[up] [next] [previous]
  

NEW MEDIA 2003年5月号より転載

     
 
テーマレポートのカット
 
 
聴力を失ってもキャリアは失われない
働きたい人を支える制度作りを!
 
 
 

小椋さんは7年前に突然聴力を失い、好きなライターの仕事も失った。しかし、今は復帰して、以前にも増して「自分にしかできない仕事を」と意欲を燃やす。
復帰への道を拓いたのはIT。立ち塞がったのは、皮肉にも福祉の制度だった。取材を受けて以来親交のある竹中さんは、社会の壁と苦闘しながら前に「あなたの後ろに道ができるのよ」と声援を送り続ける。何か問題なのか、パイオニア精神で共感しあう2人の話を聞いた。


(報告:中和正彦=ジャーナリスト、写真:吉井勇=本誌編集部)


小椋知子さんの写真

小椋知子 フリーライター

(おぐら・ともこ)
北九州市でタウン誌発行の会社勤務を経てフリーライターとして独立したが、7年前突然聴力を失う。3年前、仕事に復帰。ネット上でボランティアに関するコラムを連載(http://www.toku-chi2.com/volun/)する他、チャレンジド関連の記事などを新聞・雑誌に寄稿。今年は地元のパソコン要約筆記者養成にも力を注ぐ。

障害が消え、経験が生きた
「目からウロコ」の仕事術

―― ライターに復帰された経緯は、どういうものだったんですか。

小椋 友達を介して、東京のライターの方から仕事の依頼があったんです。未経験者を含む複数のライターのまとめ役ができる経験者がほしい、というお話でした。

 私は、電話を使えないことでご迷惑をかけるのではないかと思って、「大丈夫でしょうか」と確認しました。北九州市に住んでいる私と、どうやって仕事をするんだろうという疑問もありました。

 すると、その方は「今は電子メールがあるし、急ぎのときは携帯電話やPHSでメールを受けられる。もしどうしても電話が必要なことがあったら、それは私がフォローします」と、そこまで言ってくださった。それで、「じゃあ、やれるだけやってみよう」と思ってお受けしたのが、始まりなんです。

竹中 もう最初の反応がプロですよね。「やります、やります」ではなく、逆に「できません、できません」でもなく、相手に迷惑をかけないかどうかを確かめる。そして、「これはやれる」と思ったら、躊躇せずに前に進む。それができるのは、蓄積あってのことですよ。

―― やってみて、どうでした?

小椋 ほとんどメールのやり取りだけで仕事を進めていくことができて、「こんなやり方があるのか」と驚きました。「目から鱗が落ちる」を言葉の通りに感じました。

 他の人が書き上げてきた原稿を見たときには、初めて「経験のあるなしで、これだけ差が出るんだな」と感じました。自分の経験が生きることがわかって、自信になりましたね。「これなら、もう一度ライターの仕事をやっていけるんじゃないか」と。

 そして、その仕事を何度か繰り返すうちに、外に取材に行く仕事もしたいと思うようになったんです。


働こうとするとぶつかる
福祉の制度と意識の壁

竹中ナミの写真

竹中ナミ

社会福祉法人プロップステーション理事長

―― 最大の問題は、面会した相手にその場の話をどう伝えてもらうか(情報保障)だと思います。今日はパソコン要約筆記の方にご協力いただいていますが、今までどうされてきたんですか。

小椋 一番困ったのは手話通訳です。「営利を目的とした活動には派遣できない」という決まりがあって、少しでも仕事に関係するとダメなんです。また、ハローワークを通して会社に就職した場合は、派遣してもらえること(研修など)が、フリーランスの仕事では派遣してもらえない。

 私は「完全無料でサポートしてくれ」なんて思っていません。でも、収入ゼロからコツコツと積み上げていく時期は、どうしても無料のサポートが必要です。それが、就職すれば受けられるけれど、フリーではダメというのは、納得できませんよね。

竹中 恐らく、聴覚に障害を持つフリーライターというのは、知子さんが初めてなんですよ。

 日本の障害者就労施策は、企業に法定雇用率を課して、障害を持つ人が障害者として雇われるようにして、そういう制度で雇われた人たちにサポートを付けてきた。自分の力を信じてフリーで仕事をしていくという生き方は、障害者の世界ではあり得ないと思われていたんですね。

 それがあり得ることを示したという意味では、知子さんがやっていることと私が取り組んできたことは同じなんです。実はプロップでプログラミングやグラフィックを勉強して在宅ワークしているチャレンジドも、身分はフリーで、会社勤めしている人が受けるような公的なサポートは受けられないんですよ。

 だから、私はすごく知子さんに共感する。知子さんが今やっていることが、日本にまた一つ新しい道を切り開いている。そう思って、期待しているんです。

小椋 でも、本当に「福祉って何なんだ!?」と思うようなことがありますよね。

 一番わかっていただきやすいのは、行政もかかわったフォーラムにパネラーとして呼ばれたときのことです。情報保障がなければ、私は他のパネラーの方々が何を言っているのかわかりません。ところが、手話通訳の人が私に、「会場のための手話通訳はありますけど、あなたのための通訳はしません」と言うんです。驚いて理由を聞いたら、「あなたはここで何らかの報酬を得るわけでしょう。だから通訳できません」。

 唖然としました。でも、仕事をしようとすると、本当にこういうおかしな問題で身動きできなくなることがあるんです。一時期は、「私のような人が働くのは悪いことなのか」「聴覚障害者だから、人と会話する必要のない仕事に就けということなのか」と思ったこともあります。

竹中 日本の福祉は、障害を持った人のマイナスの部分だけ見て、「気の毒だから何かしてあげよう」というものになっているんですね。障害があっても、できることはある。そのプラスの部分を引き出すことに力を貸そうという感覚が、ほとんどないんです。それは制度以前の意識や習慣で、世の中を変えようというとき、一番やっかいな問題ですよ。

小椋 今は、「現実に自分が動くことで、周りの人たちが少しでもわかってくれたら」と、そういう気持ちで進んでいくしか方法がないという感じです。


フタをしてはもったいない
中途障害者の能力・実績・経験

PCを使った要約筆記の写真
PCを使った要約筆記(写真手前2人)。小椋さんは自分のPCに表示される要約筆記を読んで、対談をする

―― 結局、お仕事での情報保障の問題はどうされたんですか。

小椋 「これ」という一つの方法は決まっていません。通訳を介さず、相手の方に直接筆談をお願いすることもあります。

 実は、手話通訳者派遣の問題で味わった軋轢のせいで、要約筆記を使うことにも抵抗があった時期があるんです。第三者に提供される情報を信頼しなければいけないわけですから、通訳者との信頼関係がないと、お願いできないんです。

 でも、手話通訳は「仕事での利用には派遣できません」で終わりでしたけれど、要約筆記の方は「公的派遣できない場合にはボランティア派遣をしますので、交通費と事務手数料のみ負担してください」と言ってくださるようになったんです。そこから道が開けたんです。「ああ、黙っていてはいけないんだ」と思いました。

 で、利用しているうちに、「もっと使ってください」と言って下さる方もいて、その言葉が弾みになり、支えになって、「もっと外に取材に行く仕事をしよう」という気持ちになったんです。

竹中 人生の半ばで障害を持って、それが理由で仕事をリタイヤせざるを得なくなる人が、日本にはたくさんいます。それは、社会が、その人たちが磨いてきた能力や蓄積してきた実績・経験にフタをしてしまうことですよね。一日も早く、それを「もったいない」と思う国にならないといけない。

小椋 「自分はできる」と思えると、すごく意欲が湧くんですからね。

竹中 働くということは、人間としての誇りの問題なんですよ。

小椋 そうですね。「これをあげるから働かなくていいよ」と言われるのは、すごく嫌です。誰だって、自分にできることは自分でやりたい。私は、それをサポートしてほしいとお願いしているだけなんです。

―― ありがとうございました。


[up] [next] [previous]



プロップのトップページへ

TOPページへ