作成日 1997年1月5日
特別寄稿
テクニカルライターがスペインで考えた
旅行ガイドブックとマニュアル、
その悲しきアナロジー
檜山 正幸
hiyama@HMO.iijnet.or.jp
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●檜山です
みなさん、こんにちは。檜山と申します。私はテクニカルライティングを生業としています。テクニカルライティングって、ご存知ですか? マニュアルや取り扱い説明書なんかを書くショウバイなんですけどね。先日、ナミねぇに、「テクニカルライティングをネタに、ひとつなにか」と原稿を依頼されました。そうこうしているうちに、個人的な旅行に出かけてしまい、こうして遅れた原稿を、編集長・桜井さんの催促を恐れながら、コソコソと書いているわけです。コソコソ、コソコソ。
旅行は、スペインに観光で行ってきました。この旅行の話でもしましょうかねぇ。えっ、なに? テクニカルライティングに関係ねえじゃねえかって? いや、意外とそうでもないんですよこれが。まー、しかしそもそも、他人の楽しい旅の話を聞いていると、「あー、はいはい。それは良かったですねー。けっこう、けっこう、もうけっこう」と言いたくなるものです。が、私の話は、いたって不愉快(コノヤロー)な思いをしたことですから、安心してください。
●スペインのグラナダに
やってきた
スペイン、遠いですよー、アソコは。飛行機で十数時間もかかります。出発するその日、成田空港行き急行に乗る40分前まで、私は原稿を書いていました。その前2日間ほどは寝ていなかったので(テクニカルライターの日常)、飛行機の中ではグッスリ眠れました。おかげで、時差の調整も自動的にできて、テクニカルライターの生活って、まぁなんて素敵なんでしょ。
さてともかく、スペインの南の街グラナダという所にやってきました。グラナダには、アルハンブラ宮殿という有名な観光スポットがあります。そしてもうひとつ、アルバイシン地区というのも観光案内に載っていました。アルバイシン地区は、たいへん古い街なみが残っている一画で、昔ながらの家や教会、路地を見ることができます。グラナダの一日を、アルバイシン散策で費やそうと計画したのですが(そして、実行したのですが)、いやっ、とんでもないことになりました。
●アルバイシンで迷って、
怒ったぞ
私はみなさんにハッキリと言っておきたい。ガイドブック(旅行案内書)なんて信じたらいけませんぜ! そうなんですよぉ、信じた私がばかだった。ガイドブックにあったアルバイシンの地図は全く当てにならない。ガイドブックには二つの地図、その二つが食い違っている。距離の違いならともかく、道のつながり具合が違うってナニ?! どっちを信用していいか分からん。実はどっちも実際とは違う。「お勧めコース」は書いてあるが、そのコースは地図からはみ出しているしぃ。実にみごとに役立たなかったわけです。
実名を出しましょう。『JTBのフリーダム-(13) スペインポルトガル自由自在』(ISBN4-533-01515-8)です。責任者出てこーい。奥付によれば、編集人黒澤明夫、あんたが責任者か? オイッ、編集人黒澤、わしらはアルバイシンで一日迷い歩いて(ホント)、あやうく餓死しかかったんだぞ(これはウソ)、どうしてくれる。
名指しでモンクたれるからには、いくつか補足説明を加えておかねばなるまい。まず、シリーズの案内書といえども、それぞれの分冊ごとに作るスタッフは別だったりするわけで、『JTBのフリーダム』シリーズが全て悪いとは言わない。さらに、『スペインポルトガル自由自在』の、アルバイシン案内がヒドイのを指摘したいのであって、他の部分は知らん。さらにもうひとつ、アルバイシンの案内は本質的に困難だということもよく分かる(道がすごく複雑)。なにしろ私は行って見てきたんだから、よーおっく分かる。それを考慮した上でも、私はちょっとイカっちゃってるもんね状態なんです。
●教養と蘊蓄はタップリの
ガイドブック
どうも旅行ガイドには、「教養型」と「現場実践型」があるようです。教養型というのは、その土地の歴史・文化などの蘊蓄を、いろいろと集めたもの。旅行に行く前や、ホテルに戻って読むには適していますね。一方、現場実践型というのは、歩き回る時に役立つものです。
思うに『スペインポルトガル自由自在』は、教養型としてはいいかも知れない。いろいろな知識が含まれていて役に立ちます。例えば、フラメンコに関する解説の気合いの入りようといったら‥‥(ちょっと、りきみ過ぎな気がするくらい)。
フラメンコとは言うなれば粋さ、伊達、そういった気持ちの有り様、生きる姿勢なのです。
ヘヘーッ。日々、かくたる「生きる姿勢」もなくすごしている私なんぞ、恥じ入るばかりの迫力。それに、体験談コラムなども入ってますよ。
スペイン村(入場料)は750ペセタ。高い割に見る価値なし。スペイン全体のミニチュアで、作りがセコい。
なっ、なにもそこまで言わなくても。本文でのスペイン村紹介の立場はどうなる? さらに、闘牛用の牛の飼育法まで書いてある。まー、これ読んだだけで牛飼うのは多少難しいかも知れないが。
というわけで、実際私も、事前に『スペインポルトガル自由自在』を楽しく読ませていただきました。しかし、『スペインポルトガル自由自在』は、教養型であるよりは、むしろ現場実践型であることをうたっているではありませんか。冒頭にいわく
できるだけ自由に、できるだけ安く、できるだけ長く旅をしたいという自律心旺盛でアクティブな個人旅行者のためのガイドブックです。
こう言われりゃ、この本片手に街を歩けるかと思ってしまうじゃないですか。でしょ、みなさん、そして編集人黒澤よ。
●地図いのち、文字数に
目がくらむテクニカル
ライターぞ悲しき
『スペインポルトガル自由自在』が現場実践向きでないことは、地図、イラスト、写真、それらの相互参照が無闇と不足していることから明らかです。例えば、『地球の歩き方』シリーズ(ダイヤモンド社)と紙面を比較してみれば一目瞭然。もっとも、紙面が黒っぽい印象を、「なんだかいっぱい字が書いてあって得だなー」と思ったのはこの私ですけど。「1文字なんぼ」の単価計算なんかしてるから、ページに字がたくさんあると嬉しくなるなんて、あー、テクニカルライターの悲しきサガよ。
地図にリンクした情報がないといかに不便か。例えばレストランの案内。『スペインポルトガル自由自在』では、店の名前と大雑把な住所、そして電話番号が書いてあるだけ。一見、それで十分じゃないかと思うでしょ。でも、実際に探そうとすると、この情報では全く不十分なことが分かります。国内でさえ、「渋谷の道玄坂付近の××レストラン」、これだけで探せますか? (編集人黒澤、どう?) たまたま知っているとか、通り付近をしらみつぶしに探す根性がなければ、まず無理。ましてや外国でっせ。電話でお話できるわけないじゃん! わしらスペイン語じぇんじぇんしゃべれません。飛行機のなかで、「こんにちわ」「ありがとう」と、1から5までの数を憶えただけなんだから。
●檜山版
「アルバイシンの歩き方」
実際に行ってみたこの私が、アルバイシン地区の歩き方について、現実に即したアドバイスをするなら次のようになるでしょう。
旅行者が自力で迷わずに歩くことはほとんど不可能だと覚悟してください。迷路のような道で、通りや広場などの名前を識別するのは非常に困難です。特定の目的地を決めず、ランダムに道順を選んで、どこにたどり着いても文句を言わないつもりなら楽しめるかも知れません。永久に戻れないとか、野たれ死にすることはないでしょう。しかし、時間と心の余裕は必要です。方向感覚と根性に十分な自信がある方は、詳細で正確な地図を別途手に入れ、目的地を目指しチャレンジするのもよいでしょう。力いっぱい断言しますが、簡単な地図で歩ける場所ではありません。
否定的すぎるって? でも、「スペイン村は見る価値なし」なんてコメントを載せてるんだから、このくらいホントのこと書いてもいいんじゃないの。
●ガイドブックって、
ずいぶんじゃないの
旅から帰ってきて、たまたま旅行ガイドブックを編集・制作したことがある人とお話をする機会がありました。なんと驚くことに、現地に行かないでガイドブックを作ってしまうこともあるそうです。大使館、観光局への取材と、現地で出版された案内書などの資料からでっち上げる。たまたま手に入った写真に、想像でキャプション(短い説明)を付けることもあるとか。地図も、現地から取り寄せたパンフレットなどの簡略地図をそのまま使ってしまう場合があり、分かっている人にだけ分かる地図だったりするそうです。レストランなどの情報も、よくあるレストランガイドなどを日本語に訳して載せてしまえば、電話番号と店の名前だけの羅列にならざるをえないでしょう。
先に述べたこと以外にも、ガイドブックの不適切さ・不親切さで困った経験を何度かしました。ガイドブックのまずい点を列挙してみましょう(順不同)。
- 図、イラスト、写真が少ない。
- 相互参照が少ない。
- 二つの情報が食い違っている。
- 肝心の情報が載ってない。または、適切な場所にないので探しにくい。
- いいかげんな情報が含まれる。
- 検討外れの妙に詳しい解説があったりする。
- 書く人が実際に行ってない。行っても、その経験が活かされてない。
- 旅慣れていない者や、現地語を話せない人への配慮が足りない。
- 広告や前書きなどと、実際の内容に隔たりがある。
- 否定的な情報を載せたがらない。
- 安易な引用や翻訳でお茶を濁している。
●ガイドブックだけの
ことなのかな?
ん? あっ、あれー。このてのクレーム、どっかで聞いたぞ。いや、いつも聞いてる! そうです。今まで私、さんざんモンクたれてみましたが、これらの話は全て私達テクニカルライターが作っているマニュアルに当てはまることなのです。上に挙げた項目で、多少文面を直す必要があるのは2項目(下を参照)、あとはそのままマニュアルへの批判となります。
- 実際に操作してない。操作しても、その経験が活かされてない。
- 初心者や、コンピュータの知識を持ってない人への配慮が足りない。
私は編集人黒澤を本当に責められるのでしょうか? 今このときにも、「なんだ、このマニュアルは。責任者出てこーい。このマニュアルが分かりにくいために、わしら一日無駄にしてしまった。飯も食わずに操作していて、餓死しかかったんだぞ(少しウソ)。どうしてくれる。」と、吠えているユーザーがいるかも知れません。編集人黒澤ぁ、他人事じゃねえよー。
●なんでマニュアルって
わかりにくいの
なにゆえ、マニュアルはあんなに分かりにくいのでしょう。評判の悪さはガイドブック以上。ちょっと言い訳じみるんですが、マニュアルを作っている側の事情を多少説明しましょう。(ここでは、コンピュータ関連製品のマニュアルのお話です。)
絵や図を適切に入れれば分かりやすくなる、それは十分承知しています。でも、イラストレータに払う金額をケチったり、校正の手間(色が入ると確実に手間が増える)を惜しんだりして、ついつい文字だけの情報になりがちなんですよ。単に絵を入れればいいというものでもない。「分かりやすい絵」を「ふさわしい場所に」入れなくてはならないのです。そういえば昔、縦長ディスプレイのコンピュータの絵を描いてもらったら、墓石にしか見えなかったな、そんなんじゃダメです。写真というのも曲者でして、開発途中の製品を写真に撮ってしまうと、発売される製品と違ってしまうことがあります。
参照も実は手間がかかる。目次や索引は良いツールが出てきたので、以前ほど苦労はしなくなりました。しかし、意味に基づく参照・ハイパーリンクは、人間が作業するしかありません。大変なの。
- 二つの情報が食い違っている。
- 肝心の情報が載ってない。または、適切な場所にないので探しにくい。
- いいかげんな情報が含まれる。
- 検討外れの妙に詳しい解説があったりする。
マニュアルを作っている最中は、異なるバージョンの資料が錯綜し、血走った目のスタッフが思わぬ勘違いをするなど、情報は混乱します。よって、情報の食い違い、重複、欠損、間違った情報の混入などは起こりがち。もちろん、チェックは何度も行うのですが、時間が足りない、人手が足りない、などの事情で不完全なままにユーザーに届いてしまうことがあります。
- 書く人が実際に操作してない。操作しても、その経験が活かされてない。
- 初心者や、コンピュータの知識を持ってない人への配慮が足りない。
ソフトウェアの開発中にマニュアルも同時進行すると、触ってもいない製品のマニュアルを書くハメになったりします。理想を言えば、実際のユーザーにモニタとして使用してもらい(ユーザビリティ・テストといいます)、その結果を何度もフィードバックしてマニュアルの完成度を上げてからリリースすればいいんですが、現実には難しい。たいていは、そんな暇ない、そんな金ない。
- 広告や前書きなどと、実際の内容に隔たりがある。
- 否定的な情報を載せたがらない。
このへんは、ライターや編集者だけで片付く問題ではありません。クライアント(メーカーやソフトハウス)は、どうしても否定的なことは入れたくないですからね。誇大広告の規制やPL法などの影響で、ユーザーに必要な情報は多少否定的でも入れますが、できることなら、甘くおいしいことを書きたい、それが本音でしょう。
下請けとして働いている身からすれば、クライアントは「おかみ」「お代官様」ですから、彼等の意向を無視して正義の味方になるのも難しいものです。
現在、コンピュータのハードウェア/ソフトウェアは、国産のものは少なく、多くの製品が海外、特にアメリカで作られたものです。マニュアルも英語からの翻訳ものがたくさんあります。英語ができて、技術的な知識を持ち、しかも日本語も上手な人、そんな人は実は少ない。ですから、翻訳の質もそう期待できるものではありません。日本語に訳す段階で間違いを入れてしまっている例も少なくありません。また、原文(英語)の間違いをごていねいにそのまま残したり、よりひどい間違いにして傷口を広げていることもあります。そのときの言い訳は「原文にそう書いてあった」。おいおい、言い訳にならないって。
●これでいいのかマニュアル
どうも私達マニュアル関係者も、コンピュータを使おうとしている「旅人」に、余りかんばしくない案内を提供しているようです。もちろん私達(そして、おそらくはガイドブック編集人黒澤も)読む人間にとって分かりやすいものを作りたいと思ってます。思ってはいても厳しい予算と納期が‥‥、うーむ。しかし、それでもやっぱり、わけ分からんマニュアルや迷惑なガイドブックを作ることは良くない、良くないのですよ。
実を言えば、グラナダのアルバイシンで迷っているその最中にさえ、編集人黒澤とスタッフに、いくぶんかの仲間意識を感じ、事情を察しもしたのでした。一方、「頭にきた」のもまた事実。コンピュータ操作の迷路でたたずんでしまったユーザーは、アルバイシンの道で途方にくれた私と同じ怒りと心細さを味わったのでしょう。ちょ、ちょっと罪の意識が‥‥。
ひとりのテクニカルライターが、こうして怒ったり反省したりしてるだけでは、事態はあまり進みそうにありません。が、この怒りや反省は、多くの人が感じていることも間違いないのです。テクニカルライティングの技術は確実に進歩しているし、ドキュメンテーション環境は整備されてきました。私は悲観してません。マニュアルやヘルプを含めたユーザー環境は、もっと良くなるはず。そう、良くしなきゃいけないんだ。
●それでも、良くなる
旅行ガイドブック制作の方々はもちろん、私の同業者であるマニュアル関係者も、たぶん、これを読まれていい気分はしないでしょう。でもね、「俺の書いたもの作ったものは、読者/ユーザーに何の迷惑もかけてない。死ぬほど分かりやすくて、文句のつけようもない。」と、胸を張って言える関係者の方いますか? いるかも知れませんが、それって単なるゴウマン勘違い野郎でしょ。この拙文は、言い訳をしたり恥をさらすのが目的ではありません。実情が理解され、ユーザーやベンダーの協力を得てはじめて、マニュアルをはじめとする情報提供製品の進化があるのだと思います。繰り返します。私は悲観してない、良くなるはずだ。
編集人黒澤よ、あ、いや、黒澤明夫さん、共にがんばろうね。
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