NEW MEDIA 1月号より転載

特別座談会

DIALOG IN THE DARK
ダイアログ・イン・ザ・ダーク

真の暗闇はメディアである


金井真介
特定非営利活動法人ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン理事長


竹中ナミ
社会福祉法人プロップ・ステーション理事長


門田庄司
株式会社TBSラジオ&コミュニケーションズ営業局営業推進部事業担当


木下路徳
DIDアテンダント


 

いろいろなメディアで取り上げられ、体験者もロコミで増えている「赤坂メディアアート展・DID2007東京」(DID:DIALOG IN THE DARK)、9月13日から12月19日まで東京都港区の旧赤坂小学校で開催されている。会場入口の「見えないが見える」と何とも不思議な言葉が目を引く。世界20カ国で開催され賞賛されるDIDとはどんなものなのか。DIDを主催するダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの金井真介理事長とTBSラジオ&コミュニケーションズの門田庄司氏、DIDアテンダント役の木下路徳氏、それに『障害者を納税者に」を掲げ尽力するプロップ・ステーションの竹中ナミ理事長に集まっていただき、DIDについて語っていただいた。
(司会進行:吉井勇・本誌編集長、構成:古山千恵子・本誌編集部、写真:森下泰樹)

 

DID誕生

- DID(DIALOG IN THE DARK)って何?

金井真介/ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン理事長 DIDは、1989年にドイツのアンドレアス・ハイネッケ博士が発案したもので、日常生活のさまざまな環境を、一切の光を排した真の暗闇の中で、視覚以外の感覚を使って体験するというものです。今回は廃校になった旧赤坂小学校の体育館を会場に、「学校の放課後 冒険編」をテーマに、体育館や音楽室、校舎の裏手、用務員室などのステージを用意しています。数名(今回は8名)の体験者でツアーを組み、アテンド役の視覚障害者のガイドに従って暗闇の中を動いていきます。基本的な仕組みは単純なもので、開催する国や地域などによってテーマが変わります。

- 現在のDID体験者の数は?

金井 世界20カ国、200万人が体験しています。日本では3万人ほどです。

- ハイネッケ博士がDIDを発案したきっかけは?

金井 博士がラジオ局で慟いていた時に、事故で失明した若者が入社してきたそうです。その彼の教育係を任せられたことがきっかけとなり、視覚障害者は見える者が持っていない可能性を持っていること、見えるが故に気づかなかったことがあることを、博士は知ったそうです。視覚障害者に対する認識を新たにした博士は、もっと見えない世界を知りたいとフランクフルト盲人協会に移り、視覚障害者の社会参加を促すプロジェクトを担当します。 1988年に協会が主催するイベントで暗闇の中にオブジェを置いて触って鑑賞するというDIDの原型となる試みをします。この時、暗闇にすることで見える人と視覚障害者が平等な立場でコミュニケーションが取れることに気づき、翌1989年6月にフランクフルト美術館で初のDIDが開催されたのです。そして、全世界へと広がっていったのです。


会場は廃校となった旧赤坂小学校の体育館を使っている。ストーリーを作るのに実際に赤坂小学校のOBに、当時どんな遊びをしていたかなど調査したという

 

衝撃のDID初体験

- 金井理事長とDIDの出会いは?

金井 DIDを知ったのは、1993年の日本経済新聞の夕刊に載っていたウィーン発の海外トピックスという小さな記事でした。これはすごい!と思い、詳しく知りたいと手紙を書きました。 DIDを日本でも開催したいと思ったのですが、当時はバリアフリーという言葉もなかった時代ですから、周囲の人の理解がなかなか得られず、障害者を見世物にするのかとか、お化け屋敷の延長かなどと言われました。

- 日本での初開催は?

金井 1999年に東京ビッグサイトで。その後、神戸、仙台、札幌と500名ほどの規模で開催し、TBSラジオと一緒にやるようになったのは2004年からです。

- アプローチから6年越しで実現した日本での開催ですが、その秘訣は?

金井 それは、初めてDIDを体験した時の「驚き」です。 1995年にローマで体験したのですが、見えない上にガイドの言葉もわからずに立ち往生していると、どこからともなくアテンド役が飛んで来て適切なケアをさっとしてくれるんです。これは絶対に暗視ゴーグルをつけて見えているんだって思いました。ところが違っていたんです。その人は視覚障害者だったんです。もうびっくりしました。

- 竹中さんは今回で2回目ですね。

竹中ナミ/ブロッブ・ステーション理事長 1回目は2年前に神戸で。友だちに視覚障害者がたくさんいるので、彼らのすごさは十分認識していたんだけど、DIDが開催されることで、やっと障害者イコ一ル弱者、かわいそうという視点以外の感性で障害者を見るように日本もなってきたんだなと感じました。福祉というよりアートとして、将来はビジネスとして継続していく可能性を持ったDIDという表現方法が出てきたことは、とってもうれしいことです。

- 2004年から金井さんと一緒にプロジェクトを主催しているTBSラジオの門田さんのDID初体験は?

門田庄司/TBSラジオ&コミュニケーションズ営業局営業推達郎事業担当 2002年にTBSラジオの番組『森本毅郎スタンバイ』で、コメンテーターをしていた元杉並区和田中学校の校長・藤原和博氏が体験してきたDIDを紹介していたのを聞いて、その存在を初めて知りました。その後、ドイツ文化センターで体験したんですが、大変な衝撃でした。視覚がないということだけで何でこんなに戸惑うんだろう、不思議さと面白さがありました。

 

視覚障害者しかできないアテンド役

- DIDで重要な役割を担っているのがアテンド役。アテンド役は視覚障害者にしかできない仕事です。スタッフの人数は?

金井 アテンド役のスタッフは10名です。ほかのスタッフを含めて47名がチームとして慟いています。

- 木下さんはナミねぇ(竹中さんの愛称)のアテンドもされました。アテンド役はどう?

木下路徳/DIDアテンダント ナミねぇは大きな声でよくしやべってくれたので、場が盛り上がって楽しかったです(笑)。僕はもともと人を笑わせたり、話したりするのが好きで、この仕事も面白そうだったので応募したんです。でも、参加者は暗闇の中を歩いて楽しいのだろうかと本番直前まで不安でした。僕は闇の世界に入って良い思い出はありませんでしたから。ところが、実際は発見の連続でした。例えば、今回のステージには川があるんですが、川の水に触って「水だ」「水だよ」と叫んで、ゲラゲラ笑って喜んでいたり。僕は見えないことに慣れているので、今さら感動することはないんですが(苦笑)。最初恐がっていても、慣れてきて興味が出てくるとどんどん前に進んで行く。最初から最後まで恐いという感情のまま終わった参加者は一人もいないんです。こうした一連の変化が見られてとっても楽しいです。

- 子どもを案内したことは?

木下 子どもは暗闇に慣れるのがホントに早いんです。泣いたり、暴れたりしたらどうしようって心配していたんですが、そういうお子さんは一人もいなくて、みんな大きな声を出して楽しんでいます。周りの人に良い影響を与えてくれます。

竹中 リピーターはいるの?

木下 増えています。5回目とか、去年2回参加して今年で3回目とか。1年に2回も来るほどの楽しみがあるんだって、驚いています。

 

DIDが果す役割

- DIDが目指したものは?

金井 DIDは視覚障害の疑似体験を売り物にしているのではないんです。見える人が暗闇で見えなくなったとき、恐怖や不安で立ちすくみます。その時、視覚以外の感覚を使ったり、周囲の人と情報を交換し助け合っていくようになる。普段気づかぬうちに作っていた心のバリアを暗闇は取り除き、フラットな関係にしてくれるんです。暗闇の中で一番大切なことは、他人や自分との「対話」です。だから、DIDは1人ではなく複数で行動するんです。連帯感が生まれ、人のありがたみを再認識できます。人は本来、対話を望み、密な関係を持ちたいと思っているんです。人を原点に返してくれるのが「暗闇」なのです。

- 確かに参加者たちの関係は、会場に入る時と出て来た時では劇的に変わっています。

竹中 ITでヒエラルキーを超えたというけれど、文字は無言。声はその人の本音が出ます。暗闇って、すごいコミュニケーションツールですね。 ITが台頭してきたことで逆に、DIDに社会が注目してきたのかもしれない。だとすると、ようやく時代が追いついてきたということでしょうか。金井 DIDは雇用創出の役割もあるんです。視覚障害者には仕事を見つけることが難しいという現実があります。 DIDのアテンド役は視覚障害者にしかできない仕事です。今後はDIDなどで慟く自立した人たちを盲学校で紹介したり、ワークショップを開いたりしていきたいと考えています。

門田 2002年に金井さんと出会ってから、社内にDIDプロジェクトを立ち上げ、開催するまでに2年かかっているのですが、このプロジェクトを長期的に継続させるには、ビジネスとして成り立たせることが重要で、それが最終的にこのプロジェクトに関わる人すべての雇用にまでつながると考えました。意義としは高くても、赤字ということでは自立したとは言えないので。

竹中 おっしゃる通り、最終的にビジネスラインに乗らないと、DIDの本来の目的と違ったものになっていってしまう気がしますね。

- 金井さんのお考えは?

金井 現在だけではなく、その次の時代でも当たり前にあるようにしたいですね。DIDで感じたことをその場限りで終わらせるのではなく、日常生活の中で生かしてほしいのです。そのためにも長期的な継続が必要でしょう。また、一人でも多くの方に体験していただくために、存在を知ってもらうことも重要です。つまり、いつでも、どこにでもあるというのが理想です。
日本は急速な高齢社会を迎えていて、加齢による見えづらい人、聞こえづらい人が急増しています。 DIDが常設されることで、見えないことがどういうことか、見えない人に対してどんなケアをすればいいのかを知ってもらうことができるでしょう。

- いろいろな企業からジョイントの申し出が来るのでは

金井 お祭りの時、寄付した人や企業の名前がずらっと張り出されますよね。ああいう形にしたいんです。決して1社の冠スポンサーでやりたくない。民間企業も行政も、みんなで支え、みんなで実現させ、みんなが分相応に使う。 TBSラジオさんがすごいのは「みんなで」という発想です。

門田 現在、TBSラジオは事業収支全般の管理およびメディアの立場として、主に広報・宣伝というかたちで開わっています。今後は、広報宣伝の媒体としてのDIDではなく、企業として社会的責任をどう考えるかという視点での仕組みづくりをしていきたいと考えています。

- その具体的なイメージは?

門田 事業化を考えれば常設が望ましいでしょう。それと、DIDから派生したビジネスを生み出さなければいけないと思っています。先ほども雇用の話が出ましたが、例えば視覚障害者しかできない事業を立ち上げていくとか。

竹中 地域おこしにもなりますね。常設館ができた地域はイメージアップになりますから。企業だって視覚以外の感覚で商品を訴求していく方法があると思うんです。ベッドとか香水、アロマなんかは最適な商品だし、常設館なら月ごとにテーマを変えたりと、一過性のイベントではできない工夫がいろいろできると思うんです。

金井 DIDは企業研修としても使われています。 ドイツのダイムラーベンツが合併後に人材教育のために活用したのは有名です。社員研修に限らず、商品開発など、企業がより儲けるためにDIDをもっと活用してほしいですね。

門田 DIDを放送局(ラジオ・テレビ)というメディアとして表現したいのですが、どう表現したらいいのか……。このプロジェクトに内在する素晴らしさがわかっているだけに、どうやって皆さんに伝えていくのがいいか。難しいですが、取り組み始めています。
  先ほど金井さんが、DIDは人が原点に戻れるメディアだと言われました。放送メディアが過渡期である今、DIDは、これまでの放送の呪縛から解き放たれるチャンスなのかもしれません。

- 木下さんはどう関わっていきたいですか。

木下 僕はラジオをよく聴いているのですが、映像がない分、パーソナリティはリスナーが情景をイメージできるように説明してくれます。 DSDのアテンド募集の話を間いた時、「あっ、そういうことを今度は自分ができるのかな」と思いました。実際、われわれ視覚障害者にここまで任せてくれる仕事は、これまでありませんでした。1時間半の間、われわれに判断が任せられるわけですから、ありがたいことです。その気持ちに応えられるように、これからも頑張っていきたいと思っています。また、こちらからプラスアルファな部分を付け加えた対応ができるようにしたいとも考えています。僕らはお客さまから自信と勇気をもらっています。

- 体験者の一人として、一人でも多くの方がDIDを体験することを切に願っています。

 

COLUMN

TBSラジオのコンセプトがDIDにある

余田光隆 Yoden Mitsutaka
(株)TBSラジオ&コミュニケーションズ代表取締役社長

 TBSラジオは「思いやり」を大切にして番組づくりをしています。一例ですが、『大沢悠里のゆうゆうワイド』は電話番号を伝えるとき、30秒ほど前に「これから番号を言います」と話し、メモの用意をしていただく時間を用意し、ゆっくりと最低でも2度繰り返します。ラジオはマスメディアですが、1対1のコミュニケーションを大事にする考えを徹底しています。
  DIDは、そうしたコミュニケーションの基本に立ち返り、その大事さを体験させてくれます。私も体験し、心底感じています。
  常設したい、という夢があります。このプロジェクトを事業として、どう成立させることができるか。そこを真剣に考えています。あと、課題としてもう一つあります。真っ暗闇の空間を常設するには、消防法をはじめさまざまな規制が存在しています。それでも日本でこのプロジェクトが事業化できるよう、丁寧にクリアしていこうと思います。ともかく、多くの方の知恵をお借りし、さまざまな声をいただきながら、夢の実現へ進んでいきます。

ページの先頭へ戻る