読売新聞 10月23日夕刊より転載

立命館大講義「日本文化の源流を求めて」

命への感謝教えたい

大平光代さんの写真
苦難の体験を振り返りながら、「本当に必要な経験をさせていただいた。仏教でいう『ご縁』だったと思う」と語る大平さん

 おおひら・みつよ 1965年、兵庫県生まれ。中学時代にいじめを苦に自殺を図り、非行に走る。暴力団組長との結婚、離婚などを経て更生し、弁護士に。2003年12月〜05年10月、大阪市助役。辞任後に男性弁護士と結婚し、女児を出産した。中央仏教学院(京都市)の通信教育の卒業試験に合格、僧侶を目指す。著書に「だから、あなたも生きぬいて」など。

 立命館大のリレー講義「日本文化の源流を求めて」(読売新聞大阪本社後援)の第13回に登壇した弁護士で元大阪市助役の大平光代さん(42)。「私にとって宗教とは」をテーマに対談し、心の教育の大切さなどについて思いを語った。

 弁護士として主に少年事件を担当し、更生させようと活動してきました。ある時、傷害事件を起こした子どもを諭そうと、自分の手をつねらせて「痛いでしょ。他人だって痛いんだよ」と語りかけると、「自分は痛いけど、他人は痛くない」と言うんです。驚きました。相手を生身の人間と思えないんです。そんなことが何度かあり、自分の力ではもう無理だと思いました。人間としての心のあり方、持ちようは、宗教でしか教えられないことがあるのではないか、と。それには、まず自分が学ばなければと思って、僧籍を取ろうと決めたんです。

 弁護活動を通じて出会い、メールで交流を続ける子どもは74人になります。何の問題もない家庭に育ち、聞き分けもいい。だけど、心の中では空(むら)しさや孤独感を抱いている子が多い。幼い時から「いい子」を要求され、ずっと無理して生きてきて、親から愛されたという感覚もない。寂しさを紛らわすために非行に走ってしまうんです。

 いじめや少年事件があると、「命の大切さ」が説かれます。人の命はもちろん大切ですが、まず自分を大切にしてほしい。自分を大切にできない子どもが増えていると思います。愛されたことのない子が、他人を愛せるはずがない。私はまず愛することから始めたいと思います。

 ある学校で、給食の前に「いただきます」と言わない子がいたそうです。「お母さんが『給食費を払ってるんやから、言わんでもええ』と言うた」という。でも本来そうじゃない。魚でも肉でも命がある。他の命を食べなければ人間は生きていけない、その命への感謝を込めた言葉なんです。子どもたちに、こうした根本的な考え方を教えたい。心でわかるには、幼いころから、日にち薬のようにしなければ浸透しない。いつか日曜学校のようなものを開けたらと思っています。

 実は、娘はダウン症で、心臓に大きな穴があるなど、いろいろ合併症を抱えていました。私は、子宮筋腫(きんしゅ)で妊娠の継続さえ難しいと言われていたんです。帝王切開の際に大量出血し、その後、帝王切開の傷口が壊死(えし)し、一時は死も覚悟しました。当時は「もし自分が死んだら、この子はどうなるんやろう」と、そんなことも考えました。

 娘が生まれてきてくれたことに感謝しています。以前、私は明日のことばかり考えていました。でも、今は、非常にゆっくり育っていく娘の一つ一つの動きに日々、喜びを感じるんです。一緒に散歩に出たら、道端でも「一生懸命咲いている。きれいやな」と感じることができるようになりました。

 耐えられない試練は与えられない、と言います。大事なのは心の持ち方。目の前の壁を「越えられる」と思うことから始めてみる。すると、ひょんなところから、アイデアが浮かんできたりします。どんな状況でも、前向きに考えるようにすれば、必ず良い結果になる。だまされたと思って、皆さんもやってみてください。

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