいですね。ありがとうございます。では、ユニバーサル社会はどうでしょうか。これも少数派ですね。では、両方ともよく分かりませんというかた。ありがとうございます。
87人のかたが手を挙げていただきました(笑)。多数のかたがこのどちらの言葉もご存じないということです。
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3.阪神・淡路大震災での経験 また、その人は、「このチャレンジドという言葉は、日本で障害者と呼ばれている人たちのことだけではないのだよ。例えば、震災があって、その震災復興に立ち向かっている人たちはチャレンジドだという言い方もする」とも教えてくれました。
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4.言葉の重要性 言葉というのは非常に大きな意味を持っているのです。言葉というのは、その国の文化であり、考え方であり、哲学であり、ある意味思想なのです。その国にそういう文化や思想や哲学がないときには、言葉は生まれてこないのです。アメリカでチャレンジドという言葉が生まれたのは、その人のマイナスや不可能なところだけを見てその人の呼び方にする、その人を判断する材料にしようという考え方をやめようというところから生まれてきたことから考えて、今、残念ながら日本に障害者という言葉しかないのは、彼らのプラスのところを見ていこうという文化や考え方が定着していないことを意味するわけです。
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5.日本の福祉の考え方 皆さんに一つ質問をしたいと思うのですが、皆さんは今日、ここにいらっしゃるまでに朝ご飯、お昼ご飯を召し上がったと思いますが、白い米の飯を食べたいと思ったときに、苗代を作って、もみをまいて、稲を育てて、その育った稲を稲刈りして脱穀して精米したその米を炊いて私は食べていますというかたはいらっしゃいますか。おられませんか。どういうお米を食べておられますか。お米屋さんで買いますか。私はスーパーで二つに割ったら2膳になるような炊けているものを買ったりしますが、それが普通になっています。
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6.「Challengedを納税者にできる日本」というキャッチフレーズ 日本は、アメリカを経済のお手本にして突っ走ってきました。スウェーデンは日本の福祉のお手本といわれて、福祉大国スウェーデンと言われてきました。この二つの国が、ほかの先進国もほとんどそうなのですが、ある時期にそういう考え方をやめました。どうやめたか。弱者という人たちが厳然とこういう層でいて、その人たちに何らかの手当てをしてあげる、何らかを施してあげる考え方を福祉と言うことから、その人たちの中でできる限り弱者でない人たちを生み出すプロセスを福祉と呼ぶ。そうすることによって本当に弱者と呼ばねばならない状態の人たちを守る原資をみんなで生み出しましょうという考え方に変わったのです。スウェーデンは約35年前に変わりました。
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7.あるラガーマンとの出会い では、なぜ私がこういう考え方に確信を持てたかということですが、実はこのプロップ・ステーションを始めたときに、私と一緒にこの活動をやろうと言った一人の青年がいるのです。その青年は、高校生でラグビーをやっていました。すごく優秀なラガーマンで、大学、社会人とラグビーを続けたらきっと世界に羽ばたくラガーマンになるだろうといわれていたほど、いいラグビーセンスを持っていたのです。ところが、ラグビーはけっこう激しいスポーツで、3年生になったときぐらいの試合中の事故で、首の骨を折ってしまったのです。入院して、手術して、リハビリをしましたが、「もうこれ以上リハビリしたってどうもならんし、おうち帰り」と言われたときに、彼が自分の意志で動かせるのは、左手の指先がわずかに上下と首が左右に90度弱だけになっていました。
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8.プロップ・ステーションの始まり それに気づいたときに、私は彼に「今までの日本の福祉って、ごっついもったいないことをしてたね」と言いました。今「もったいない」という言葉が見直されていますが、何がもったいないって、人間の力が眠っているほどもったいないことはないというのが私の持論です。そういう意味で、なんて日本の福祉はもったいないことをしていたのだろうと思いました。 日本人が冷たいわけではありません。残酷な人たちばかりでもありません。むしろ心優しく助け合うという人が多いと思うのです。だから、障害のある人たちに対しても、もちろん差別もあるでしょう。けれども、いざ自分が直接にかかわったときに、自分が何かしてあげられないか、何をしてあげたらいいのだろうと思う人が多いわけです。その何をしてあげたらいいのだろう、自分に何が手伝えるだろうという気持ちは絶対に失ってほしくないのですが、その気持ちを持って着目するのがマイナスのところ、不可能なところ、自分より何々できないというところだけのときは、結果としてその人の可能性にふたをしていたということに、私は気がついたのです。それを私はもったいないことをしていたのだと感じました。
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9.活動のきっかけ では、そもそも私が彼のような人と出会ったこと、あるいは私自身がこのような活動を目指していることの理由は何かということですが、私には子供が二人います。上が男の子で今年の7月に36歳になりました。下が女の子で、この2月に33歳になりました。
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10. 娘から学んだこと ところが、自分が授かってみて分かったことは何か。先ほど言いましたように、長い年月をかけてわずかに変化する、そのわずかな変化が、上のお兄ちゃんも下の娘も、自分が産んだ子ですからどっちも同じようにかわいいのですが、この小さな変化がお兄ちゃんの変化のときよりも何百倍、何千倍、何万倍といとおしいのです。同時に、人間ってすごいものなのだ、そういうふうにして必死で生きていこうとするのだと思ったのです。
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11. プロップ・ステーションの活動 そして、プロップ・ステーションの活動が始まりました。彼がコンピュータを使っていたということもありますが、同時に、プロップ・ステーションの活動を始めるときに、全国の重度・重症といわれている人たちに、あなたたちの中でもし働きたいという人がいるとして、その働きたいというあなたにとって、どんな道具がこれからの武器になるだろうかというアンケートを取ったところ、なんと寄せられた回答の8割の人が「働きたい」というお返事で、なおかつ「これからの武器はコンピュータだと思う」と答えたのです。けれども、コンピュータを重度の障害のある人が習う場所がない。あるいはきちっとプロフェッショナルになるような教え方をしてくれる人、あるいはそのシステムがない。あるいは、もしその技術を身につけても、雇ってくれる会社、仕事そのものがない。万一会社があったとしても、自分は家から出ていくことすら大変だから、コンピュータで自分のいる場所で働くことができないだろうかというのがアンケートをとった結果でした。
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12. 写真集『チャレンジド』 プロップの活動のようすを『チャレンジド』という写真集にしたのですが、実はこの写真集の発売元は、なんとあの吉本興業さんです。吉本さんが吉本興業の芸人さん以外の写真集を出したのはこれが初めてなのですが、プロップ・ステーションの活動を『チャレンジド』という写真集にまとめてくれたのです。その写真集から抜粋したものをパワーポイントにして、この中へ入れてきました。ちょっとそれを見ていただくと、どんな人たちがどんなふうにコンピュータというものと出会い、今、お仕事をされているかが分かっていただけるかと思います。
これが写真集の表紙(資料番号0)です。このにっこり笑っているのが私の娘です。きれいな目をしているのですが、残念ながら見えていません。
娘(資料番号1)です。ちょっとこういうふうに歩く。この日はすごく機嫌がよかったのです。この写真集を出して4年近くになりますが、そのころから少し歩き始めています。これはプロップ・ステーションの本部のある神戸東灘六甲アイランドの海岸です。この日はすごく機嫌がよかったのです。機嫌がいいことはなかなか少ないのですが、この日はプロの写真家のかたが機嫌のいいところを撮ってくれました。 うれしいことです。
このかたは(資料番号2)、ウエルドニッヒ・ホフマンという難病です。枚方に住んでおられます。ちゃんと座っているようですが、実は全身筋肉の力が入らない病気で、コルセットで固めて座っています。ちょっと後ろは見えにくいですが、ここに絵筆がいっぱいあるのです。彼女は子供のときから絵をかくのがすごく好きで、絵本作家になるのが夢でした。ところが、彼女が絵をかくときには、絵筆を持たせてもらって、お水をくんできてもらって、だれかにしぼり出してもらって、そして、大きな絵をかくときは画用紙を回してもらってだったのです。ところが、プロップ・ステーションでコンピュータグラフィックのお勉強をされたことで、だれかにマウスに手を乗せてもらうだけで、思うがままに絵がかけるようになりました。これはお母さん(資料番号3)です。今は介護されているお母さん、お父さんとご一緒に暮らされています。でも、やはり彼女は絵筆も捨てていません。ゆっくりゆっくり絵筆で絵をかくことと、スピーディに絵をかいて、その絵を商業デザインや企業に納めなければいけないというときにはグラフィックでさくさくとかかれて、絵本は手がきとコンピュータグラフィックとで組み合わせて、ついに彼女は子供のときから夢だったプロの絵本作家になりました。これまでに2冊の絵本が出ていて、今は次の新作に今取りかかっていらっしゃいます。
このかたは(資料番号4)、宮城県に住んでいる仲間です。交通事故で障害になりましたが、背骨ではなく首の骨も折りましたから、やはりかなり手の不自由度が高いのです。それで、このように軽い力で操縦できる、これはよく知られていると思いますが、足で運転せずに両手だけで、しかも軽い力でハンドルで運転するという自動車で移動されながら、コンピュータのお仕事もされています。
このかたは(資料番号5)大阪の堺市のかたですから、もしかしたらご存じのかたもいらっしゃるかもしれません。生まれついての重度の脳性まひです。足と左手が拘縮といって固まってしまって全く動きません。唯一動く右手はアテトーゼで自分の意思に反して動くのです。でも、彼も絵をかくのが大好きでした。握り締めたクレヨンやサインペンでいろいろなシュールな絵をかいていました。けれども、彼の頭の中には直線も素晴らしい曲線も生まれます。しかし、それを彼は自分の手では表現できなかったのです。プロップのコンピュータグラフィックセミナーでぐんぐん成長されて、今、彼はアーティストとして非常に一流になりました。新聞社から彼に指名で絵を求められたり、企業から彼にこんな絵をかいてと言われるような人になりました。今、幾つかの仕事に取りかかっている最中です。
この人は(資料番号6)プロップの15年前に始まったコンピュータセミナーの1期生で、今はプロップの一番人気の先生です。先ほど言ったように、どんどん自分が先生になっていくのです。見てください、マウスに足が乗っています。彼のセミナーを聞いていると、面白いのです。「はい、皆さんマウスから足を離して」「そんな人あんたしかおらへんやん」と言いたいところですが、最近は足で勉強する人も増えましたから、別にギャグにもならなくなって残念です。私はコーヒーを飲むのにインスタントなのに、彼はなんと足でやかんを持ってドリップで入れて飲んでいます。一人暮らしでお料理、洗濯、掃除、全部自分でやっておられて、お料理は私の100倍くらい上手です。めっちゃおいしいです。
彼は(資料番号7)、三重県に住んでいます。大学を卒業して就職が決まったその日に、乗っていたバイクの事故で首の骨を折って全身まひになりました。彼は指先も1本も動きません。首だけがわずかに動くのですが、なんと体が不自由になってからプログラミングの勉強をして、口にくわえたキーボードでコンピュータを操作します。その彼のコンピュータの才能にマイクロソフトの社長がすごく着目して出資をしたことで、彼は今や株式会社の社長をしながら、地域の子供たちにコンピュータを教えるNPO活動もしています。
彼は(資料番号8)、仙台に住んでいます。彼も全身に力が入らない難病で、日常はお母さんの介護で暮らしていますが、プロップの優秀なSEです。こういう遠隔の人たちと仕事をするとき、私たちはインターネットだけではなくテレビ会議のシステムも使います。つまり、日本における最高の最新のIT技術を全部導入することによって、どこにいてもその人がいる場所で学べる、働けるということをプロップは続けてきました。
彼女は(資料番号9)シングルマザーで、生まれついて聞こえない、しゃべれないという女性です。訓練によってお話しすることはできますが、もちろん自分が出した声を聞き取ることはできません。ですから、本来全ろうあという状態です。子供さんとこのように過ごされていますが、彼女は漫画家を目指して必死の努力をしています。彼女の漫画ブログがこの間オンラインで発表されましたが、彼女もプロップ・ステーションのコンピュータセミナーでグラフィックを学んで、今、コンピュータで漫画をかくという世界がどんどん広がりつつあります。彼女はそれに挑戦しながら子供さんを育てています。 手が不自由な人のためのいろいろな補助装置があります。キーボードを打つこういう道具もあります。
彼は(資料番号10)プロップの最も優秀なSEです。進行性の筋ジストロフィーで、もともとコンピュータ・エンジニアでしたが、歩いて通うことが無理になり、ステッキをついて通うのが無理になり、車いすが無理になり、そして、最終的に全く在宅になって、企業で働くことは無理だと宣言されました。そして、プロップ・ステーションにご相談にいらっしゃったのですが、彼の知識を眠らせるほどもったいないことはないということで、彼は今、在宅のプロップのSEです。彼は自宅のパソコンからプロップのサーバーに入って、そのサーバーの向こうにいる何百人の人たちにアドレスを発行することから、お仕事を振り分けることから、それをチェックすることから、あるいはその人にどれだけのお仕事をされたかという計算するようなことも、リーダーとしてやっていらっしゃいます。私は口と心臓、彼は頭脳ということです。
これは(資料番号11)グラフィックのセミナーの状況です。これはクリエーターさんです。真剣なまなざしで勉強しています。
彼女は(資料番号12)知的なハンディと身体の障害との両方持たれています。最近、コンピュータやソフトウェアがかなり感覚で使えるようになってきました。知的ハンディの人もすごく勉強されるかたが増えました。かなり重い知的のかたでも、1年間ぐらい勉強すると、自分のホームページが必ず作れるようになります。最もすごいのは自閉の人です。重い自閉で対面では全くコミュニケーションの取れない人が、チャットだと普通のおしゃべりができて、コンピュータとの相性がすごくいいということは、実はこの世界ではすでに常識になりつつあります。
これは(資料番号13)なんばグランド花月の舞台です。この写真集が出たときに、「あんたら写真集出版記念に何したい?」と言ったら、「花月の舞台に上がりたい」と言いました。実はプロップには笑いを取れないやつは仲間に入れてやらないという鉄則がありまして、そういう意味で写真集の記念に舞台に上らせていただいて、面白いことをさせてもらいました。仕事をしているときと違って、何という笑顔でしょうか。
彼は(資料番号14)全盲です。1歳のときに目のがんにかかって両目を摘出しました。ですから、全盲ですが、なんと子供のときから工作大好き少年で、お父さんと一緒におふろの見張り番が世の中に出る前に、そんなものを作ったりしていたそうです。高校ぐらいからコンピュータが好きになって、私が出会ったのは大学のときなのですが、そのときには英語版のWindowsを学んで、Windowsのソフトのバグを見つけてソフトの中に入っていって、バグ取りをするようなことや、自分で秋葉原に行ってパソコンの道具を買ってきてハンダづけをして組み立てたりしていました。私は彼があまりすごいので、マイクロソフトの社長に紹介しましたら、社長が即気に入って、学生の彼とコンサルタント契約をして、Windowsがいろいろな障害の人に使えるようにするためのアイデア出しをまずしてくれという依頼がありました。大学を卒業した彼は技術センターに採用され、今は日本とシアトルのマイクロソフト本社とを行ったり来たりしている最高の技術者の一人です。日本マイクロソフトを変えたのは、この全盲の青年です。
私たちはこういう考え方を伝えるためのさまざまな大きなフォーラムをしています。いちばん大きいのは、チャレンジド・ジャパン・フォーラム国際会議 (資料番号15)で、これは今年は7月22日に多くの大臣などに集まっていただいて、東京でやりました。この大会もチャレンジドはお客さんではありません。すべてスタッフです。裏方の映像を作ったりするところから、どんな大会をして、どんな人に来てもらうという打ち合わせから、いろいろなロジスティクスから全部、彼らがスタッフとしてやります。当然、英語だって使います。
この写真集が出たときに、たまたま何社かの新聞社が報道してくれました。そのときの新聞(資料番号16)です。もう4年前になるのですね。これは、私がいちばん好きな写真なのです。その写真集に入っているのですが、こういう笑顔を見せてくれることは本当にめったにないのですが、この日は最高でした。本当にかなり長時間、長時間といっても1時間ぐらいで、彼女にとってはすごい長時間だったのですが、いい笑顔を見せてくれました。
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13. まとめ プロップは、そのかたの年齢、性別、障害の種類、障害が重いか、軽いか、そういうことは一切問いません。今、チャレンジド自身が講師をしているセミナーでは、子供が小さいからなかなか普通のコンピュータセミナーでは勉強できないとか、家族が障害を持ったから、何とかその家族と一緒にコンピュータの勉強をしたいというご家族、そういうかたがたが一緒に勉強しています。要は自分の力を世の中に発揮することが困難だ、困難だけれども発揮したいと思う人は、みんな一緒に勉強しようよねということでやっています。
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