IT革命とこの10年
清原:あけましておめでとうございます。新年に当たり、今日はユビキタスネットワーク社会がめざす豊かな社会とはどういう社会か、そしてそれを実現していくために私たちは何をすればよいのかというお話をしたいと思います。
今年は、21世紀に入って3年目。パソコン、携帯電話、インターネットなどの利用者は着実に増えてきていますが、一方こうした機器やサービスが、望ましい生き方や暮らし方、民主主義の向上、一人一人の基本的人権の向上のために役立っているかどうかが問い直される年になると思います。ITが声高に叫ばれた時期を経て、自分達のために有効に使っていくための時期に入っているといえるでしょう。普及したと言っても、相変わらず存在するデバイド(格差)の問題をどう考えるか、これらを豊かさにどう結びつけていくのかという課題が残されています。
竹中:世間では失われた10年と言われますが、私たちの活動にとっては豊かな10年であったと思います。IT革命と言われているけど、いろいろな人に、それはどんな革命かと聞くと答がない。強い人がもっと強くなる、あるいはお金を持っている人がもっとお金持ちになるということでは、革命とはいえないでしょう。片隅の小さな声がITで社会を動かすようになるとか、障害者・高齢者を含めて誰でもがチャンスを掴むことが出来る、という方向に使われて初めてIT革命といえると思います。ITが社会参画のための道具、これまで働けないと言われていた人達の働く努力を引き出す道具になっていくとしたら、それはまさしく革命です。私はプロップ・ステーションの活動を通じてこうしたことに携わることができた10年であり、精神面において豊かな10年であったと言えます。
清原:プロップ・ステーションの活動では、障害者がパソコンを使えるようになることで自らの考えを表現できる、欲しい情報を入手できる、さらにネットワークで他の人や他の組織とつながることができることをめざしています。障害のある人にとっては自己表現にとどまらず、他に何かを伝えることに意味があります。また、障害者が就業できる、社会に参加できる、あるいは社会的責任をとることができるようになることが大事です。そのための基盤としてパソコンやインターネットが有効であるわけですが、竹中さんは、その研修を基礎にして、障害者の情報利用能力を培い、社会的責任や職業的自立の向上を支援してこられたわけです。しかも、それはプロップ・ステーションという狭い社会に閉じていないで、機器とソフトメーカー、障害者を支える人、地域社会などに働きかけて大きな社会的活動に育ててきたというのは素晴らしいと思うのです。これは、地域に閉じることなく、全国に広がっていき、さらには世界に広がっていこうとしています。ITは、健常者にとっても多少使いにくいところがあり、障害を持つ人にとってはもっと使いにくい、覚えにくい、ということがあります。プロップ・ステーションの活動は、それを工夫して使いやすくすることによって、同じ社会参加のスタートランに立てるということを示した12年であると思います。だからこそ社会的に共感を呼ぶのでしょう。情報通信機器が使いやすいものであることが望ましいことは言うまでもないですが、そうはなかなかならないこれまでの取り組みで、忘れてはならない課題を挙げるとすればどのようなことがありますか。
障害を持つものにとってITは人類が火を発見したようなもの
「プロップ・ステーションはコンピュータを活用して、障害を持つ人(challenged:チャレンジド)の自立と社会参加。とりわけ就労の促進や雇用の創出を目的に活動する社会福祉法人です。」 |
竹中:意識と制度の両面があると思います。これらは背中合わせの関係にあるもので、意識が変わって制度を変えていく。制度ができたから意識が変わるということもあるでしょう。我が国の科学は、多数の人の中に眠っている才能を引き出しきっていないと思います。これからの日本は少子高齢化社会になるので、こうした能力を引き出さない限り成り立ちません。それを支援する制度が出てきて欲しいと思います。意識と制度が合致してはじめてITという道具に、あたかも哲学が付与されるようになると思うのです。
清原:私が住んでいる東京都三鷹市では、市長と市民が契約をして、市の基本構想を作ることにしました。この基本構想づくりには375名のボランタリーの市民が参加しましたが、このなかには18歳の大学生から80歳代の高齢者まで含まれています。6割くらいは男性で、働いている人も多かったです。昼間仕事をしている人は、市民としての活動をしたくても、仕事のためできない時がありますよね。市民活動に参加できなかった会議については、例えばホームページ上の議事録でフォローできるようなシステムを作っておけば、こうした人達の参加も十分可能なのです。こうした行政に対する市民参加は、障害の有無にかかわらず、条件が不利な部分を補う仕掛けを作ることによって促進されるものなのです。ある場合には自ら社会参加の仕掛け人になることも可能です。障害を持つ人にも就業していただき納税者になってもらおうという考えは、難しいことですがめざすべきビジョンの象徴です。ITの使い方によって、今までの社会の負の部分を補えるということだと思います。
竹中:私が今の活動を始めたのは、12年前です。当時家庭でのパソコンの普及率はゼロでした。企業の特殊な人か、おタクしかパソコンを使っていない時期に、重度の障害を持つ人がパソコンを使って通信を行い、仕事を始めたのです。フロッピーディスクがまだ1枚3,000円もしていた時期に、パソコンをすでに利用していたのです。自分がパソコン好きだからやったというわけではなく、全国にアンケートをとったところ、パソコンがあれば仕事ができるという回答が多かったので、チャレンジド(障害を持つ人)自身がやりたかったからできたことなのです。つまり、自分がやる気になって初めてできたことだと思います。
清原:人は誰でも良くなりたいと思う気持ちを持っています。つまり、自分の能力を発揮したいという欲望を持つ存在であるといえます。しかし、一方ではそうは思ってもできないかもしれないという不安もあります。特に障害を持つ人達は自己抑制もあるし、遠慮なども人一倍強いと思います。しかし、例えば筋ジストロフィーの患者さんは、若い十代の男性が多いのですが、入所施設や病院に入っている人でも、パワフルにパソコンを使っている人がいます。また、スポーツや演劇などいろいろな活動を行っている人もいます。そうした例を知る時、躊躇する障害者の背中を一押しして、パソコンをむずかしいと決めつけず、使うことに遠慮する必要はないですよと勇気づけることが重要だと思います。
もう一つ重要なことは、日本でユニークなソフトウェアなどの仕掛けを作った人が、竹中さんをサポートしたことですね。そういう人は、いろいろな工夫をして、障害者の奥に眠っていた才能を引き出す力を与えたと思います。
竹中:障害の程度が重度であればあるほど、そうした人にとって、ITは人類が火を発見したようなものであり、自分にとっての文化でもあるのです。閉じ込められていた情熱がITによって開放されることになったのです。
清原:それこそが「革命」だと思います。力を持っている人が言うから革命なのではなく、今までとは違う価値観や生き方が開かれることが革命なのですから。「チャレンジド」はそれをいち早く経験したと思います。そのことによるプラスの影響は、パソコンが以前より使いやすく、軽く、エネルギー消費が少なく、楽しさをも付加したモノになったことだと思います。他方でプライバシーやセキュリティなどの問題も出てきました。ユニバーサルデザインやアクセシビリティということが叫ばれていますが、私は、改善が進んできたとは言っても、まだ工夫が必要だと思っています。竹中さんは、こうしたら使いやすくなるというお考えを何か持っていますか。
竹中:私が思うのは、人間は弱い生き物だからこそ科学技術が発展したのではないか。新幹線、飛行機、ネットワークなど、科学技術は人間の不可能を可能に変えてきたし、ゼロの概念の発見もそうだと思います。同じ人類の中でも、社会や科学の発展に役立つのは「障害だったり解決困難なこと」なのです。世間の人はすぐに「かわいそう」と言うけれども、かわいそうであるかどうかは社会によって決められるものではないはずです。不可能なことを可能にするために科学が発展してきたという観点からすると、不可能が一番多い人(=障害者)にとってはそれだけ可能性が大きいと言えます。科学技術の発展に貢献するのだと言えます。
清原:日本には美しい自然と共に険しい山もあります。中山間地、離島などにも人は住んでいます。そういうところには光ネットワークがきていない。このように、地理的条件が不利な場所も依然としてあるのです。ITのメリットがどう活かすかを研究していくことで、科学技術が進むのだと思います。しかも単にサービスが提供されるということではなく、低コストでないとダメです。条件不利な場所でも使えるようにすることを研究することが技術の発展に結びつくのだと思います。身体障害者や知的障害者は、ITへの対応が困難であるが故に、障害があっても使えるもの、あるいは使いやすいものを作っていくことが科学技術の発展に結びつくのではないでしょうか。
言語にみられる情報格差も解消しないといけないですね。方言も大事だし、言語の多様性を残しつつ、言語の情報格差をどう無くしていくかも考えないといけないですね。伝えるメッセージを視覚化して伝えるというようなことも考える必要があります。表現して伝える手段としては、文字(テキスト)、話し言葉、絵文字、写真などの画像まで多様なものがあるけれど、こうした多様な可能性を日常的に使えることが必要だと思います。
コミュニケーションの真髄は何か
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竹中 ナミ 氏
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竹中:人間はコミュニケーションが欠かせない生き物であり、そのひとつの道具としてITもあるけど、生のコミュニケーションをなくしてしまってはあきません。この情報処理能力は大変優れていますが、私はフェース・ツー・フェースの方がずっと好きです。フェース・ツー・フェースがあって、はじめてハートとハートのつきあいができるんですよね。でも、距離が離れているとか、すでにお互いの性格が分かっているとか、急いで連絡したい時とか……コンピュータが必須であることも事実です。
清原:人間のコミュニケーションの真髄は何かというと、「会うこと」、「時間と空間を共有すること」です。車いすの方など移動が困難な人が、今すぐコミュニケーションしたいということであれば、電話やインターネットを使えばいいのですが、多少の困難を克服しても会いたいという場合もあるので、交通のバリアフリーも必要になります。仕事は在宅でも、サテライトオフィスでも良いと思うのです。介護、育児で通常の勤務形態の仕事に就けない人もいるわけで、こうした人の就業をITがサポートしてくれるようにならないといけないのでしょう。
竹中:自己実現とは、自分が何かをしたいというモチベーションを達成したことによって高まると思います。モチベーションを達成するためには、自分の気持ちを出せる場所が必要ですよね。辛抱したり、自分を抑えているような場所ではなく、こうしたことをとっぱらえるような場所があることが重要だと思います。その次のステップでは、音楽を聞きに行くようなことも含め、広い意味での勉強に向けての場所があることと思います。こうしたことが全員に平等に提供されている、あるいはそういうチャンスが用意されていることが大事なんです。
清原:今の子どもはもっと実体験をする必要があります。コンサート、演劇、本、落語、演芸など、いろいろなところに連れていって、子どもに感動する機会を提供する。そういったチャンスをあげないといけないのでしょう。その場合に、大人も一緒に行くことも重要です。実は、大人も自分の中の価値観を眠らせているところがあるはずです。ネットサーフィンと騒がれていますけど、実社会の現場を訪ねることも非常に重要だと思います。
竹中:そういえば、ネットサーフィンという言葉は最近余り使われなくなりましたねぇ。
清原:数年前のネットサーフィンは、確かに「入り口の刺激」を与えてくれました。しかし、技術的にみれば、ネットワーク社会はもっと心の中にまで入る力を持っているはずです。だからこそ実体験とのバランスが重要になります。農村と都市の交流も重要で、農村、都市がそれぞれ自立することが大事と思います。日本はもっと人が動いて交流を深めるべきですし、五感を敏感にするための体験も必要だと思います。
竹中:確かに、皮膚感覚も薄れてきましたもんね。ところで、コンピュータが普及すると田舎が発展し、過疎地が過疎地でなくなる、といわれてきましたが、これは言葉のまやかしで、ITも結局は東京、それも大手町に一極集中していますよね。高速道路を全国に張り巡らせれば田舎が発展するとも主張されてきましたが、これも逆で、若者が高速道路を使って田舎から出て行ってしまう。自分の居る場所以外のところの情報が手軽に入手できることで、魅力的と思われるところがあればそこに人が集中してしまうっていう問題は、真剣に考える必要があると思います。
国のビジョンに対して、国民が知恵を出す
「challenged(チャレンジド)というのは「障害を持つ人」を表す新しい米語「the
challenged」を語源とし、障害をマイナスとのみ捉えるのでなく、障害を持つゆえに体験する様々な事象を自分自身のため、あるいは社会のためポジティブに生かして行こう、という想いを込め、プロップが提唱している呼称です。」 |
清原:最近、修学旅行が変わってきているようです。昔は臨海学校とか林間学校がありましたが、今は調査体験をする野外教室に変わってきています。高校の修学旅行では海外に行くケースも見られますね。しかも、旅行先では教師による特別なアレンジをしすぎないようにしており、生徒の冒険も許しています。農村、漁村、森林を守る体験など、山村留学なものもあります。教室の中だけでは教育は完結しないという考えに基づいたものです。e−ラーニングと言われますが、それだけではだめで、寒さ、暑さ、ひもじさなどの皮膚感覚は体験しないとわからない。これを進めると、農村と都市が互いを意識するようになります。また、農村間の交流でもいいでしょう。同じ作物を沖縄と北海道に植えると、育つ背丈が異なるのです。子ども達にとっては、皮膚感覚の他に、「比較の目」を持つことも重要です。違いがわかってはじめて自分が発見できるといえます。これはネットワーク型社会に向いていることです。政府はe−Japan戦略で、2005年までに世界最先端のIT国家にするといっており、現在その見直し中ですが、大きく変わるのは、基盤整備の重視という段階から、利用者・消費者の観点から望ましい姿を示す方向に行くと思います。2003年はその具体化の第一歩になるはずです。より利用者の視点が強く出てきます。これは、国のビジョンに対して、国民が知恵を出すということにつながります。
竹中:しかし、言っちゃ悪いけど国の出すビジョンにはたいしたものがないですね。だから「国にビジョンを出して欲しい」と考えるのは情けないことです。(笑)
清原:国家的な基盤を整備するのはよいのでしょうが、同時に使う側の自由を確保することが重要なのでしょう。ところで、竹中さんが運営しているプロップ・ステーションで、ITの面白い使い方は何かありますか。
竹中:プロップ・ステーションの事例はどれをとっても結構すごいですよ。たとえば、プロップでプログラミングの勉強をし、今は四国の施設に入っている重度のチャレンジドの事例なんですが、彼はプロップで仕事をしたかった。でも両親を失ったために介護をしてくれる人が居なくなり、四国の施設を転々としたのです。なぜかというと、施設の中からネットワークに接続して、プロップ・ステーションのメンバーとして仕事をしたいと考え、自分でコストを負担すると言っても回線を引くことすら自由にさせてもらえない規制があったんです。そうした時に、徳島にこれから施設を作るという話があって、県庁の人に相談した結果、彼の希望をきちんと受け止めてくれる職員にであって回線を確保してくれた。彼はその施設に入って、ネットにつないで仕事ができることになり、今はプロップの優秀なスタッフです。本人の意思、それを遂げさせる道具、理解を持った人、それと介護力がそろえば、今後、彼のようなチャレンジドは間違いなく増えてくると思います。家族介護が受けられない人もこれから増えることが予想されるので、福祉施設を、働くことの出来る場所にすることがますます重要になることは間違いないですね。
清原:今紹介された例は、これまでの慣例からするとなかなか実現しなかったことですが、声をあげれば確かに変わる状況になってきました。実は、病院も同じ状況にあるのです。一般に病院では、通信機器は医療機器に障害を与えるから使わないようにされていますが、実は病院だからこそネットワークを使いたい人が多いはずです。福祉施設や病院がネットワークに関する規制を見直して、ニーズに即した通信環境を作り上げ、そのための技術開発をしていくべきでしょう。ちょっとした問題提起が制度を変える例もあります。現在の日本の選挙制度は自書主義です。この制度である限りは、字を書けない人は代理投票しかできないのです。これは、秘密の確保と参政権の保障がぶつかり合うテーマです。近年公職選挙法の特例が通って、タッチパネル方式の電子投票が可能となりましたが、そうなると今度は、逆に視覚障害者の人がタッチパネルでは投票が難しいという問題や、候補者が多数いる選挙では難しいという問題が出てきます。だから、タッチパネルはだめだというようになって欲しくはないですね。今までの法律や規制でも、ある程度の我慢をする代わりに機会を広げる可能性があることについては、実情を丁寧に聞いて変えていくということが必要です。社会福祉施設のネットワーク環境の整備、病院の改革、投票制度の改革など、いずれも丁寧に利用者の話を聞いて創意工夫をしていけば解決するテーマだと思います。ほかに、竹中さんの活動でバリアになるような問題は何かありますか。
働き方の提案は、生き方の提案
竹中:働くことに関して言うと、定年制や男女差の問題がありますね。雇用機会均等法が出来て、男女の差の問題は少し前進しましたが、今の定年制は、単にリタイヤする年齢を上下させるくらいでしかないでしょう。少子高齢化の時代に、どんな人であっても、持てる力を出して働くことができるよう、つまり、年齢、性別、国籍、障害の有無に関係なく、能力を発揮できるような仕組みが必要ですね。
清原:これまでの日本は、画一化した働き方を前提として仕組みができ上がっていたと言えます。雇用者の側は、出産、育児、介護など、働く側の状況に対応した働き方をアレンジすることが少なかったのです。NPOが示してきたことは、公共的な仕事は役所以外でもできるということでしょう。同時にNPOは、働き方にも工夫をこらしているのです。
竹中:NPOでは、今までの企業や官庁での働き方や、そのための制度を超えたものを生み出しつつありますね。
清原:NPOの実績が見えてきたことは大きいですね。新しい働き方を作り上げる組織として、ITを活用することができるはずです。フルタイムで働ける時期、リフレッシュした方がよい時期、こうした組み合わせを働く側が自主的に選択出来ないとだめでしょう。12年間のプロップ・ステーションの取り組み、チャレンジドの活動は、それまでにない働き方の提案をしたことに意味があると思います。
竹中:そう、働き方の提案は、生き方の提案でもあるのですから。
清原:それが重要です。住まう、暮らす、働く、学ぶ、と言ったことの総合的な提案ですね。フレキシビリティが重要なのはわかりますが、それをどの程度共有するかによって、社会の民主主義の成熟度が見えます。豊かさの度合いは所得だけではないでしょう。自己実現の度合いだけでもなく、ある場合には我慢、譲り合い、他者への配慮、思いやりなどを、どれだけ多くの人が許容できるか、それが豊かさということがあると思います。
竹中:プロップ・ステーションを支援して下さっている人の中には、日頃何百億円のビジネスをしている人から、重度の障害を持った人までいます。何百億円のビジネスをやっている人がいつもいきいきとしているかというと、必ずしもそうではないでしょう。目的を明確に持ったチャレンジドの目が光っていることもあれば、明日どうなるかわからないビジネスマンも居るというような今の時代を考えると、自分の幸せは自分で決めるというのが一番であると思います。プロップの仲間である筋ジストロフィーの男性3人の事例をお話しましょう。3人は、結婚観が全く違います。一人は健常者と結婚したいと考えています。もう一人は遺伝的な病気なので、結婚はしないと言い、恋愛感情もおさえています。あと一人は同じ病気で励まし合える人と結婚したいということで、筋ジストロフィーの女性と結婚してお子さんも生まれました。筋ジストロフィーという遺伝的な要素を持っているチャレンジドでも、一人一人の価値観や意識はそれぞれ皆違うのです。しかし、キーワードでくくるとそれが見えなくなってしまうのです。人は皆違うということを毎日知らされながら、今の活動ができていることは幸せです。
清原:障害があろうとなかろうと、機会の平等をどれだけ保障できるかで社会の成熟度が計れることになります。社会全体で、使える機会を平等に保障していくことを考えていくことが重要です。場所と時間だけのユビキタスではなく、働ける、学べる、遊べるなど、機会の平等としてのユビキタスがなくてはいけないのだと思います。その中で、能力と努力はきちんと評価して欲しいと思います。機会が平等であれば、結果は必ずしも平等ではなくても、人間は納得するのです。やったことを正当に評価する、出来なかったことは出来なかったこととして評価することが重要です。これは高齢者にもいえるでしょう。
ユビキタスネットワーク社会と呼びたいもの
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清原 慶子 氏
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竹中:日本には敗者復活戦「セカンドチャンス」がないですよね。働くことが「若くて元気に動き回れる」といった層を中心とした一律のシステムで決まってしまっています。そのシステムの中で得られる税金だけで、今後の日本は乗り切れるのかどうか、これは大いに疑問です。私は、30歳になる娘がいわゆる「重症心身障害者」なので、彼女のような存在を、生かし、譲っていける社会とは何かを考えた時に、「これは、しっかりした経済力と、そんな人たちを譲っていこうという意識、国民のコンセンサスがないと実現できない」ということがわかりました。そういうことを経験している私としては、自分が死んだ後も社会が娘を譲ってくれるための経済的裏付、意識、制度を生み出すためにプロップを始めたわけです。ですからプロップの出発は「母ちゃんの我が儘」ですね(笑)。でもこのプロップの活動から、年齢、性別、障害の有無をとりはらった働き方を生み出すことができれば、多くの人が誇りを持って働くと同時に、障害や老いを恐れずに生きられる社会が創造できるのじゃないかな、と考えています。こうしたミッションに多くの賛同を得られるようになってきたことを、とても嬉しく思っています。
清原:民主主義という原理は、誰もが尊重されるということです。人を信じる、一人一人を大切にするということは甘いことではありません。厳しいことですが、そういう社会を作ることができて初めて人間といえます。障害を持っている人が、できる限り多くの選択肢の中から自ら選んで生きていくことが可能になって、初めて他の人が生きられると言えます。ネットワークは、他者を知り、自分に飛び返ってくる道具ですから、そのための道具として有力です。どろどろとした問題があることも事実ですが、誰もが自立的に生きる仕組みを作っていくことが民主主義ではないかと思います。21世紀に言ってもそれを言い続けていきたいと思っています。竹中さんのすごさはそこから昇華したことで、自分が動きつつ、止まらずに、チャレンジドの多様性と魅力を隠さずにあばき出したことでしょう。その圧倒的な生命力が感動を呼んでいるのだと思います。
竹中:自分が何かに失敗した時に、それでもあなたが必要である、といわれるのは誇れることでしょう。何かあった時に、切られてしまう社会にしてはいけないのです。現在、ミクロで見ると人は余っていますが、10年経てば人は不足するのは間違いない事実です。そのための道具としてITが使えないなら意味がないでしょう。
清原:大事なときに電話やメールをしてくれる人がいる、その人の存在が自分のためにだけではなくても良い、ただ声をかけてくれるだけでも良い、かけがえのないそういう人がこの世に存在していることの重みが重要なのだと思います。竹中さんが娘さんをここまで育てているということをきちんと認識できる社会にならなくてはと思います。それが「人の命の重み」というものでしょう。それは働いた時間では計れない重みであるし、そういう重みが見えてくる社会をユビキタスネットワーク社会と呼びたいですね。
竹中:人間の本能や欲望をかき立てる文明が重要視されるのもわかりますが、ビジネスがそこだけに向かっていってしまっているのは非常に残念ですね。
個人が変革しない限り社会は変わらない
清原:竹中さんの事例をもっと世間に伝えないといけないですね。2003年に特に意識して力を入れたいものは何かありますか。
竹中:ここまで政治の話ができませんでしたが、今の政党政治は崩壊していますね。そうした中では、道具としてのIT、情報交換するためのITがますます重要性を増すと思います。総理大臣の一言も、チャレンジドの言葉も、スクリーンの上では同じです。こういう状況にあっては、政治、行政、企業など全てが変化していくはず。社会は個人では変えられないといわれていますが、個人が変革しない限り社会は変わらないでしょう。今やインターネットの発達により(負の発達として)たとえば最重度の障害を持ったチャレンジドが、犯罪者になりうる可能性もでてきましたが、これはITの非常に恐い一面です。相対して人をナイフで突き刺すということとは別な怖さがありますね。匿名の誹謗中傷などで人を傷つけるような犯罪や、高度の技術を使って信号システムなど社会の安全を維持する装置を壊すことすらも可能になっていますから。道具であるITをどのように使うかは、まさに人間の叡智と国家のポリシーが問われる部分だと思います。
清原:行政への参加は、国のレベルでもパブリックコメントなど整備が進んでいます。e−デモクラシーといった動きが三重県などで見られます。多くの政治家が自分のホームページを持っているし、国会もかなりの情報も流しています。司法の世界では裁判員制度の検討も行われており、刑事裁判に市民が参加するしくみが検討されています。けれども、情報量は豊かになりましたが、誰でも参加できるかということになると、別問題です。政治、行政、司法への参加が進められようとしていますが、ITはその手段として有効であるといえます。しかし、使いこなす時のマナーや正義の問題などが重要になってきます。竹中さんのように、正しい倫理観を持ってお互いを尊重しながら社会参加できるか、また、その時に、さまざまなことを皆で共有しながら進めていくことができるかといったことの重要性が問われているのだと思います。
竹中:プロップは施設を持たない第二種の社会福祉法人なので、運営の前提に補助金というものがありません。きわめてNPO的な自助努力型の組織です。CIAJも所轄官庁に縛られない法人とお聞きしています。今年は、こうした「縛りのないこと」の利点を活かす活動が社会を変えるパワーを持つじゃないかなぁという気がします。お互いに頑張りましょうね(笑)。
清原:私もそう思います。改革を本当に実現していくためには、既成の組織、価値観にとらわれない前を向いた提案が必要ですね。CIAJもぜひ前を向いた提案の発信をしていただきたいと思います。これはCIAJに対するエールですね(笑)。新しい1年に向けて、お互いに是非がんばっていきたいと思います。
どうも、ありがとうございました。
<出席者プロフィール>
清原 慶子 氏
東京都武蔵野市出身、東京工科大学メディア学部学部長・教授
内閣府IT戦略本部専門調査会・総務省情報通信審議会委員・内閣府障害者施策推進本部参与 他
著書「通信・放送の融合 その理念と制度変容」(共編著)、「情報生活とメディア」(共著) 他
竹中 ナミ 氏
神戸市出身 社会福祉法人プロップ・ステーション理事長
1999年「エイボン教育賞」、2002年「総務大臣賞」、財務省財政制度審議会専門委員・総務省情報通信審議会委員 他
著書「プロップ・ステーションの挑戦」筑摩書房刊 他
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