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ガバナンス 2001年12月より転載 |
チャレンジドが「福祉」を変える!
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第1回 「チャレンジド」ってなに? |
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読者のみなさんのなかに、「チャレンジド」ということばを聞いたことのある人はどれくらいいるでしょう。この聞き慣れない名称は、これまでの行政や市民生活のなかで「障害者」という名で呼ばれてきた人たちのことです。でも「差し障りがあって、害がある人」という呼び方が、これまで彼等の人格をどのくらい傷つけてきたことでしょうか。 アメリカでは、すでに「ハンディ・キャップ」ということばがマイナス部分を強調してきたという反省から、「ザ・チャレンジド」ということばで表現するようになっています。私は日本でもこのことばを「バリアフリー」や「ノーマライゼーション」と同じように定着させたいと願っているのです。 私は、神戸で「プロップ・ステーション」というチャレンジドの自立支援を行うNPOを運営しています。支援の目的は、コンピュータとインターネットをツールに経済的に自立を果たしていくこと。これまで「保護」や「措置」の対象だったチャレンジドが、就労の機会を得て納税できるようになってもらうことなんです。これって、財政が厳しいからと「福祉」予算削減をめぐってあれこれ議論するより、よっぽどチャレンジド自身のためにも社会のためにも前向きだと思いませんか。 私が最初にそうした発想を教えてもらったのは、ケネディがアメリカ大統領になったときの「私はすべての障害者を納税者にしたい」ということば。これは、1962年2月1日の社会福祉教書のなかにありますが、知ったときは物凄いカルチャー・ショックでした。「障害者年金あげるからおとなしくしてなさいよ」という日本と何とちがうことか。当事者が社会への責任を果たしながら、自分の意思でしっかりと発言できるようにしたい。私の胸のなかに、「チャレンジドを納税者にできる日本」というキャッチフレーズが根を下ろしたのはそのときでした。 そもそも私が「チャレンジド」に初めて出会ったのは、今から30年前。娘が「障害児」として生まれてきたときです。障害がわかったときショックだったのは、その事実ではなく、「わしがこの子を連れて死んだる。それがわしがお前にできる唯一のことや」と父が叫んだことでした。当時、障害をもって生まれるとはそういうことでした。 だから「この状況をマイナスに捉えたらいかん」と思ったんですね。それからは育児書を探し回る日々です。でも障害児向けの育児書なんてどこにもない。「ないんだったら自分で作らなしゃあないわ」。これが私の出発点になりました。 それからは、ありとあらゆる情報収集です。医学書にあたり、人にあたり、役所にあたり…。それは「社会の壁」というより「意識の壁」にぶちあたる連続でした。この中で気づいたことは、情報の大切さ。情報を追いかけて試行錯誤を繰り返しながら、情報の宝庫であるコンピュータにたどりつくとは、そのころは思いもしませんでしたけど。 今月号から、「プロップ・ステーション」の活動を通して、チャレンジドがこれまでの「福祉」を変えようとしている姿を皆さんにお伝えしていきたいと思います。 たけなか・なみ 社会福祉法人 プロップ・ステーション |
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