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Heart Beat(日本テレコム) 2004年6月号より転載

 

 
 
全ての人が力を出して支え合う
ユニバーサル社会にせなあかん
 
 

社会福祉法人 プロップ・ステーション 理事長
竹中 ナミ
さん

 
   

写真:ナミねぇ
神戸のプロップ・ステーションで、コンピュータ・セミナーの日に撮影
Takenaka Nami
1948年、神戸市生まれ。神戸市立本山中学校卒。重症心身障害児の長女を授かったことから独学で障害児医療、福祉、教育を学ぶ。'91年にプロップ・ステーション設立。'98年、厚生大臣認可の社会福祉法人格を取得、理事長に就任。ITを活用してチャレンジドの自立と就労を支援する活動を精力的に展開。総務省情報通信審議会委員、内閣府新しい障害者基本計画に関する懇談会委員を多数歴任。2002年「総務大臣賞」受賞。近著に『ラッキーウーマン 〜マイナスこそプラスの種!』(飛鳥新社)がある。
http://www.prop.or.jp


 カメラの前で、竹中ナミさんの関西弁の勢いが止まらない。意外にも、記憶よりずっと小柄だった。7年前に初めてお会いしたとき、「ナミねぇと呼んで」とにっこりしてから、「チャレンジド」という言葉の意味を教えてくれた。

 「これは、アメリカで“Handicapped People”に代わって生まれた“The Challenged”という言葉を語源にしているの。神様から挑戦する使命とチャンスを与えられた人々という意味で、障害をマイナスにするのではなく、自分のために、社会のためにポジティブに生かしていこうという想いをこめているのよ」

 日本の福祉観を塗り替えるのだと、熱く続けた。障害者を保護の対象ではなく、誇りを持って働く納税者にできる日本へ。実際にNPO(当時)プロップ・ステーション(以下プロップ)の代表として、チャレンジドの自立と就労の支援活動を進めていた。「コンピュータは社会参加する最良の手段」と、コンピュータ・セミナーを開催し、ネットワークを活用した在宅ワークの創出に尽力していた。

 「でも、私はコンピュータのことは全く分からへんから、スタッフ任せでね」と、あの日も周りを和ませた。自分を謙遜するのだが、どうしようもなく、人間の大きさがはみ出してしまう。この幅が、世の中を動かしてきた。

 32年前、娘を授かった。重症心身障害者と分かると、今は亡き父親が「ナミが不幸になるから、わしがこの孫と一緒に死んでやる」と言ったという。「二人を死なすわけにはいかん。そのためにも、母子で楽しく生きられる道を見つけよう。見えない人、聞こえない人、動けない人と付き合って、その不便さ、困難さを教えてもらおう」と奮起した。

 多くの障害者と付き合っていくと、わが娘のように100%の保護がなければ生きていけない人はごく一部で、ほとんどが意思、個性、意欲、希望、能力を持ち、働いて社会参加したいと願っていることを知った。期待されたい、お役に立ちたい、尊敬されたい。しかし社会は、できないところだけに注目するという風潮だ。

 「できることにふたをするのはホンマの福祉と違うで。どんな小さな可能性も、能力も探して、育てて引っ張り出すのが福祉ちゃうの! だったら、私がこの社会を変えてやる」と、ナミねぇの挑戦が始まった。

 幾多のボランティア活動を経て、待望のプロップの活動は1992年に開始された。娘の麻紀ちゃんが20歳のときだった。

 「チャレンジドが求めていることの先に、ITの未来があったのよ。プロップの活動は、ITに支えられているの。携帯電話ほど私たちが待ち望んだ優しい連絡ツールはなかった。e-mailは聴覚障害者に会話の喜びを広げた。今は、ブロードバンドによるテレビ会議。映像、音声、テキストのインタラクティブなやり取りで、聴覚障害者と視覚障害者がリアルタイムにコミュニケーションできるなんて、夢みたい」

人には皆
社会を支える側に
回れるときと
支えられる側に
回って生きるときの
両方がある

 『コンピュータはチャレンジドが社会参加する突破口になるばかりか、他の人にも恩恵をもたらす。そのまま、弱者=子育てをする女性や高齢者の社会進出を促す働きやすい社会システムへとつながっていくのだ』と、マイクロソフト社のビル・ゲイツ氏は語った。同氏はナミねぇとプロップのよき理解者であり、重度の卒業生の同社への受け入れなどを継続してきた。「ITなくして、プロップはあり得ない」とナミねぇは感謝する。しかし、世界中のIT関連企業が、新たなビジネスモデルを生み出すアイディアの宝庫として、プロップを力強いビジネスパートナーだと認めているのだ。

 「日本は少子高齢化社会が急速に進み、あと10数年で2軒に一人は介護の必要な人のいる国になる。そういう人々が就労者にならなければ、日本の未来はもう、大変」と、ナミねぇは霞ヶ関に足を運び、政府・官僚の人々に「弱者の就労の実現を見据えた構造改革をしよう」と本音で語り続けている。“全ての人が力を発揮して支え合うユニバーサル社会の実現”が、今の夢だ。

 阪神・淡路大震災10年目を迎える2005年、神戸空港が開港する。バリアフリーは当然のこと、チャレンジドが携帯電話で情報を得ながら自由に移動できるという、世界一のユニバーサルな空港を目指している。この運動の中心にも、もちろんナミねぇが立っている。プロップが主催してきた「チャレンジド・ジャパン・フォーラム」の第10回目も、時を同じくして、ここ神戸で開催することになっている。

 ナミねぇの夢は今、産・官・政・学・民・メディアをつなぐビックウェーブとなり、ユニバーサル社会の実現へと向かってうねり始めた。政財界の大物、IT関連企業のトップ、チャレンジドとその家族、市井で迷っている老若男女…。みんなが周りに集まってくる。ナミねぇはいつも元気。みんなの背中を後押しする。「やったらええのよ。きっとできるよ!」。優しい笑顔が、「人間は誰もがみんな、神様から挑戦するチャンスを与えられたチャレンジドよ」と、勇気と誇りを教えている。

文◎窪田敦子 写真◎苗村茂明

 




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