産経新聞 2006年12月16日より転載

元大阪市助役、弁護士 大平光代さんに聞く

大人が「道標」を

自らの経験重ね子供のために

中学時代にいじめを体験し、自殺未遂も経験した元大阪市助役で弁護士の大平光代さん(41歳)が、深刻化する子供たちのいじめ問題について「大人が『道標(みちしるべ)』にならなければ」と語った。大平さん自身、立ち直るきっかけになったのは「よき人生の師」と呼べる大人との出会いだった。今年9月、女の子を出産。これからも子供たちや、それをとりまく社会と真正面から向き合いたいと考えている。

中学時代に受けた過酷ないじめは、今も忘れることはできない。絶望のすえ、割腹自殺を図ったのは中学2年のときだ。命は取りとめたものの、生活はすさんだ。親にも暴力をふるった。16歳で暴力団組長と結婚した。出口を見失い、どん底でもがき苦しんだ。

あのとき、「師」と呼べる存在を1人でも見つけいれば反発しながらももっと立ち直れていたのではないか。子供同士のつながりももちろん大切だが、子供が生き地獄から抜け出すための「道標」を示す役目は、大人にこそ求められている。

20代になって何人もの大人の手助けを受けて立ち直ることができた。その経験があるからこそ、「よき人生の師」と呼べる大人を、早く子供たちに見つけてほしいと思っている。

今年9月、女の子を出産した。予定より1ヵ月近く早まったお産は、母体にとっても極めて危険なものになった。多量出血や呼吸困難に加え、出産後には帝王切開部が壊死(えし)するという予想もしない事態に見舞われた。

出産したその日のうちに、娘がダウン症に抱えていることを夫から告げられた。
「私は『あっそう』という感じだったんです。わたしらにできることを精いっぱいやろう。どういうハンディを背負っていてもそれがその子自身なんやから、覚悟を決めるには、1秒あれば足りました」

娘は「悠(はるか)」と名付けた。障害を背負っていても、自分なりの調子でゆっくり歩んでいってくれたら、そんな思いを込めた。だが、その小さな心臓は合併症の疾患を抱え、年明けにも手術の必要があるという。

子育てのために親が自分を犠牲にしたという重圧を娘に与えないためにも、弁護士活動をできる範囲で再開した。「母親というより、人生の先輩でいたい。迷ったときの道標になりたいんです」。わが子を前に1人の大人として、そんな思いを強くしている。

「いま大人たち自身が余裕を失い、世の中のストレスが子供たちに向かっています。親は一瞬でもいいから、子供たちと真正面から向き合う時間をつくってほしい。唯一自分らしさを発揮できる場面が、弱い立場の人間をいじめるときでは、いじめる側だってしんどいんです。いじめをなくしていくためには、いじめられる子も、いじめている子も、もっと楽にしてあげなければ」と語った。


娘の悠ちゃんを抱く大平光代さん

■大平光代氏 兵庫県出身の弁護士で元大阪市助役。中学時代に、いじめを苦に武庫川の河川敷で割腹自殺を図る。その後、非行に走り、16歳で暴力団組長と結婚し22歳で離婚。大阪・北新地のホステス時代に、父親の知人で後の養父の強い勧めで更生を決意。29歳までに、宅建試験、司法書士試験、司法試験に相次いで合格した。波乱の半生を描いた自伝『だから、あなたも生きぬいて』がベストセラーになった。その後、平成15年12月、大阪市助役に就任したが、平成17年10月、出直し市長選に伴い辞任。18年2月に弁護士事務所の先輩と結婚した。

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