2001年(平成13年)2月 28日(水曜日) 毎日新聞 より転載 |
企画特集 福祉とインターネット | ||
障害者自立 ITの力で |
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IT(情報技術)の急速な進展に伴って、重度の障害者の社会参加が進んでいる。パソコンやインターネットの普及で、障害を持ちながら仕事に就ける可能性が広がってきたからだ。日本はいま、IT社会に向かって突き進んでいる。同時に、経験したことのない少子高齢化社会になろうとしている。経済の論理と福祉の接点として、ITに対する期待は高まっている。 (メディア企画室 岩下恭士) |
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毎日新聞社主催
「福祉とインターネット」シンポ、来月開催 |
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IT社会が急速に進展する中、情報格差(デジタル・デバイド)は大きな課題です。毎日新聞社は「福祉とインターネット」をテーマにしたシンポジウムを企画しました。障害者や高齢者の社会参加にインターネットをはじめとする情報通信技術がどのように貢献するのか、また貢献させるために何が必要なのかを探ります。
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情報集め就職あっせん
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神戸の社会福祉法人
ネット駆使し在宅で |
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米国で最近、障害者を「チャレンジド(Challenged)」と呼ぶことがある。「神からチャレンジという使命を与えられた人」のことだ。この言葉には、障害をマイナスにとらえず、障害を持っているから体験する出来事を自分自身だけでなく、社会のために生かしていこう、という思いが込められている。 神戸市東灘区にある社会福祉法人、プロップ・ステーションは1991年、理事長の竹中ナミさん(52)が設立した。 竹中さんには重症心身障害者の長女(29)がいる。生まれたころ、施設も制度もなく、「親が首を絞めるか豊かな家庭なら座敷牢に放り込むような時代」だった。医師も福祉専門員も「お気の毒に」というだけだった。 悩んだ末に竹中さんがたどり着いた結論は当事者に教わることだった。多くの障害者と接してみると、100%保護の必要な人はまれだった。ほとんどの人が、何らかの潜在能力が残っていた。にもかかわらず、無力な存在と見なされていた。竹中さんには彼らにパソコンを与えれば、仕事ができる、という思いが込み上げてきた。 高齢化と少子化が同時に進むこれからの日本では、フルタイムで働く20歳代や30歳代の人が減っていく。竹中さんは「福祉に必要な人やお金を維持していくためには障害者も高齢者も自分の身の丈に合った働き方で仕事ができるような社会システムが必要」と語る。その思いがプロップのスローガンである「チャレンジドを納税者に」という言葉につながった。 プロップは現在、全国で50人余りのチャレンジドがパソコンやネットワークを駆使しながら在宅で働いている。 仕事の内容は、データーベース開発、ホームページのデザインやサイトの保守・管理、アニメーション制作、翻訳、ソフト開発、データ入力―と幅広い。 技術セミナーの開催とともに、プロップのもう一つの重要な役割は職業あっせん。チャレンジドを知らない企業や行政から仕事を受注し、在宅でできるよう調整することだ。 このほどホームページに求人コーナーも開設し、70人の在宅ワーカーの募集を開始した。「障害者に関する情報は職安にはない。たとえアルバイトでも正当な報酬をもらうことでチャレンジドが人間としての誇りを持てるようにしたい」。自称「関西のおばちゃん」竹中さんのチャレンジは続く。 プロップ・ステーションのアドレスはhttp://www.prop.or.jp/、電子メールはprop@prop.or.jp |
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CGデザイナーに
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脳性まひ男性
細部の表現も可能 |
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パソコンが自分のキャンパスになるとわかったとき、創造力が目覚めた。もう一度、絵を描きたいという意欲が一気に込み上げた。 大阪府堺市に住む吉田幾俊さん(44)は、プロップのバーチャル工房に所属するグラフィックデザイナーの一人だ。脳性まひのため室内の移動もままならない体だが、自由のきく右手だけでパソコンを操作する。 5年前、プロップが主催したグラフィックセミナーに参加した。キーボードを打つのも指1本という状態で、自分にCG(コンピューターグラフィック)ができるのか不安だった。 中級に進んだ半年後、電力会社からイベント用のデザインを制作する初仕事が舞い込んだ。 「生まれて初めての報酬を手にした喜びは忘れられません。でも担当者からの注文が多く、趣味と仕事の違いを痛感しました」 養護学校を卒業後、油絵に出合った。描きたいという気持ちはあっても体力が持たなかった。CGは違った。不自由な手では描き切れなかった細部まで納得のいく表現ができた。 吉田さんは「いまの私はITあっての私」と言い切る。だが、「新版のソフトは障害者にとっては逆に使いにくくなる場合もあります」と顔を曇らせる。 大きな仕事は年に一つ。昨年は、新聞社からの委嘱で正月特集を手がけた。 「行政も本当に障害者の雇用促進を考えているなら、ホームページや刊行物のデザインなどを回してほしい」と吉田さんは訴える。夢は3D(立体画像)作品に挑戦すること。「多くの仲間が使うようになればソフト開発者も片手しか使えない人のことを考えてくれるのでは」と期待している。 |
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ネット管理者を養成
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ホームページ
音声閲覧ソフト開発 |
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大阪府立盲学校
大阪府立盲学校は1992年、盲学校として初めて情報処理科を新設した。一般に盲学校の職業教育はあんま、はり、きゅうが中心だ。情報処理科はITと視覚障害者を結びつける職域開拓を目指すフロンティアとしてスタートした。 ITによる「情報障害の克服」で学校挙げての取り組みが本格的に始まったのは98年7月。文部省(当時)から「光ファイバー網による学校ネットワーク活用方法研究開発事業実践研究校」に指定され、3年間の期限付きだが、念願の1.5メガbpsという高速回線の利用が可能となった。 授業では弱視の生徒が拡大文字、全盲生が音声読み上げで情報を共有できるようになった。電子メールやテレビ会議の活用で、地域との交流も活発になった。 「ここに来ればネットにつながることが彼らにとって大きな魅力なんです」と中島康明教諭は説明する。 情報処理科は2年コース。入学するとまずキーボードによるウィンドウズの基本操作からアプリケーションのインストール手順などをたたき込まれる。次いで音声読み上げソフトを用いたメールの送受信とホームページの閲覧方法を学ぶ。その後、ワードやエクセルといったOAソフトに進み、最終的にはサーバー(ネットワーク管理コンピューター)の管理まで習得する。 生徒指導のかたわら、支援技術開発を手がける横田陽教諭は、フリーウエアの音声ブラウザ(ホームページ閲覧ソフト)、ボイスエクスプローラ(VE2000)を開発、ホームページ上で全国の視覚障害者向けに提供している。横田教諭が今、最も力を入れているのがネットワーク管理。具体的な職種としてはシステムアドミニストレーターだ。 「企業にプログラマーは必ずしも必要ではないが、ネットの管理者は不可欠」と横田教諭は新分野の開拓に意欲を燃やしている。 これまで20人余りの生徒を企業に送り出したが、ほとんどが弱視の生徒。全盲の生徒の仕事はなかなか見つからない。仮名点字しか使ってこなかった全盲の生徒たちには、漢字の知識不足がネックになっている。 中島教諭は「視覚障害児の識字教育にはインターネットへの常時接続の環境が必要」と強調する。中島教諭の願いは生徒全員にノートパソコンと専用点字ディスプレイを1人1台ずつ使える環境を作ることだ。 大阪府立盲学校のアドレスはhttp://www.osakapref-sb.ed.jp/ |
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