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産経新聞 2003年4月15日より転載

     
 
車いすの位置づけ
 
 
 
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 事故や病気で車いすユーザーになると、たちまち「可哀想(かわいそう)な人」と呼ばれてしまうのが日本の国ですが、アメリカやスウェーデンでは違います。アメリカやスウェーデンでは車いすは「可能な限り(元の)仕事に復帰するための道具」という位置づけで、使用者の体に合わせたフルオーダーで製作されます。日本では車いすに長時間乗っていると褥瘡(じょくそう=床ずれ)ができたり、体幹の歪(ゆが)みが発生することは「当たり前」と言われています。

 アメリカやスウェーデンでは、障害を一層重くするような車いすはPL法に基づき、製造責任が問われます。これは「国のポリシー」の違いです。車いすを「座って移動する(させる)道具」と位置づけるか、「社会参画の道具」と位置づけるか、です。障害を持つ人に「期待する国か、しない国か」と言い換えても良いと思います。

 プロップでは、「障害者」ではなく、「課題に向き合う力を持っている」という意味を持つ「チャレンジド」という呼称を使っていますが、これは日本の福祉観を転換する哲学が含まれていると感じたからです。日本では障害を負うと、自治体から車いすの給付を受けますが、給付対象になるのは国産メーカーの車いすのみです。

 「海外製のフルオーダーの車いすで仕事をしたい」と言っても原則として認められません。「高額だ」というのがその主な理由です。でも、国産車いすを使用し褥瘡治療を受けると、医療費の支出は海外製車いすの製造費を何倍も上回ります。

 アメリカでは「働く意欲を持つチャレンジドが仕事に就き、タックスペイヤーになる」のは当然のことです。意欲があるのに車いすが身体に合うか合わないかということで働けない人を生み出すことは、国益に反するからです。チャレンジドが、多様な車いすから自分に合ったものを選択し「当たり前のように働く日」がいつ来るのか、見続けたいと思っています。

 

竹中ナミ
(たけなか・なみ=プロップ・ステーション理事長)



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