作成日 1997年1月5日

支援企業探訪

マクロメディア(株)
〒107 東京都港区赤坂4-3-28
ディアプラザ赤坂2F
TEL 03-5563-1980
FAX 03-5563-1990
会社設立:平成6年11月
業種:マルチメディアソフトウエアの開発、販売

プロップと協力して「インターネット・デジタルパブリッシング・バイ・チャレンジド」を企画したい。

 コンピュータ・コミュニケーションのための最先端の映像・音声ツールを提供するマクロメディア社の手嶋雅夫社長。「第1回チャレンジド・ジャパン・フォーラム」では、「インターネットは、ボーダーレスなクリエイティブ・ワールド。そこでは国籍も障害の有無も関係ない。一生懸命やった人が幸せになれる」と発言し、われわれを勇気づけてくれた。
 インタビューに臨んだ手嶋社長は、多忙の中2時間あまりにわたって、来るべき新しい時代の生き方を語ってくれた。そして、プロップとの共同プロジェクトの話も!

(インタビュア:竹中ナミ)

チャレンジドの人は
「心の襞」が多い

竹中:プロップ・ステーションへのご支援、ありがとうございます。第1回フォーラムでのご発言には、チャレンジドの人たちも大変勇気づけられたと思います。そこで、手嶋さんのところと是非何かおもしろいプロジェクトをやってみたいというお願いも含めて、いろいろお話をうかがいたいと思いました。
手嶋:チャレンジドの人たちは、もしかすると、ぼくら以上に高いコミュニケーション能力を持っているんじゃないかと思うんです。というのは、社会的な不利を背負って生きている人たちだから、他人の自分たちへの接し方にすごく敏感で繊細でしょう。そういう敏感さや繊細さって、コミュニケーションの上でとても大事なことだし、モノを創造する上でもとても大事な資質ですよ。だから、そういう資質に対するアウトプットの仕方をうまく身につければ、非常に優れたクリエイターになると思うんです。
竹中:プロップの存在意義は、まさにそういう部分での支援にあると思っているんです。「この人はきっとできる」と思える人たちの可能性を引き出すこと。そして、その人が在宅でがんばっているところに、仕事を引っ張ってきて、自立していってもらうこと。この役割が今とても求められていると思うんです。
 一般の人たちは、よくチャレンジドのことを「かわいそう」と言いますけれど、本当は一般の人たちよりも、すごいバネを持っている人が多いんです。そこに目を向ければ、企業にとっても、優秀な労働市場になるし、旺盛な消費市場にもなると思うんですけど、目を向けないからビジネスチャンスを眠らせているという感じがします。
手嶋:なるほど。逆に言うと、苦労知らずの優等生って本当にダメなんですよ。この前も、東大を出て外資系の証券会社に入ったという若者に会ったんですけど、会った途端に話す気が失せました。「ぼくはヨットに乗って世界を一周したこともあります」とか言うんですけど、「そうか、じゃあ一生やっとけ」と(笑い)。そういう気持ちでした。要するに、人間的な魅力が全然ない。
竹中:せっかくの経験も、何もその人の魅力にならないということですか。もったいない話ですね。
手嶋:もったいない。経験を自分の血にしたり肉にしたりする感受性がない。心の襞が少ないんだと思います。それに比べたら、この前お会いしたチャレンジドの人たちは、圧倒的に心の襞が多いと思います。「この人は私のことをどう思っているんだろうか」「この人はこうだったんだろうか」ということを、いっぱい考えてきたんだろうなと、お話を聞いていて感じました。
 これは健常者にも言えることですけど、燃え立つ人というのは精神的に大きな障害物を抱えていて、それを乗り越えてやろうというバネが働く人ですよ。ぼくなんかも、「理不尽な社会への怒り」というものを抱えていて、それを「何とかしなければ」って気持ちで仕事をしていますからね。

個々人が本当に
痛い目に遭って目を覚ます

竹中:どういうところに社会の理不尽をお感じになるんですか。
手嶋:たとえば、ぼくは神戸大学経営学部の「ベンチャービジネス企業論」という講座で3ヵ月に1回、話をするんですけど、日本の学生ってつらいんですよ。90分の授業で質問タイムは5分もあれば済んじゃう。その質問も「電通と博報堂はどんな風に違うんですか」なんてしょうもない話なんです。
 それが、アメリカの大学だと、半分は質問タイムで、質問も「友達とこういうビジネスを考えていて、お金を出してもらえる目処も立っているんですけど、このビジネスをワールドワイドに広げていくにはどうしたらいいですか」というような、非常に具体的なものですよ。
竹中:確かに、いまの日本の若者って覇気がないですよね。
手嶋:ええ。その一方では、女の子がブランド品欲しさに身体を売っていたりする。先進国の中でこんな国、日本だけですよ。
 結局、彼ら彼女らは多感な時期にバブルを見ちゃったわけですよね。「いい学校に行って、いい会社に入れば」と言われて勉強していたら、そういう育ち方をした大人がみんなズルばかりやって、お金まみれで。しかも、そういう現象に対して、誰も毅然とした姿勢を示さなかった。誰もちゃんとした価値観を示さなかった。社会の仕組みがおかしくなってしまった国の中で、これからどうやって生きていくのか、彼ら彼女らはわからなくなっちゃっているんだと思うんです。
 このまま行ったら、日本はもっと悪くなって、彼ら彼女らが会社に就職してもボコボコ首を切られたり、就職した会社が潰れちゃったりということが、もっと起こってくると思います。だから、「何とかしなければ」って気持ちになるんです。
竹中:大きな問題ですね。どうしたらいいんでしょう。
手嶋:いっそアメリカのように、すべてが公開されてシビアに結果が見えてしまう国にしないと、どう生きたらいいか見えて来ないんじゃないかと思います。でも、政治を待っていても仕方がないから、まずは個々人が一回本当に痛い目に遇って「このままじゃいかん」と目を覚ますことでしょうね。そういう人は、従来の企業社会の中では落ちこぼれの烙印を押された人かも知れないですけど、その中からクリエイティブ・ワールドのような自分を生かす新しい環境を見つける人が出てくる。そういう社会になっていけばいい。
 最終的には、冷たいようですけど「諦めて頑張らなかった人はダメ」という社会がいいと思います。だって、チャレンジドの人たちだって、諦めずに頑張っている人は出てこようとしているじゃないですか。テクノロジーの進歩で、そういう可能性は広がって来ていますからね。

手嶋流
「甲子園売り子マーケティング」

竹中:手嶋さんもここまで来るには痛い目に遇って来られたんですか。
手嶋:ええ、それはもう。実は、ぼくの実家は料亭をやっていたんですけど、親父が遊んでいたこともあって経営が傾いていたんです。終いには、電気・ガス・水道を止められちゃって、ぼくの小学校の給食代も払えないところまでいった。それで、親父が一念発起して学習塾を始めて、一時はいいところまでいったんですけど、結局これも潰れて借金だらけになって。ちょっとぼくの世代ではそうそう味わった人がいないような経験でしょう。これがけっこう性格形成に影響してますね。
 博報堂を辞めて、独立したのも、周りからは「お前はいいよな、独り者だもん」なんて言われましたけど、そうじゃないんです。両親を養わなければいけなくなって、若いサラリーマンの給料では養えないから、自分で商売をやることに勝負を掛けざるを得なかったんです。
 で、友達がやっていたソフト会社に入って、その会社とアメリカのソフト会社の共同出資で日本法人を設立して社長になったんですけど、アメリカ本社の経営が変わって、社長を辞めさせられて。忘れもしませんね、94年の5月24日です。「弁護士事務所に来てくれ」って言うので、「合併問題の話かな」と思って行ったら、いきなり社長解任の話なんです。それで今度は、アメリカのマクロメディアに「一緒に日本でビジネスをやろうぜ」って話を持ちかけてこの会社を作ったというわけです。
竹中:すごいご経歴ですね。でも、もともとマーケティングとか経営みたいなことへの関心は強かったんですか。
手嶋:いえ、そんなことないです。大学院では土木工学を勉強していたんですからね。ぼく、家が苦しくてあまり本を買ってもらえなかったんで、地図ばかり見ている子供だったんです。ある時「南米のパラグアイという国の首都アスンシオンでは、土地は肥沃なのに水利が悪くてマテ茶しか採れない」という話を読んで、「よし、オレはこれを何とかしてやる」って決意して、土木、それも農学部の農業土木に進んだんです。
 ところが、家が破産して学費を自分で稼がなければいけなくなって、甲子園球場の売り子をやるようになった。そうしたら、工学的な分析よりも人間の分析の方がおもしろくなっちゃったんです。人から教えられて、「そういうのをマーケティングと言うのか」と初めて知って、「じゃあ、マーケティングの会社に行こう」と。それで、博報堂に入ったんです。
竹中:「甲子園球場の売り子がやるマーケティング」って、どういうことだったんですか。
手嶋:あの仕事は歩合給なんで、最初「一番売れる人と一番売れない人とどのくらい違うんですか」って聞いたら、2倍違うって言うんです。「何が違うんだろう」と思って売れる人と売れない人を見比べたら、売れる人は階段の昇り降りを何度も繰り返して縦中心の動きをしている。売れない人は階段の昇り降りを嫌ってか、横中心に動いている。「それだけのことなのかな」と思ったんですけど、他に違いが見つからなかったんで、やってみたんですね。1回から4回までは縦に、5回から9回までは横にって。そうしたら、同じぼくという人間が売って、本当に売上げが2倍違ったんですよ。
 どうしてかって言うと、後で知ったんですけど、お客さんが「すみません」と声をかける距離というものがあるんですね。専門用語で「接点距離」と言うんですけど、その接点回数をいかに多くするかで売上げが違ってくるんです。縦に動いた方が接点回数が多いんです。
竹中:ははあ、そういうことがあるんですか。で、がんがん売りまくったと……。
手嶋:そうしたら、今度は「もっと売るにはどうしたらいいか」って思うでしょう。買いそうなお客さんがいる場所を狙ったんです。その時、ぼくはカップルの多いところを狙った。自分の身になって考えれば、彼女を連れて行ったら絶対に「何か飲む?」って勧めますから。
 ところが、これが全くの空振り。「おかしいなあ」と思って女友達に聞いたら、こう言うんです。「だって手嶋君、甲子園球場のトイレって汚いんだもん。それに、他のお客さんの前を通って行く時にお尻を触られたりもするし。だから、女の子は飲み物は我慢しちゃうのよ」って。「ちゃんとお客さんの心をわかっていないと、本当にダメなんだな」って、つくづく思いました。
 で、最終的にぼくが狙ったのは、オヤジの団体なんです。たとえば5人の団体がいたら、一人一人では買わないでしょう。一人が「お兄ちゃん、ビール5本くれる?」って声をかけてきて、「いいよ、とりあえずオレが払っておく」ということになる。「じゃあ今度はオレが」って、あと4回買ってもらえる可能性があるでしょう。これは図星で、さらに売上げが伸びましたね。
 でも、これはぼくにしか出来ないことじゃなくて、単なるノウハウに過ぎない。だから、その後ぼくは学校の仲間に伝授して売り子の仕出屋になったんです。「手嶋君ところの学生さん、よく売ってくれるよ」って喜ばれました。そういう稼ぎで、ぼくは学校を卒業したんです。

時には社員に
蹴りを入れることも

竹中:いやあ、本当に感心します。でも、さっきのこれからの若い世代への思いにしても、いまの仕出屋のお話にしても、「手嶋さんって人を育てるのが好きなんだなあ」って思いますね。
手嶋:いま現在のことについて言えば、好き嫌いじゃなくて、「育たないとヤバイだろ」って気持ちなんですよ。ぼくらの次の世代は、世の中の仕組みが大きく変わっていく中で生きていくわけじゃないですか。彼らに対して、ぼくらが何かを伝えなければいけないって思う。コンピュータ・インダストリーは若いから、ぼくらは一番新しい波を受けながら生きている。そこで得たものを次に伝えなければいけないって思う。だから、ぼくは社員に対してメチャクチャ厳しいですよ。「来るべき厳しい時代に生き残っていく力を、ここで身につけていってくれ」って思っているから。
竹中:かなり社員の方々を怒鳴りつけたりする方ですか。
手嶋:それどころか、蹴りを入れたりすることもありますよ。もちろん、どこまで怒るかは考えて怒るんですけど。
 この前、何年ぶりかで本気で怒りました。ウチの会社を会場にしてプレス発表をした時なんですけど、本来なら「この商品をよろしくお願いします」って、自分たちがお客さんを回るべき話でしょう。ウチはたまたま時流に乗っているから、お客さんの方から来てもらえるだけ。なのに、担当者がそれを当たり前に思っているような感じだった。しかも、準備がお粗末な上に、「ウチはすごいでしょう」みたいな説明をしていた。それで腹が立って、途中でそいつを引っ張りだして、蹴りを入れましたよ。
竹中:蹴られた社員の方は、「辞めます」とか言わないんですか。
手嶋:言いません。「いつ来るかと心の準備はしていた」って言ってました。周りも「こりゃあ来るぞ」って思っていたみたいですよ。
 ぼくは、二つの理由で怒ったんです。一つは、ウチに対して協力してくれる可能性のある人たちに、非常に失礼なことをしていたということ。もう一つは、「これはこの程度の商品」と軽く考えていたことです。
 メジャーな商品の時はホテルを借りてプレス発表をやるんですけど、今回の商品はそれほどメジャーな商品ではないので、担当者はウチでやることにしたんだと思います。しかし、それならそれで、別の愛情の込め方があるはずです。ホテルでやる時とは違うアットホームな雰囲気づくりをするとか。ところが、そういう愛情が全然感じられなかった。ぼくらはメーカーでしょう。モノを産み出したら、ちゃんと育ててあげなければいけない。メーカーが「これはこの程度の扱いでいい」なんて自分で軽く考えたら終わりです。そのことはビシッと教えなければいけないと思ったんです。
 ぼくは、作った商品をちゃんとインフォメーションできないで価格決定能力を失ったら、メーカーがメーカーをやる理由がないと思っているんです。そういう意味で言うと、オープンプライスなんていうのは、メーカーが墓穴を掘っているようなものですよ。
竹中:しかし、オープンプライスは最近の趨勢になっていますよね。
手嶋:あれは流通が力を持ったからだと言われますけど、メーカーにとっても楽な道なんです。ユーザーの「この値段で何でこうなんですか」という文句を、流通が吸収するようになるから。つまり、モノを作った人間の責任が減るんです。ぼくは、「そんな失礼なことをするなら、商品を出すな」って言いたい。それにそういうユーザーとのつながりを大事にしないやり方をしていたら、流通が変わった時に簡単に足元をすくわれちゃいますよ。
 ウチは、ユーザー登録カードに書かれたコメントには、100%社内を回覧し、必要なものは連絡をするんです。「バカ者」とか「死ね」とか書いてくる人もいますけど、そういう人にも電話をするように言ってある。絶対に味方になってくれますから。
 ウチみたいなプロ向けの商品を作っている会社は、使ってくれる人と一緒になってでないと、いい商品は絶対に生まれない。たとえば、プロ向けの包丁を作っている会社は、包丁は作れてもプロの料理は作れないわけでしょう。だったら、料理を作っている人に「ウチの包丁、どうですか」って聞かなければいけない。
竹中:どこの会社も「お客様の声に耳を傾けながら」ということは言いますけど、やはり本物とそうじゃないところがありますね。
手嶋:そうです。本当のユーザー・オリエンティッドは、お客さんと喧嘩するぐらいの覚悟がないと出来ないですよ。だから、ぼくはウチのユーザーサポートにこう言ってあります。「理不尽な話は聞くな。万一の時は全額返してもいい。その代わり、ウチが間違っていたら、地の果てでも謝りに行け」って。しかも、「万一の時は全額返してもいい」ということも「自分の判断でやれ」って言ってあります。そのくらい腹を括ってかからないと、本物のユーザー・オリエンティッドなんか出来ません。

「社員は自らのために働け」
会社が伸びる秘訣

竹中:しかし、社員の方々にとっては厳しい会社ですね。その厳しさの中で、「がんばろう」って気にさせるものは何なんでしょう。何か秘訣があるんですか。
手嶋:「自分のために働け」って言ってあるからでしょう。最近、動物行動学の「利己的遺伝子」の理論に興味を持ったんですけど、簡単に言うとこういう考え方なんです。「遺伝子は自分と同じ遺伝子を多く残すことしか考えない。人間はそういう遺伝子に支配された存在である」と。「やっぱり人間は、自分のためにしか働かへん。それが基本なんや」って、改めて思いましたね。
 植民地国家の歴史を見ても、そうでしょう。植民地の人たちを連れてきて兵隊にして、「フランスのために戦え」って言っても、真面目に戦うはずがない。終いには本国までおぼつかなくなる。会社も同じです。会社がやるべきは、社員が自分のために働く環境を提供し続けることだと思うんです。そうすれば、社員は一生懸命に働いて成長し、会社も成長する。
 会社を伸ばすために、社員に「自分のために働け」って言ってるんじゃないですよ。会社が伸びるのは、社員が自分のために働いた副産物でいい。ぼくは「企業は永遠」なんて思ってません。役割が終わったら、なくなっていいし、なくなるべきだと思いますから。社員には「この会社、あと2年もしたらなくなるかも知れんぞ」って、しょっちゅう言ってます。「だから、自分のために働いて、自分の力で生きていけるようになれ」と、そういう考えなんです。
竹中:「第二、第三の手嶋になって羽ばたいていけ」ということですか。
手嶋:いや、「阿部なら阿部というお前個人の人生観を持って、ビジネスをやっていける人間になれ」ということです。そういう、個人の本質に基づいた生き方のできる人間が、たくさん出てくればいいと思っているんです。
竹中:しかし、有能な人材がみんな出て行ってしまったら、手嶋さんはどうなさるんですか。
手嶋:ぼくはぼくで、自分の人生観に基づいて、また新しいことをやります。ぼくは、別にコンピュータが好きなわけじゃないんですよ。自分で商売をやるなら、豆腐屋でも良かったし雑貨屋でも良かった。
 ただ、「いまはコンピュータだ」と思ったからやったんです。そのコンピュータの中でも、「いまはこれだ」と思って前の会社をやり、「今度はこれだ」と思って、今の会社を作ったんです。テクノロジーの最先端にいるような会社は、その役割を終えたら去っていくべきものだと思うんです。残っていくなら、常に新しい役割を担っていかなければならない。それが、ある人が曰く「エレガントな会社」ということだと思うんです。
今の会社が残るかどうかわかりませんけど、残るにしたって、2年もすれば別の会社に様変わりしているはずです。それと、ぼく自身は、実はもう5〜6年もしたら、南の島に行って海の家のオヤジをやろうと決めているんです。いや、マジで(笑い)。もう、どのあたりの島にするかも目星をつけているんです。

マクロメディアの
サポートプラン

竹中:それでは、ますます今のうちに手嶋さんのお力をお借りしなければいけません(笑い)。第1回のフォーラムで手嶋さんは、「世界のクリエイターがアクセスする画像データベースを作る」というお話をされていましたね。たとえばそこで「チャレンジド・ホームページ・コンテスト」みたいなことをして、チャレンジドの人たちがクリエイティブ・ワールドに羽ばたいていけるようなことができたらいいと思っているんですけど
手嶋:それはおもしろいですね。いまウチの方では、第一段階で、アメリカのマクロメディアのホームページに、日本語のページを表示できるような仕組みを作ったんです。ぼくは、「.co.jpは持たない」という考えです。というのは、「.com」じゃないと世界からのアクセスは生まれないですから。
 で、第二段階が、画像データベースの構築です。ウチのユーザーは、2D、3D、アニメ、サウンドまで駆使する可能性がある人たちなんです。彼らはホームページの素材を提供すると同時に、自分が使っている人たちでもあります。その提供と使用の共通の場を、ウチで提供しようということです。そこでは、画像ですから、日本人が作ったものだろうがアメリカ人が作ったものだろうが関係ありません。
 第三段階は、それを知らしめた上で、有料情報を作っていく。会員制でもいいし、その都度の課金でもいいし、CD-ROMで提供してもいい。そういう展開で考えています。
竹中:重い障害を持った人でも、その人のプロダクツが世界のクリエイターに使われて、収入が得られるような仕組みが、これから出来ていくわけですね。
手嶋:そうです。電子商取引のシステムは、2年後ぐらいを見据えて進めていますから、竹中さんの方としても、それを見据えて体制を整えていただいていいと思います。チャレンジドの人たちに勉強してもらって、いい作品を作ってもらって、その元締めをプロップさんでやってもらって、ウチのデータベースに載せるということは可能です。
竹中:ありがとうございます。それと、プロップでは今、「神戸プロジェクト」ということで、神戸の未来のために何かできないかと考えています。具体的には、郵政省関連組織のTAOのもつシステムをお借りして、障害児を含めた子供たちが世界に向かって情報を発信していくような仕組みを作りたいと思っています。プロップのチャレンジドの人たちが子供たちを教えて、いくらかの報酬も得られるような形で。これも、何かマクロメディアさんと一緒にできるようなことがあれば、是非やりたいんですけど。
手嶋:リンクを張ることぐらいは簡単にできると思います。ウチのはすべて「.com」でつなげて行きますけど、ローカルなものは「.co.jp」でいい。それはやりましょう。
 たとえば、こういうのはどうでしょう。「インターネット・デジタルパブリッシング・バイ・チャレンジド」というような大枠で、プロップさんの方で事務局を作ってもらって、それをわれわれの方でサポートする。で、その中で、その都度いい企画があったら実現していく。たとえば、「子供たちのクリスマスカード・ホームページ・コンテスト」とか。
竹中:おもしろいですね。
手嶋:ただ、そこで一つうかがいたいのは、「チャレンジドによる」という特別な扱いがいいのかどうか。
竹中:何事につけ、最終的には特別視したくないんです。ただ、今の彼らの状況は、特別視されないレベルまでいくためのサポートがないのが問題なんです。だから、過渡期として、やはりある程度の特別枠が必要だと思います。
手嶋:じゃあ、こうしましょう。とりあえず「チャレンジドによる」という形で進めるけれども、ビジネスにする段階になったら、それは小さく隅に載せるだけにする。広報的には「こういう人たちがやっている」ということをアナウンスしても、実際に見にいくと、特別扱いはしていないという形。ウチは、それ以外にもいくつかのプロジェクトを走らせますから、それと同等のプロジェクトとしてやっていく。そういう形でいいんじゃないですか。
竹中:ありがとうございます。そういうお話をいただけて、非常に心強く思います。今日は長時間、本当にありがとうございました。
(Words & Photos 中和正彦)

対談後記

手嶋さんのご紹介で、アドビシステムズ(株)からもセミナー用ソストウェアの無償提供を受けることが出来ました。マクロメディア、アドビシステムズ両社のご支援により、ますます充実のMacセミナーが続いています。中級コース受講生たちは、まもなくプロのMac使いとして、あるいはアーティストとして手嶋さんが提案下さったプロジェクトの一員となって、その実力を発揮し始めることでしょう。「仕事」とまで呼べる状況に至るには、まだまだ時間がかかるかも知れへんけど、challengedたちの努力が実る日は遠くない、と思っています。
それにしても、手嶋さんの半生記はなんともドラマチックなものでした。そして、手嶋さんは、過激さとやすらぎが同居している、不思議な方でした。
(ナミねぇ)


手嶋雅夫さん
マクロメディア(株) 代表取締役社長
1957年愛媛県生まれ。1982年神戸大学大学院修了、(株) 博報堂入社。食品から海外の観光プロモーションまで幅広く担当する。1988年(株)サムシンググッド入社、商品マーケティングを担当。1989年アルダス本社、サムシンググッドの共同出資によるアルダス(株)設立に伴い代表取締役社長に就任。1993年神戸大学経営学部非常勤講師。Business Software Aliance 日本代表。1994年アルダス(株)、アドビ合併に伴い代表取締役社長退任。1994年マクロメディア(株)設立、代表取締役社長就任。


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