単にチャレンジドの代表としてでなく
―― 今回の谷井さん訪米は、本誌でも紹介した「チャレンジド・ジャパン・フォーラム2001国際会議 inみえ」(谷井さんが実行委員長を務めた)での出会いがキッカケと聞いています。
谷井 そうです。講演をしていただいたウェルトンさんに、「ぼくもアメリカに行ってみたい」とお話ししたのが始まりです。
ウェルトン 私も、谷井さんにアメリカに行ってほしいと思いました。チャレンジドの代表として、だけではありません。日本経済には新しい時代を担う企業が必要ですが、まだ十分に育っていません。また、アメリカでは、日本の若い経営者がどう頑張っているのか、
まだよく知られていません。そういう意味でも、谷井さんは新しい相互理解のために適した人でした。
―― 国務省の「インターナショナル・ビジター・プログラム」による視察だったそうですが、これはどんなプログラムですか。
ウェルトン 市民レベルの交流が進むように、将来各界のリーダーになるような人を選んで、アメリカを3〜4週間視察してもらうものです。50年以上の歴史があって、日本からも多くの人が参加しています。昔、海部元総理も参加しました。だから谷井さんも将来、総理大臣になるかも(笑)。
竹中 谷井さんのような重度障害を持つ人が選ばれた例も、かなりあるのですか。
ウェルトン ありません。まったく初めてです。全世界で初めてです。
竹中 そうなんですか! 日本の官庁だったら、きっと「前例がない」という反対があったと思いますが(笑)。
ウェルトン それはアメリカでも同じです(笑)。でも、私は「これはやるべきだ」と思ったので、強くそう言って実現させました。このプログラムはNPO/NGOを得て行っていますが、彼らも谷井さんが自立した生き方をしている人だと認めると、「それなら私たちもできるだけのことをします」と言ってくれました。アメリカは自立を重んじる社会なのです。
障害を負っても一個人
―― 谷井さんは高校3年の時に事故で障害を負い、長く入院生活を送ったと聞いています。今回の視察では病院も訪ねていますが、日米の違いはどうでしたか。
谷井 ぼくは病院で、今後どう生きていったらいいのかわからなくて、4年間悶々とした日々を過ごしました。ところが、米国では入院後すぐにカウンセラーがついて、「あなたのような障害を負った人はこういう人生を送っている」という事例を示して、就労まで含めたさまざまな情報を提供していました。「障害を負っても一個人。早く自分の状況を把握して、自分で今後の道を選択してほしい」という考え方で、「そのための情報提供はする。自立の意志があれば全力で支援する」という体制ができていました。反面、自立しようとしない人には支援を打ち切るという厳しい面もありました。
ウェルトン アメリカでは、自分のアイデンティティは自分で選択することが大事だと考えられています。障害を負っても、他人の指示ではなく、自分の選択で生きることが、人間の尊厳として大事だと思いますし、非常に心のケアになると思います。
谷井 そうですね。ぼくのような中途障害の人には、とても良い制度だと思いました。
―― 谷井さんは入院中にパソコンに出会い、苦労して使いこなして、自立への道を見出したそうですね。米国の機器環境はいかがでしたか。
谷井 行く先々でいろいろな支援機器を見ました。たとえば、パーソナル・マネージメント・オフィスという政府機関では、真ん中で真っ二つに切ったようなキーボードを見ました。腕が動かない人のために、シートの両肘につけて打てるようにしたものです。政府関係の障害者雇用の情報を発信するWebを作っている女性が使っていました。彼女は、手があまり動かないときにはボイス入力も使います。そういった機器環境は、国防総省CAP(コンピュータ電子調整プログラム)から提供されたものだということでした。
ウェルトンさんが館長を務める名古屋アメリカセンターで、谷井さんの米国視察の写真を大画面で見る3氏 |
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首から下が不自由な谷井さんは、口にくわえたスティックでキーボードを操作する |
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軍事技術もチャレンジド支援に
―― 竹中さんは、CAP理事長のダイナー・コーエンさんに出会って、非常に大きな刺激を受けたんですね。
竹中 アメリカで開かれたテレワークのセミナーに講師として出てこられて、「なぜ国防総省の人が?」と思ったら、「兵士を戦場に送るのは究極のテレワークだ」と。たとえば、夜間戦闘に出るヘリコプターの操縦士は、真っ暗で何も見えない、エンジンの轟音で何も聞こえない、Gがかかって身体も自由に動かない。それでも任務を果たして帰ってくる。それを可能にする技術は、当然、見えない人、聞こえない人、四肢が不自由な人の就労支援にも生かせる。CAPは、そのような考え方で、最先端の技術を使って障害を持つ政府職員を支援するために設立されたのだとおっしゃった。
ウェルトン CAPの大事な役割は、いろいろなところに分散している支援技術の情報を集めて提供すること。一見まったく無関係に見えるけれども、実は障害者支援に活用できるという技術の情報も、それと見極めて収集・提供しています。
谷井 しかも、世界中から集めて、世界中に発信している。国連の活動にも協力している。これには、本当に感動しました。
その後、就労支援組織などを訪ねると、よく「日本にはどんな支援機器があるんですか?」と聞かれました。「日本は技術の進んだ国だから、支援機器にも良いのがあるんだろう」と思われているようで、答えに困りました(笑)。
谷井さんを受け入れた国務省の担当官(写真右端)とNPOのボランティアコーディネータ(左から2人目 左端は谷井さんのお父さん)プログラムは官民協働で行われていた |
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障害者雇用政策について語ってくれた国務省の担当官(写真左)は、自らも足に障害を持つチャレンジドだった |
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谷井さんのように口にくわえたスティックでキー入力する人のために開発されたキーボード。キーボードだけでも、日本では見かけない多種多様なものが見られた |
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チャレンジドも支援者も誇りを持つ
―― アメリカがそれほどチャレンジド支援に力を注ぐ背景は何ですか?
ウェルトン 法的な原則としては、「みんなに平等な機会を与えなければならない」ということ。これは、アメリカの社会的な哲学と言えるかも知れません。
谷井 「障害者も一個人」という考え方が徹底していました。たとえば、アメリカでも障害者の就労はまだまだ大変なようですが、ぼくが「障害者の就労は」という聞き方をすると、支援組織の人からは「障害者だからどういう仕事という考え方はしない。その人が何をやりたいか、何ができるかを考える」という答えが返ってきました。
竹中 ということは、障害を持つ人も一人の人間として自分を磨いて、「自分にはこれができる」と誇れるものを持たないといけないですね。
谷井 そうです。それと、ぼくがもう一つ痛感したのは、支援する人々の専門柱とネットワークです。たとえば、一口にヘルパーさんといっても、頸椎損傷なら頸椎損傷を専門にする人がいて、そのための資格もあるそうです。他の職種でも、出てくる人は皆スペシャリストで、自分の仕事に誇りを持っていました。そういう人たちがネットワークを組んで活動しているんです。ぼくも、そういうネットワークを作って仕事を展開させていきたいと強く感じました。
竹中 お二人の話をうかがって、日米の根本的な違いは、個人をどれだけ尊重するか、個人がどれだけ誇りを持とうとするかという点にあると思いました。だとしたら、単にアメリカの法律や仕組みを真似るのではなく、根っこのところを学んで日本の現状を変えていきたいですね。
―― ありがとうございました。
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ボイス入力でパソコンを使いこなす四肢麻痺の男性
CAPの話を聞いた後では、最新鋭軍用機の操縦席が連想される |
インターナショナル・ビジター・プログラムで
アメリカを視察して
谷井 亨
Tanii Toru
バリアフリーの進んだ街では、車いす利用者もよく見かけた。写真は、谷井さんの車いすに興味を持って気さくに話しかけてきた通りすがりの男性と |
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障害者差別を禁じた「ADA」
今回の視察では、ワシントンDC、フィラデルフィア、カリフォルニアの3ヵ所を訪れました。どこの街でも、交通機関や建物などのバリアフリー化が進み、障害者・健常者の区別なく、買い物や食事、散歩をしたりしていました。
バリアフリーについても、たとえば、「車椅子の方は別の入口からお入りください」といった“障害者専用のアクセス手段”ではなく、誰もが一緒に利用できるユニバーサルデザインが多く見られました。
そして、さまざまな立場で障害者にかかわる人々から、異口同音に「どこに行くにも障害者も健常者と同じように外出ができる世の中にしていかなければならない」という声が聞かれました。
こうした動きには、バイブルとなっている法律がありました。さまざまな障害者差別を包括的に禁じるADA(障害を持つアメリカ人法)です。視察は、司法省でこの法律の説明を受けることから始まりました。司法省では、ADAに関する相談事業や障害者差別を受けた場合の裁判支援を行っているほか、ADAに基づく建築講座なども積極的に行っているとのことでした。
以下、障害者の就労にかかわる官民の活動に絞って報告します。
企業の意識改革をサポート
アメリカでは、産業構造の変化によって高校卒業後すぐの就職率が落ちていて、労働省がこの問題の改善に努力しています。「障害を持った子どもたちの教育は特に重要。ここに力を注ぐことによって社会を変えたい」という話を聞きました。
職業訓練学校などの就労支援組織では、障害者の自立生活から就労までをトータルに教育する一方、企業の意識改革を促す働きかけも積極的に行っていました。
アメリカでも、まだまだ障害者の雇用に消極的な雇用主が多いとのこと。そこで彼らは、障害者にも職業人の基礎を十分に教育していることや、ITの進歩で生まれた支援機器によって、従来は不可能だった仕事が可能になっていることをPRしているそうです。また、障害者とのコミュニケーションを心配する雇用主も多いため、その方法なども積極的に情報提供しているそうです。「障害者も同じ品質の仕事ができる。仕事の方法が違うだけだ」と力説している、という話が心に残りました。
就労をサポートする多様な支援機器
どこに行っても障害を持つスタッフの姿が見られましたが、パーソナル・マネージメント・オフィスという政府機関では、松葉杖を突き、介助犬と一緒に仕事をする女性が中心になって、Webによる就労支援情報の発信を行っていました。内容は、政府関係で働いている障害者の実例、障害者の求人情報、障害者を部下に持った人へのアドバイスが3本柱です。
彼女は特殊なキーボードやボイス入力などの支援機器を複数組み合わせ、体調に応じて使い分けています。こうした機器環境は、国防総省のCAP(コンピュータ電子調整プログラム)という組織の支援を受けて整えたと言えます。
CAPは、政府職員が他の職員と同じように働ける環境を保障するために、支援技術の情報を提供したり、導入の支援をしたりしている組織です。日本では見たこともない支援機器を多数見せてもらって驚きましたが、世界の情報を集めて国連の活動にも協力していると聞いて、さらに驚き、感動しました。ちなみに、CAP理事長の女性も、障害を持たれた方と聞いています。
最後に訪れたカリフォルニアでは、州会議員の事務所で選挙委員長を務めている女性に出会い、電動車椅子を駆って政府の世界で生き生きと仕事をされている姿に感動しました。
充実したネットワークの力
全体を通して印象的だったのは、一つの組織で何もかも支援するのではなく、専門性を持った組織や人が、連邦政府から地域のNPOまでネットワークでつながり、連携していたことです。このネットワークの素晴らしさが原動力になって、アメリカの障害者の社会参加が推し進められているのではないかと感じました。
私も今後、こうしたアメリカの事例をヒントに、企業・NPO・行政・医療など、さまざまな分野との連携を視野に入れて、障害者の就労を推し進める活動をしていきたいと思います。今回の視察でお世話になった米国国務省、大使館、名古屋アメリカセンターをはじめとする多くの方々に、心からの感謝を申し上げます。ありがとうございました。
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