作成日 1999年9月吉日

 
 
 
     
 
基調講演
 
  「チャレンジドが社会を変える」  
  ジャーナリスト 櫻井 よしこ さん  
     
 
 竹中さんとの出会いはあまりにもおもしろいもので、人間を見る視点を根本から変えていく人だなと思いました。
サムハル社を見学させていただいた時にも、人や政策についてこういう見方をするならば、本当の意味で幸せなことだなと思いました。
それは、一人一人の義務、責任を伴っているが、新しい価値観につながることだと思いました。
 
     
  ●小学校の学級崩壊は、子どもに義務、責任を与えず、自由を与えすぎたことから起きている。  
   私は、今学校の取材をして います。現在の学校は、学級崩壊というよりも学校崩壊が進んでいます。それは、社会全体の崩壊にもつながるのではないかと思います。今日は、東京のある学校についてお話しさ せていただきます。
 
 その学校の女の先生が、ある日、その小学校に通う子供の、ある特定の親に対して、手紙を出しました。その内容は「謝罪をしてほしい」というものでした。その親は自分の子供にそのことについて聞きました。その子供が言うには、先日、その女の先生が階段から突き落とされたと言いました。それをまわりで見ている子もいたが、誰もその先生を助けようとはしなかったと言いました。その子供たちの親に対し「私に謝ってください。こんな子供に育てた親として謝ってください。反省してください」と手紙を出したのです。
 
 その手紙を読んだ親たちの中には、戸惑った人、冷静な人、怒った人がいて、いろいろな反応を示しました。私もその話しを聞いた当初は疑問を抱きました。
 
 たかだか小学生のすることに対して先生がコントロールできないで親に対して手紙を書くことが必要なのだろうか、子供たちはその女の先生を本当に階段から突き落としたのだろうか、本当に誰も助けなかったのだろうか、学級の問題であって親の問題ではないのではないか、と。しかし、話を聞くと、その小学校では3階の教室の窓から机を落としたり、それ以外でも暴力事件が起きたと言います。先生たちは小学生たちをコントロールできなくなってきているのです。
 
 そこで、先生たちは、今小学校で何が起こっているか、自分たちの子供が何をしているのか、親たちに対して「情報」を開示しましょうということになり、小学校で起きていることの対処方法について知恵を出し合いたいと「父母会」を開きました。そこで親たちは、階段から突き落とされたり、子供たちにひどいことをされたという先生たちの話を改めて聞かされたのです。先生たちは「雨の日に学校へ行くのが怖い」と言っていました。それは傘で先生たちを突ついたりするからです。また、先生を殴ったり、蹴る子もいるそうです。小学生のすることなのだからたいしたことはないと思いましたが、今の小学5年生、6年生たちはすごく大きい。大人と同じ力がある子もいます。
 
 また親たちは、自分の子供 が勉強している教室を見ました。その教室はすごく汚かったそうです。給食のおかずが投げつけられた痕が所々にある、壁に穴が空いているなど、まったく秩序の見られない教室を見て親たちはショックを受けたと言います。
 
  「父母会」は最初からスムーズに進んだわけではありませんでした。第1回目では「先生が悪いんじゃないか」という意見が出されました。そこで一人のお父さんが発言しました。
 
  「皆さんで一度考えましょ う。本当に今、自分たちの子供に何が起きているのか。みんな自分の胸に手を当てて考えてみましょう。自分たちが子供の頃、ずるいことをしなかったかどうか、親の前だけではいつもいい子にしていたのではないか。親の目の前で見る子供だけが子供の姿ではないのではないか」と。
 
 親たちは、学校の先生、つま り、自分の子供にとっては「赤の他人」である先生から見た子供たちの姿はどうかと聞いたところ、まず、生活の規律ができていない、遅刻をしても、戸を空けて何も言わず黙って椅子にすわるなど、基本的な集団生活ができていないと言われました。授業の45分間をじっとしていられなくて、立ってみたり落ち着きがない。散らかしても片付けない、ごみが落ちていても拾わない。姿勢は背中が曲がっていたり、子供らしくない子供が多いとのこと。それを先生たちは親の責任だと言います。
 
 それは何故なのか考えてみると、日本が小金持ちになったからなんだと思います。少子化で、親は子供がかわいくて仕方がない。できることは何でもしてあげたいと思っています。
 
  子供の権利と自由が強調され過ぎているのです。自分のエネルギーは自分のために使 う、それは一般論。子供は好きなことをやっていればいい、それが個性を育てることになるのでしょうか。そのためか、最近の子供たちは集団行動ができません。できなくても悪いと思っていないのです。小学生には受験がないので競争の原理が働かない。自由にやさしく指導されている小学校の学級崩壊が一番ひどいのです。
 
 小学6年生になっている子供たちの人生半分は親が育てています。また、子供たちが学校にいる時間は24時間の内の1/3弱です。それ以外の時間は親が監督すべき、親の責任もあるのでは、とディスカッションされました。
 
 父母会では「お互い協力しよう」と結論が出ました。子供に尊敬する対象を見出させる、子供でも自分のことに責任を持つのが人生であると教える、我慢を教えるなど。そこで言われた一番大きなことは、親が子供のことをいつも見てあげることです。その後、毎日、親たちが学校へ来るようになり、子供たちの暴力は徐々におさまりました。
 
 自分の人生は自分で引き受ける、自分で始末する、責任を持つ。全てフラットではない、違いがあるんだというのを認め、チャンスを活かしていく。何もしないでは進んでいけない、人生はうまくいかない、ということを気づかせてあげなくてはいけません。
 
   
     
  ●金融機関の経営不振も、経営者、国民の無責任さが 原因  
   学校だけではなく、日本ほど個人が責任を持たない国はないのです。最近、日本の銀行は調子が悪いが、7兆5,000億もの公的資金が注入され潰れるのを免れています。それでも銀行は健全になっていないし、銀行が死に物狂いでそれを返すとも思えません。
 
 まず、銀行の体制が変わらないと何も変わらないのです。日本の銀行も国に守られて競争の原理が働かなかった業界です。それと同じで、子供たちも無力感を味わっています。社会全体、日本全体が力をなくしているように思います。
 
     
  ●斬新な「チャレンジドを納税者に」との発想   
   そこで、プロップ・ステー ションのような団体がでてきて「チャレンジドを納税者に」という発想が出てきました。障害が一つや二つあっても能力や可能性はいっぱいあります。コップの中の半分のお水を「もう半分しかない」というネガティブな考え方は、日本の今までの福祉政策。「まだ半分もあるじゃない」というのがアメリカやスウェーデンの考え方で、日本の発想とは正反対です。まだ半分もある(だから大丈夫)という発想、この半分を活用しようというポジティブな考え方なのです。  
     
  ●チャレンジドへの本当の優しさとは何か  
   先輩のジャーナリストに「筋萎縮症」になった人がいます。彼女は、車いす生活を始めて、日本は住みにくいと初めてわかったと言います。マンションの通りから出ることも大変で、大学の先生(教授)をしていましたが、それも辞めざるを得なくなったと言います。彼女は病院に入ることになりましたが、日本のそういう病院はだいたい山の奥か海の近くにあります。都会のど真ん中にあればいいのにと思いますが。その病院に入った彼女は、家族と会うことも少なくなりました。友達は彼女に会いに来て、いろいろなものを持ってきてくれたけれども、彼女は「私がほしかったものを誰もくれなかった」と言います。それは何?と聞くと 「私は、あなた(友達)の時間がほしかった。あなたが家で生活するように、あなたの時間がほしかった」とのことで した。
 
 そんな時、彼女の旦那様がアメリカに転勤することが決まりました。旦那様は悩み、断ろうと思いましたが、彼女にそれを相談しました。でも、彼女は「いいじゃない。行きなさいよ。私も一緒についていくから」と言い、思ってもみない返事に彼はびっくりしたそうです。彼女は「私の状況を考えてください。このまま日本にいたらこのまま何もしないで死んでしまう。アメリカに行けば何かチャンスがあるかもしれない。活力が得られるかもしれない。私も一緒にアメ リカに連れていって」と言ったそうです。渡米から数日後、「アメリカでは病院に入院しなくてもいい。旦那様と一緒に生活ができる」と書かれた手紙が届きました。アメリカではボランティアはコミュニティという形で来てくれるそうです。また、車いすで市内観光やレストランに入ることもできたと書かれていました。 また彼女は「アメリカはいいよ。私にもボランティアができるようなったんだからよかった」と言ったのです。私は耳を疑いました。「どうやってするの?」と聞くと、ボランティアの人は教会の人が多く、その人たちに教会に連れて行ってもらい、いろいろな人と出会ったと言います。みんな温かい人たちばかりで、みんな日本に興味を持っていたそうです。そこで、ボランティアで日本講座を開くことになったとのことでした。そこでは「日本の歴史・日本の社 会・日本の時事問題」などを教えていたそうです。アメリカ に行ったことによって、人間として暮らすことができたと彼女は言っていました。
 
 彼女たち夫婦が日本に帰ってきた時、日本社会は相変わらず何も変わっていませんでした。日本は「自立」するということに手を貸してはくれない。彼女の生活は、アメリカに行く前の、元の生活に戻ってしまいました。また、病院に戻ることになりましたが、その彼女の落胆ぶりは見るに見かねるほどでした。アメリカで生きる実感を得た彼女の絶望 感は、より深かったと思います。その後、彼女は亡くなりました。
 
 彼女は、生前私に「私にとって一番やさしかった人って誰 だかわかる?」と質問をしました。彼女は「アメリカに住んでいたときに知り合った近所の人たちよ」と言っていました。黒人の人、白人の人いろいろな人が彼女の元にやってきて私を必要としてくれた、自分の時間を割いて一緒にいてくれた、彼らの時間を私にくれたと言っていました。むやみやたらと手を貸してはくれない、本当の意味でのやさしさをくれたのはアメリカ人だったと彼女は言いました。本当のやさしさとは、その人が人間として生活できるように共に考えていくことではないか、自立できるような社会に変えていくことではないか、と思います。
 
     
  ●日本の障害者を巡る「優しさ」の現状  
   日本は、不況、不況と騒がれていても金持ちの国です。国民の貯金が1,270兆円という国は、世界広しといえどもそうそう多くはありません。経済GNPは、アメリカに次ぐ世界第2位です。世界一の教育を受けていますし、日本はやさしい、でも、本当のやさしさは飴玉をあげることだけではありません。障害者だから仕事しなくていい、というのは偽りのやさしさです。最近では、仕事をしている障害者も いますが、多くは「作業所」に通っています。作業所へ通う障害者全体の35%は一か月の給料が5,000円以下。全体の約 7割が10,000円以下なのです。とても障害者が自立生活をできるようにはなっていな いのです。  
     
  ●チャレンジドが自立できるように支援していこう  
   政策を待っているだけでは何もならない。障害はみんな持っています。性格の悪い人も障害ですよ(笑)。チャレンジドたちの能力を活用してください、それを具現化したのがプロップ・ステーションです。チャレンジドもコンピューターや他の能力を使うことによって、納税者になることができるのです。どんな人にも競争原理が働くようにする、自立できるような社会にすることが大切です。日本人にはそれができるはずです。日本を改革しなければと誰しも思っていますが、足踏みしている状態ではないでしょうか。それは、混乱することに恐れを抱いているからではないでしょうか。  
     
  ●今、あらゆる意味で社会の仕組み、価値観を180度 変える時期  
 

 日本人には、それが可能。
 
 車いすに最初に乗った人は大冒険をしたように思います、でも、やってみると以外と何でもないことがわかる。教育、銀行、福祉政策、これらにおいて日本は180度の転換を強い られています。
 
 しかし、日本は180度の転換が得意な国です。過去にも、武力が支配した戦国地代から、農業を基盤として豊かな徳川時代へと変わりました。また、明治維新には、もう一度、列国と競っていくために国家の方針や国民の考え方が180度変わりました。それらの出来事が私たちの遺伝子に組みこまれているのです。
 
 皆さん、半歩勇気を出すこと、自身を持って、真直ぐに、 前を向いて歩いて行きましょう。

 
     
  writing by 松本笑美子さん神戸マルチメディア・インターネット 協議会事務局  
     
 
基調講演中の櫻井よしこさんと真剣に聞き入る来場者
 
     
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