作成日 1996年9月17日

障害者リモートワーキング・プロジェクト
PH-1実験レポート

  1. はじめに
  2. プロジェクトの背景と目的
  3. プロジェクト、実験のフレーム
  4. 結論と提言
  5. challengedの体験記
  6. おわりに
1996年7月
プロップ・ステーション
株式会社 野村総合研究所リモートワーキング・プロジェクトチーム

このプロジェクトは、慶應義塾と株式会社野村総合研究所が共同で設立しました「サイバー社会基盤研究推進センター(CCCI)」の認定プロジェクトとして実行しました。

  1. はじめに
 本報告書はプロップ・ステーション(以下、プロップ 注1)と株式会社野村総合研究所リモートワーキング・プロジェクト・チーム(以下、NRI)とが1995年12月から1996年5月までの半年間共同で実施したCCCIプロジェクト「障害者リモートワーキング」実験の結果をまとめたものである。
  1. プロジェクトの背景と目的
 近年、テレコミュニケーションの技術は急速に進歩している。パソコン通信やインターネットを用いた通信は個人の家庭にも広がって来ている。これらのテレコミュニケーション技術を用い、通信手段を通勤手段に代わるものとしてオフィスに出勤しないで仕事を行う(以下ではこの形態をリモートワーキングと呼ぶ)実験が開始されている。しかし、これらの実験は主に通常オフィスに勤務していた人が、オフィスに出勤せずにサテライトオフィスや在宅など、仕事の場所を変えるものが大半であり、障害等でオフィスに通勤出来ない人達への新しい雇用を生みだす形態への発展はしていない。
 challenged(チャレンジドと読む 注2)がオフィスに出勤して仕事をするためには、交通機関、建物の構造等のインフラの整備が必要であるが、その整備には高いハードル(多大な時間とコストなど)が残っている。
 リモートワーキングはオフィスへの出勤を前提としていないので、通勤手段の不備や居住する地域に適切な勤務先が無いなどのために仕事の場が得られなかったchallengedに在宅での仕事を可能にする。challengedによるリモートワーキングは、今までと異なった雇用形態の創出とchallengedの能力発揮の可能性を持っている。しかし、リモートワーキングはその方法が確立しているわけではなく、さらにchallengedへの適用時には特有な課題も考えられる。

 本プロジェクトでは、challengedの自宅にインターネット接続の環境を設ける。インターネットを通勤手段の代わりとして「challengedとオフィスとの連絡」、「challengedが情報アクセス」の手段に用いる。
 本プロジェクトの目的は、challengedによる「情報へのアクセスとそのまとめ」の実業務の実験を通して、オフィスに通勤出来ないchallengedがリモートワーキングを行う場合の可能性、課題等を企業の側とchallengedの側(challengedをコーディネイトする組織を含む)の両方から明確にすることである。

注1)
プロップ・ステーション(略称:プロップ)はコンピュータを活用して、障害を持つ人(challenged:チャレンジド)の自立と社会参加、とりわけ就労の促進や雇用の創出を目的に活動するNPOです。プロップの詳細については、ホームページ http://www.eni.co.jp/prop/ をご覧いただきたい。
注2)
プロップでは障害を持つ人を表す新しい米語「the challenged」に共感し、この呼称が定着するよう「challenged」という言葉を使い始めた。本報告でも、challengedと記述する。

  1. プロジェクト、実験のフレーム
(1)プロジェクトの位置付け

 本プロジェクトは、CCCIプロジェクトであると同時に、VCOMプロジェクト(慶應義塾大学大学院 金子郁容教授がプロジェクト責任者)の一つでもある。複数の組織のプロジェクトとして、相互に共通の目的、実験内容を拡大させ、目的・内容がクロスする部分を中心に活動を実施した。両組織から見たプロジェクトの位置付けを図3.1に示す。

プロジェクトの位置付け


 プロップは「Internetを利用した障害者の在宅雇用モデル作り」の立場から、在宅で仕事をする場合の環境、業務管理などの観点で、NRIは「障害者リモートワーキング」の立場から、通勤の代替手段としてのインターネットと在宅作業の可能性と課題などを企業の観点を中心に実験を推進した。

(2)実験の体制

 プロジェクトは、主にchallenged、プロップ、NRIの3者が実験を進めた。3者の主な役割を図3.2に示す。

プロジェクトの位置付け


1)プロップの役割
 NRIとの活動の窓口として依頼されたchallengedによる作業の実行管理を行い、NRIに作業管理の状況を報告する。
2)challengedの役割(注3)
 WWWの検索をNRIの指示にしたがって実行し、WWWに問い合わせを行い、その結果をNRIに報告する。また、WWWの検索時の疑問等をNRIに報告し、作業の指示を受ける。
3)NRIの役割
 challengedに作業仕様を提示し、必要な作業指示を行う。challengedから作業結果の報告を受け、また疑問等に回答する。

注3)
本実験に参加したchallengedは、プロップが開催するコンピュータセミナーを受講してパソコン、ソフトの操作を習得した。

(3)実験テーマの検討経緯

 1995年の8月にVCOMのケースプロジェクトである「インターネットを利用した障害者の在宅雇用モデル作り」の活動をもとに、プロップとNRIが共同で実行する可能性の検討からプロジェクトを開始した。活動テーマの検討は、インターネットの可能性、普及見通しに期待して、「実行の可能性のあることから実験する」を原則に行った。

 在宅作業を行うchallengedの要件は、プロップの活動に参加している人を前提に などとした(注4)

 実験として作業を依頼するNRIとしては などがあり、作業を管理・指導を行うプロップ(challengedを含む)にも などがある。これらを考慮した結果 を在宅での作業にして、その中で

をすることとした。
注4)
challengedの障害の程度は、作業を実行したchallengedの体験記を参照していただきたい。

(4)challengedの作業内容

 challengedの作業は、プロップの管理・指導のもとで在宅でNTTのホームページで公開される「日本の新着情報」等の新着WWWサイトについて を探索する(サーフィング作業と呼ぶ)。
 探索したWWWについて の情報収集・検索の作業を行う。
 WWWを挟んでのchallenged、NRI担当者の作業の流れの概略を図3.3に示す。

リモートワーキングの作業概略


(5)challengedの作業環境

 challengedの作業環境の概略は
ハードウエア
challenged所有のパソコン(Macintosh、またはWindows)+モデム(+challengedの操作を助けるポインティング装置)
ソフトウエア
メール用ソフト+Netscapeナビゲータ(WWWサーフィング用)
インターネットとの接続
商用プロバイダとモデムでダイヤルアップ接続
モデムの速度は28.8kpbs
作業の専用電話は設置しない
 なお、通常の作業(サーフィング、作業の報告等)においては、電話は連絡の補助手段の位置付けとし、原則として連絡は電子メールで行った。

(6)challengedの作業時間

 インターネットとの接続の環境を実験専用に準備できなかった(challenged所有のパソコン・生活電話の共用、インターネット接続のスピード等)ことと、challengedの従来の生活パターンを崩さないこと等のために、 (日本の新着情報のアドレスは http://www.ntt.jp/WHATSNEW/index-j.html )

(7)サーフィング作業の例

 challengedの作業の大半はWWWのサーフィング作業になる。NRIは結果を得るための仕様、作業指示を行うが、サーフィング作業そのものはchallengedの環境にあわせて効率的な方法をとるようにchallengedに一任した。Windowsマシンの利用者であるchallenged(山崎さん)のサーフィング例を図3.4に示す。

サーフィング作業の流れの例


  1. 結論と提言
 図3.1のプロジェクトの位置付けで示したように、本プロジェクトはプロップ(challengedを含む)、NRIが異なった立場から共同で実験を実施した。得た結論は重なる部分が多いが、観点の違いもあり、読者に理解が得やすいように本章ではプロップ、NRIを別個にまとめる。

4.1 プロップの立場から

 半年間の共同実験の結果、在宅勤務推進のために必要な条件として認識を持ったことは、大きく分けて次の3つです。

1)
在宅勤務を行うためのスキルを、どうやって身につけ、またスキルアップをどのように行うか−−−在宅教育システムの構築
2)
技術を身につけた在宅勤務希望者と企業とを繋ぐシステムの構築−−−コーディネイト&コンサルティング機関の設置
3)
在宅教育、勤務に必須のパソコン、通信回線、インターネットなどの機材やインフラにかかる経費をどのように軽減するか−−−公的補助のあり方

1)については・・・
 在宅勤務を推進するためには、スキルアップも在宅で行えるシステムが必要です。プロップのコンピュータセミナーは、毎週1回セミナー会場へ通い、あとは自宅でパソコン通信「プロップ・ネット」を使って勉強する、という方法をとっていますが、将来的にはTV会議システムの導入や、既存の通信教育産業のノウハウをうまく取入れたシステムなどが必要になってくると思われます。現在、一般企業は「在宅勤務者への教育体制」を全く持っていませんが、在宅教育システムが構築されれば、在宅勤務に拍車がかかることは必須です。労働省の能力開発事業の中で、在宅教育をどのように推進される予定なのか知りたいと思っています。プロップでは、NTTや大手通信教育関連企業などとの協力関係を模索中ですが、民の力には限界があります。ましてプロップのような草の根のNPOの力だけで推進できるものではありません。官民協力のもとでの推進策をご検討戴きたいと思います。
 養護学校におけるパソコン教育の充実も望まれます。一般校以上に、養護学校でのパソコン教育は重要ですが、在宅で技術が身につけられるシステムがあれば、中途障害者や高齢者、女性などの在宅勤務の推進にも繋がると思います。

2)については・・・
 企業も職安も、在宅勤務を希望する重度のchallengedの情報を全く持っていないのが現状です。またchallengedの側も、自分にとって有利な情報を手に入れることが全く不可能な状況です。スキルアップしたchallengedを確実に就労に結びつけるためには、双方の情報が公開され、お互いが自由にコンタクトをとれる状態(つまり、街角のコンビニで買った就職情報誌で仕事が見つかるような)が望ましいのですが、街に出ることも困難なchallengedにとっては、やはり公益的なコーディネイト機関や、企業とchallengedの双方に的確なコンサルティングの出来る機関が必要だと思います。

3)については・・・
 来年NTTが国際価格のインターネット事業を開始する、とのことですが、現在、日本における通信料金やインターネット接続のための経費は、国際価格の数倍しています。これは諸外国と日本の「インフラ整備」に対する国策の違いが大きな原因です。日本の情報産業の空洞化が危惧されています。関係省庁の迅速な対応と行政トップの英断が望まれます。
 特に、在宅勤務の促進には労働省から他省庁への働きかけが重要だと思われます。また、通信に関わる経費が適切な価格になるまで、(インターネットなどを使った)在宅勤務に対する補助施策も必要であろうと思います。

 在宅勤務共同実験によって明らかになった上記の課題を、ぜひ省庁の枠を越え、官民の枠を越えた国民的課題として検討する機会を設けて戴きたいと思います。

4.2 NRIの立場から

(1)作業の実現性
 「日本の新着情報」のWWWについて、「サイバービジネス」と「地域の情報」に絞ったサーフィング作業と「サーフィング結果の報告」、「WWWへの問い合わせ」、「その問い合わせ結果の報告」にインターネットを用いて行うことに関しては、作業の内容の面からも十分に実現できた。サーフィング作業の結果は、
 サイバービジネス・ケースバンク(CBCB) http://www.ccci.or.jp/cbcb/index.html
 サイバー都市ケースバンク http://www.ccci.or.jp/city-cb/index.html
の基礎データとして用いられている。

 本実験のサーフィング作業に限れば、在宅のchallengedにとってはインターネットが通勤に代わる手段になりうると言えるであろう。ただし、サーフィング以外の作業、作業のスピードや、作業に伴う管理業務等については、本実験では評価を行っていない。

(2)実験から見えた課題
 「プロジェクトテーマと作業内容」や「challengedの作業環境」等で記述したように、本実験では詳細な計画(短期に実験が開始出来ることをテーマに選択など)や完璧な実験環境(実験専用の回線利用など)を前提にはしていない。以下の課題・提言は、本実験から見えたもので記述している。

1)環境費用:通信費用(特に電話回線が中心)のネック
 本実験では、challengedとインターネットは電話回線を28.8kbpsのモデムで接続した。実験ではあるが、サーフィング結果はCCCIプロジェクトであるサイバービジネス・ケースバンクとサイバー都市ケースバンクのデータとして用いる。そのためには、インターネットへの接続がネックにならず、接続がコンスタントに行える品質を提供するプロバイダを利用する必要がある。国内のプロバイダ数は100を超えるといわれているが、企業の実業務に使える品質を提供するプロバイダは、(趣味等のための一般利用者をターゲットにしているプロバイダに比べて)接続費用が安いとはいえない(本実験では利用料が固定制のプロバイダを利用)。また、実験のスタート時は、「日本の新着情報」のWWWの数を”多くて50/日”と想定した。しかし、1996年1月後半からは、公開WWWは”少なくて50/日”の状況になった。公開WWWの数は、サーフィングに要する時間の増加に繋がり、電話回線を用いた本実験では、そのまま電話代の増加につながった。また、サーフィング先のWWWの混み具合やWWWの接続する回線容量によって、アクセスする側のレスポンスにも影響し、接続時間が長くなる。国内の現状は、接続時間で課金される(従量制)電話の利用は思わぬ通信費用になる。パソコン等の機器の価格が低下している今、高い通信費用がネックである。この通信費用については以下の2点の課題に集約できる。

・本格業務での通信費用はより高額になる
 本格業務でネットワークを利用する場合は、ISDNや高速な専用回線(64kbps以上)の利用は不可欠である。しかし、現状では、プロバイダ、電話回線にかかる費用は他国に比べて高額(現状は米国に比べて数倍から10倍以上)である。オフィスでの作業とのコストパフォーマンスを比較すると、企業が通勤費に代えて負担出来る水準にはないといえる。
・ネットワーク利用層の拡大
 challengedの通勤手段の代わりとしてネットワークが利用される場合、業務以外でのコミュニケーションや情報交換を担う手段としてのネットワークの役割は大きい。ネットワークを通じたchallenged(同志)の支援も期待できる。そのためには、ネットワークの利用層の拡大に繋がる通信費の低価格化・定額化が望まれる。接続時間から情報量に、情報量から安価な固定制への通信費の負担の仕組が変わることで、challengedを支えるネットワーク化の進展と利用層の拡大が期待出来る。

2)技術支援の環境
 実験開始時には、challengedのパソコンでNetscapeナビゲータの導入やインターネットとの接続障害等が多々発生した。challengedが大阪にいるため、障害対応などはプロップが実行して、NRIは社内から情報を得るなどしてメールでの支援のみを行った。しかし、NRIからの支援は などで、challengedの希望には十分には対応できなかった。
 本格業務では、ツールの更新、環境設定変更等も含めて、技術支援の作業は直接企業に関わってくる。challengedに近いところに、技術支援を行うヘルプデスクの機能が必要である。
 しかし、最近、この種の故障対応を行う技術支援の組織は増えてきている。それらの組織と技術支援契約を行うことで、費用面を除いては解決への見通しが期待できる。

3)challengedのスキルアップ
 本実験の作業の中心であるWWWのサーフィングは、Netscapeナビゲータとメールソフトを用いることが、作業のための基本になっている。また、作業の実行においては、作業の指示者(NRI)と作業者(challenged)との連絡は緊密に行ってはいない。これらの理由は、サーフィング作業が、例えば、あるプログラム言語でプログラムを開発するに比べて、特殊な技術(プログラム言語を理解、各種開発ツールを理解等)を必要とはせず、また、細かい作業仕様で規定しなくとも、パソコンの基本操作をもとにして、短期間で習熟度を上げ、正確な作業出来ることに基づいている。サーフィング作業は、システム開発のステップに例えれば、プログラム仕様決定後、担当者が習熟した言語でコーディングを行う作業の位置付けに近いと思われる。
 しかし、企業で本格業務を担当する場合、同一の作業を長期に渡って継続して担当することは極めて稀で、業務の習熟度、業務の経験等によって、担当する業務の幅を拡大させている。この業務の幅を拡大させるには、日々の業務のグループでの共同実行と共に、業務知識や新しい技術などを教育・研修によって得ている。
 challenged同士が業務を共同で実行することは、本実験でもごく一部分行い、その可能性を確認した。しかし、サーフィング作業から次のステップに向けた業務知識や新しい技術などを教育・研修することは、各challengedに応じた対応を考慮する必要があるが、教育・研修を個別にchallengedの在宅で対応する方法は、企業組織としては取り難い。
 challengedの能力を企業のニーズにあった業務の知識や技術に高めるための教育・研修は、challengedの数にあわせて地域毎に対応する組織を設けることが必要であろう。その組織がchallengedと企業を業務面から結ぶ仲介となりえると思われる。この役割をプロップのような組織に期待したい。

4)中間組織の役割
 企業と在宅challengedが直接に就業契約を結ぶようになるには時間がかかる。その途中の形態として、中間組織が企業とchallengedを仲介する形が考えられ、中間組織の役割が企業にとって重要である。
 本実験では、プロップが企業(NRI)と作業者(challenged)の中間組織の役割を担ったが、実験開始時に中間組織の役割の取り決めが十分ではなかった。企業から見ると、中間組織が介在する途中の形態は現状の「社外への業務委託」の形に類似する。業務委託は、品質を含めたコストパフォーマンスを求められるが、これに大きな効果をもたらす”管理業務”をこの中間組織には期待したい。
 例えば、本実験ではサーフィングしたWWWが目的のもの(サイバービジネスのWWW、または、自治体のWWW)に該当しているかの「判断」を下さねばならないが、簡単ではない。challengedが企業での作業の経験が十分にはなかったこと(自ら判断することへの不安等が先に出てくる)と、メールで詳細な連絡を行うことの難しさ等から、判断に関わる質問、連絡、指示等が多く発生した。本実験では、challengedからの大半の連絡をNRIが対応したが、両者のメール交換を監視し、プロップからchallengedへ適切なアドバイスを行うことによって、NRIの対応を削減することが可能であった。作業の取りまとめ、確認等の比重をプロップに依頼できたと思われる。
 前項で記述したことと重なるが、本格業務においては中間組織として、企業に対してのニーズ分析、作業者に対しての作業能力把握を行い、企業と作業者の間で組織のスタンスを明確にし、管理業務も負担することが望まれる。

5)その他
 本実験では、challengedの管理をプロップが行った。したがって、NRIとしては管理における課題については、実験によって明らかになってはいない。しかし、ダイヤルアップによるプロバイダ接続という条件はあるが、ネットワークを用いて、作業者に自主的に作業を行う場合、作業の開始・終了時間が不規則になると思われる。作業の開始・終了時間を規定する実験は、ネットワーク環境を整備した上で行う必要がある。
 また、本実験では、challengedの体調を最優先で作業を実施したが、各challengedに合わせて、休息時間を設定やトータル作業時間を設定するなどが求められるだろう。

  1. challengedの体験記
 本プロジェクトには、山崎 博史、児島 加代子さんの2名のchallengedがサーフィング作業に参加した。challengedが実験に参加して得た実感を、各々の今までの生活、障害の程度等とあわせて以下にまとめる。
 なお、本体験記は山崎、児島さんの文章をそのまま記載している。

5.1 山崎博史さんの体験記

『健常者から障害者へ』

 僕が交通事故を起こしたのは、1984年11月24日。信号無視の車を避けた先に、街路樹と信号機があり、僕の車は街路樹を折り、信号機に突き刺さって止まりました。
 その時は、まだ意識があり、手も動いていたのでエンジンを切りドアを開けて外へ出ようとした時、足が動かない事に気づきました。それでも、助手席に乗っていた友達が気になって、友達の様子を見ようとした時に意識が無くなってしまいました。
 意識が戻ったのは、救急病院の病室でした。その時は、全くどこも動かない状態でした。横に母親がいたので、「体を起こして」と言ったのですが、「首の骨が折れているから体を動かせない」と言われました。助手席に乗っていた友達が気になったので、母親に友達を見に行ってきてと頼みました。その友達は、どこも怪我は無く、念のために2日間入院するということだったので少し安心しました。安心した途端また眠ってしまいました。
 翌日の午後、処置室に連れていかれ、「今から頭に穴を開けるからと」先生に言われました。その時は、あまり意味が判らなかったのですが、けん引をするために頭蓋骨に穴を 開けるということでした。病室に戻ってから14キロの重りを頭に吊りました。
 最初の頃は、熱が40度ぐらいあり、痰も自分では出せなくて吸引して取ってもら いました。息苦しいので、酸素マスクも付けていました。処置から5日位した時、感覚がないはずの体が痛く、だるく感じるようになりました。10日目位たつと、いらいらしだし、今思うと精神的にもだいぶん参っていたようです。でもその間、友達が引っ切りなしに面会に来てくれたので、その時は少し気も紛れました。何分負けず嫌いな所があり、自分の弱い所を見られるのが嫌だったので、カラ元気で冗談を言ったり、強がっていました。
「あまり熱が出るので、面会謝絶にする」と医者に言われたのですが、「それは絶対に困る」と無理をお願いをして、面会謝絶にするのはやめてもらいました。この時はまだ車椅子生活になるとは、思ってもいませんでした。
 ちょうど2ケ月たって、大阪労災病院に転院する事になりました。転院した当日に担当医から、「君は一生寝たきりだからね」と言われ、自分の耳を疑いました。「今、何と言われましたか?」と聞き直したら、「車椅子生活になるからね」と言われました。この時、事故をおこした時に死んだ方が良かったなと思いました。19歳で人生が終わったなと思いました。
 転院して、2ケ月位してから、リハビリに行くようになりました。最初は起立性低血圧があるので、起立台で少しずつ角度を上げていく練習をしました。3週間くらいで、目標の角度までいったので、今度は車椅子に乗る練習に変わりました。首の骨を折って頸椎損傷になっているので、血管の収縮する機能がだめになっており、そのため血液の循環が悪くなっていました。足を下に降ろす頭に酸素が回らなく なって、最後には意識が無くなってしまいます。車椅子に乗る練習をしている時に、起立性低血圧のせいで何度も意識を失ました。「気分が悪くなったり、しんどくなったら言うように」と先生から言われていたのですが、やはり自分には負けず嫌いなところがあったのと、「我慢をして慣れてしまえばどうにかなる」と思っていたので、意識を失っても続けました。「もともと頭は悪いから」と僕が冗談で担当医に言うと、「そういったことではなくて、頭に酸素がいかない状態になるから意識を失うんだ。簡単に言ったら、首つりと同じ状態だよ」と言われました。でもそんな説明を受けた後も、意識がなくなるまで頑張っていました。
 車椅子に乗れるようになった頃、リハビリの先生に 「そろそろ車椅子を作ろうか」と言われました。その車椅子とは、電動式の車椅子のことでした。僕の状態では、手動車椅子だと自分で自由に動けないから、電動車椅子にしたほうが良いということだったのです。
 でも、僕は何とかこげるようになると思っていたので、あえて手動車椅子を作ることにしました。普通の車椅子だとこぎにくいので、車椅子のリングにガス管用のゴムホースを2つに割ってリング状に巻いてもらい、手袋をして車椅子をこぐ練習をしました。少しこげるようになった頃から、訓練のため車椅子に重りを取付けられ、それを引っ張ってこぐ練習をしていました。だんだんと重りの量が増え、この時はリハビリの先生が鬼に見えました。

『家族と友達に支えられて』

 初めの頃は、死ぬ事ばかりを考えていました。車椅子で病院内はひとりで動けるようになった頃、2月の寒い時でした。夕食が終わってすぐ、ひとりで屋上に行き、貯水タンクの裏側に回って隠れていました。この時、僕は「凍死」しようと思って屋上に行ったのです。2時間ぐらいした頃、寒さで腕が硬直し、もう車椅子をこぐことも出来ない状態になっていました。「これで死ねるな」と思っていた時に、警備員さんが見回りにやって来て、 「兄ちゃんこんな所で何やってんの」と聞かれ、「外を見てるねん」と言うと「早く部屋に戻りや」と言い残して、巡回に行かれました。でもおかしいと思ったのか、30分位してから警備員さんが戻ってきて、「病室に戻ろう」と僕をエレベーターに乗せました。警備員さんに、5階に降ろしてもらったのはいいのですが、僕はもう病室まで車椅子がこげない状態になっていました。その時、看護婦さんが通りがかり、「今まで何処にいってたん」と聞かれました。「屋上に行ってスロープを降りたら上がられへんようになって」と僕はガタガタ震えながら言いました。ベットに上がって震えが止まらなかったので、アンカを入れてもらって布団を3枚かぶって、3時間位そのまま震えていました。この時、自分の力で死ぬことさえ出来ない事が解り、その時その時を過ごしていくしかないと思いました。
 両親は、そんなことがあったとも知らず、親不孝ばかりしていた僕に対しずっと温かく看護してくれました。ある日、母親が泣いていました。「何泣いてるねん」と言ったら、「お母さんらが生きてる間はいいけど、私らが死んだ時の事を考えたら」と言うのです。この時、僕は死ぬような事をしてはいけないと思いました。そんな時期のことです。友達(僕は悪友といってますが)が時間を作っては、絶え間なく面会に来てくれ、外にもよく連れ出してくれました。普段、僕の友達はファミリーレストランなどには行かないのですが、わざわざ僕を連れてそんな所へ連れて行ってくれたり、散髪をしに、堺東までいってくれたりもし ました。こんな友達のおかげで、僕は車椅子で外出する事にも、だんだんと違和感が無くなっていきました。

『 結 婚 』

 事故から9年後の1993年3月28日に結婚。僕が28才の時です。妻は景子と申します。彼女との最初の出会いは、中学の時でした。でもその時は、遊んだ事も喋った事もありませんでした。ある時友達と飲みに行った所で、中学時代の同級生と偶然会ったのです。久しぶりに話しをして、「いちど遊びに来いや」と言ったところ、彼は次の日に遊びに来たのです。その時、中学の同級生だった彼女の話が出て、すぐその場で電話番号を調 べて電話を掛け、「遊びに来いや」と言って電話を切りました。
 そして、2日後。彼女が友達と一緒に遊びに来たんです。それからです。彼女がひとりでも遊びに来るようになり、僕たちの交際が始まりました。初めの頃は、彼女の家族全員に反対され、僕も何度か彼女の家に足を運びました。ある日のこと、とうとう彼女の家族に呼び出されて、「どういうつもりでつきあってるのか」と聞かれました。「真面目に付き合っています」と僕は答えました。そしたら「別れてほしい」と言われ、「それは出来ません」と言うと、「見合いの話しもあるし」と言われました。僕は、しばらく考えて、「見合いをするなら、僕は別れます」と言ったのです。
 見合いの話がでてから暫くして、僕が彼女の家へ行った時のことです。色々と話をしているうちに、突然、彼女が泣きだして、「家を出る」と言い出したので、一緒にいた家族全員がびっくりしました。僕も、彼女がそんな事を言うなんて、とても驚きました。
 その事があってからです。僕が次に、彼女に会いに行った時には、話しが前向きに進むようになっていました。それから、僕も一生懸命お話をして、彼女の家族にも少しずつ理解をしていただき、今ではとてもよくして貰っています。

『プロップ・ステーションとの出会い』

 結婚をして、仕事をしなくてはと思って探しても、なかなか仕事がありませんでした。
 そんな時、偶然ラジオでプロップ・ステーションの事を聞きました。障害者が自立する為のコンピューターセミナーを開いているということ。「これや!」と思い、すぐ電話をしました。すると、プロップステーション代表の竹中さん(通称「ナミねぇ」さん)が電話に 出られたので、「ラジオでプロップステーションの事を聞いて、電話をさせてもらったんやけど、仕 事が出来ますか?お金もうけが出来ますか?」と、矢継ぎ早に言うと竹中さんは、「そんなん君次第やん。プロップはコンピュータを使って障害持つ人の自立を目的に活動してるけど、君が頑張らな実現は出来へんよ。わたしが責任持てるはずあらへんやん。」と言われたのです。今考えてみれば、コンピューターを見た事も、触った事もなかった僕が、こんな事を言ったのは失礼だったと思いますが、その時は必死でした。
 竹中さんは、「一度セミナーに見学に来たらどう?それから、やる気があるなら頑張ってみたら」と言われました。僕は、ボランティア団体は甘く、優しく、よしよしとしてくれるイメージがあったので、竹中さんの応対は、意外でした。でも、却ってそれが良かったと思います。僕は、身が引き締まる思いがしました。そして、この時「半端な気持ちではダメだな」と思ったのです。
 1993年11月、プロップ・ステーションの開催している98セミナーの初心者コースを受講しました。コンピューターどころか、キーボードの配列も解らない状態でのスタートでした。最初のセミナーを受講した時に、キーボードの配列から判らなかった為、次の日に 早速、近所の本屋に行きました。キーボードの絵が載っている初心者向けのパソコンの本を買い求め、帰りにコンビニで、その絵を何倍にも拡大コピーし、家に帰りました。そしてまず、このキーボードの配列から覚え始めました。
 3回目のセミナーを受講し終わって、「コンピューターがなかったら、復習も、勉強も出来ない」と思い、コンピューターを購入しようかと考え始めました。ただ、コンピューターは決して安い物ではないので、投資して購入しても使いこなせるのかという不安がありました。色々と悩み、「でもコンピューターがなければ、仕事どころか、コンピューターすらも覚えられない」と思い切って購入しました。
 最初の頃、家では午前中にセミナーで習っているソフトの本を見て、本の内容を勉強して、午後からはコンピューターを触っていました。そして、晩御飯を食べてベットに上がると夜の8時頃。もう疲れて、次の日の朝まで寝ていました。こんな生活が1ケ月位続きました。98セミナーでも、講師の方やボランティアの方々に教わりながら少しずつ、コンピューターに慣れてきました。解らない所は、プロップ・ステーションが運営しているパソコン通信(プロップ・ネット)で質問をし、大勢の方々のご指導を受けながら、勉強しました。
 1994年6月には、橋口先生に、データベースソフト「桐」を使ったプログラムを習うようになりました。当時、橋口先生は、プロップステーションの組織の中にある「プロップ・ウィング」で、上級者実務コースの講師をボランティアでされていました。最初は、「桐」も「プログラミング」も初めてのことだったので、かなり苦労しました。でも、橋口先生が、プロフラミングだけでなく、NTTという企業で長年勤めて、身につけたノウハウを、優しく厳しくご指導下さったので、企業の厳しさや社会の厳しさなどを教えて頂きました。だから、普通のセミナーと違って生きた実務的な 勉強が出来ました。1995年3月に、卒業作品として、府立高校の成績管理システムをプログラムを完成し、これを納品しました。
 その次は、ある貿易会社の会計管理システムでした。僕が打合せに出かけられないので、プロップ・ウィングの所長の鈴木さんと橋口先生が、お客様の所に行って打合せをしていただきました。その後でプロップ・ネットを使って、データーのやりとりや打合せをするといった方法で、このシステムを完成し、無事納品をしました。
 1995年5月に、車椅子生活になって初めての「給料」を貰いました。この時、お金を貰って嬉しいという事より、「これでコンピューターで仕事が出来るかな」と思いました。

『障害者の在宅雇用の実現に向けての実験』

 1995年12月から5月迄の半年間、「株式会社 野村総合研究所」(以下野村総研)とプロップ・ステーション(以下プロップ)の共同プロジェクトでインターネットを使った、リモートワーキングプロジェクトのテスト運営に参加しました。このプロジェクトは、「障害者に在宅勤務が出来るかどうか」をテストするためのものです。
 1995年11月に、野村総研の担当者の方とお会いし、実験目的と作業内容について説明していただきました。実験内容は、障害者が在宅で勤務が出来るかどうかということで、その中でも特に体に負担をかけないで無理なく作業して欲しいということでした。インターネットも初めてだし、野村総研という大手企業との実験プロジェクトと言うことで、不安がありました。
 私もインターネットには興味があったのですが、プロバイダー契約やその他の経費がかかる為接続出来なかったのですが、今回、野村総研が、プロバイダー契約、接続費用、モデム、ソフトに至るまで、インターネットに接続するすべての費用を、負担してくれました。最初は、ただでインターネットに接続出来てラッキーだなと思いました。でも、いざアカウントがおりて、設定しようとすると、聞いた事のないような言葉がたくさん出てきて、接続するのに苦労しました。また、メーラーの設定でも苦労しました。その時、プロップ・ウィング(プロップ、実務部門)の所長の鈴木さんが、自宅迄来て設定を手伝ってくれました。おかげで、インターネットを接続する事が出来ました。今迄はパソコン通信しかしていなかったので、インターネットの設定の難しさには驚きました。
 仕事をし始めたとき、慣れるのに時間がかかりました。それとWindows3・1でサーフィングをしていたので、ネットスケープのエラーがよくでて思うようにはかどりませんでした。 検索内容はNTTの新着情報で、その中から、専門店、ショッピングモール、地域 報を検索することでした。専門店は、インターネット上でオンラインで買い物が出来たり、サービスが受けられ たりするものを、専門店サーバーとして処理します。ショッピングモールは、ひとつのページに何店舗かの店が入っていて、オンラインでショッピングが出来るサーバーをショッピングモールとして処理します。地域情報は、自治体や都道府県や市町村の情報を発信してるサーバーを、地域情報発信サーバーとして処理します。
 今もそうですが、地域情報に該当するかしないかは、判断に困ります。プロバイダーによっては、レスポンスの悪い所があり、時間がかかり困ります。それと、やたら画像をたくさんつんでいる所も時間がかかって困ります。6ヶ月間していると、以前検索したところと重複するところが出てくるので、データーベースも必要かなと思います。新着情報に追い付くには、月50時間の接続時間では無理があります。Windows95になってTCP/IPの設定も簡単になったし、マルチタスクなのでネットスケープのエラーがでても、ネットスケープだけがクローズするだけでハングアップしなくなった分、はかどるようになりました。
 在宅勤務をしてみて思ったことは、自分の好きな時間に仕事が出来るということで自分の生活パターンを変えることなく作業が出来る事です。大阪と横浜との距離を電子メールだけでやりとり出来るかということも、不安でしたが全く支障なくやりとりが出来たと思います。これも、プロップがコンサルテイング的な事を、野村総研と私の間でしてくれたからだと思っています。
 例えば最初の頃、私は企業の仕事だから作業報告書に必要な事以外は書かないようにしていましたが、野村総研は、どういう所で困るかという情報も欲しいということだったので私と野村総研の間に行き違いがあったのですが、野村総研からプロップに問い合わせが来て、プロップから私の方にアドバイスがきました。その逆で、私が悩んだり困った事や、直接野村総研に言いにくいことを、プロップに相談して野村総研の方に報告してもらう事もありました。だから第3者的にコンサルテイングをしてくれるプロップのような存在が必要だと思います。
 今回、このような実験プロジェクトに参加してみて思った事は、少しずつ企業がこういう試みをしてくれる事で、障害者も、仕事が出来るチャンスが増えてくると思います。これからは、たくさんの企業や官庁がもっと門を広げてくれると思っているので、障害者にも、もっともっと働けるチャンスが訪れる事だと思っています。今回野村総合研究所が、障害者にも働くチャンスをくれた事で交通事故で障害者になった時は、うつむき加減で心の底から笑ったこともなく、充実感もなく過ごしていた僕が、前向きで心の底から笑え、充実感のある生活が送れるようになりました。だから、「いつも心に微笑みを忘れないように」これからも頑張っていきたいと思います。

5.2 児島加代子さんの体験記

『プロップと出会うまでの生活』

 幼稚園を卒業した春、母の実家大阪市に遊びに帰った時に、突然高熱に襲われる。それまでは特に病気をするわけでもなく普通に京都府八幡市で生活していた。しかし熱は治まらず、近くの病院で診てもらった結果、即入院といわれ『若年性関節リュウマチ(原因不明の難病)』と診断される。その後、熱、病気を抑えるために使った薬(ステロイド剤)の副作用で太り、体重を支えきれず神経を圧迫し、胸椎の5番目を圧迫骨折する。兵庫県の病院へ転移し、長時間の手術を受け、リハビリをするが、まだ小学生だった私にはつらいだけでいやだった。それより車いす生活へ。ずっと母に付き添いをしてもらい、2〜3年入院したのち退院する。
 退院しても小学校へは通えず、訪問学校を受けるが、週2回2時間程度の勉強で、まだ体調も良くなかった頃なので、十分とはいえないものだった。小学校5年の時、現在の家に引っ越しして1年くらいしてから偶然同じ歳の子とマンションの下で出会い、それがきっかけで地域の中学校へ通えることになる。
 初めて学校というものに通うことになる。初めのうちは体調も良くなかったが、2学期より普通に通えるようになる。そのあたりから体調も良くなりだし、熱もあんまり出なくなってくる。周りの友達や、先生に支えられ無事卒業し、公立の高校へ進学することになる。そこの高校はエレベーターがあったので、母に送り迎えをしてもらい、友達と3年間楽しく過ごす。今思えば、一番充実していた時期だったのかもしれない。いろんな思い出がいっぱいある。ここではもうほとんど普通に生活できるようになっていた。修学旅行にも参加する。
 卒業後は大阪市職業リハビリテーションセンターでプログラムの勉強するが、相性が合わず休みがちになる。それでも何とか昨年3月に修了する。就職が決まらず、というよりむしろ一般企業での仕事は体調面でも無理があると思いあえて就職しなかった。
 4月からは毎日家で過ごすことになる。せっかく時間があるので、前から興味があった英会話を習いに行くことにする。自由な時間があるので、絵を描いたりと充実した日々を送り、その頃にMacでも絵を描いてみたいなと興味がわき、思いきって購入する。初めは操作が良く分からず、電話して聞きまくったこともあり、うまく使いこなせずにいた。それでも、いくつか絵を描いたり、遊んだりして使っていたが、毎日さわっていた訳じゃないので、せっかく買ったのにもったいないと思ったりもしていた。
 ここまでが1995年夏、プロップと出会うあと少しくらいまでのことです。

『プロップとの出会いを通して感じた事』

 昨年10月にプロップと出会ってから本当に身の周りの環境が変わったと思います。もし出会っていなかったら今ごろ何をしているのかなと思います。
 昨年の夏あたりから、この先どうしようかなと思っていた。今はこれでもいいかもしれないが、いつまでもこのまま働かないというのも…といろいろ悩んで通信講座で資格を習得して何とかどんな形でもいいから働けたらなあと思ったり、せっかくMacを買ったのでMacを生かした仕事でもしたいなと思い、スクールの資料等を取り寄せたりしてみた。でもどうしても「これ!」という感じがせず、踏み込めずにいた。
 そんな時10月6日付けのサンケイ新聞朝刊で、プロップステーションの『チャレンジド分科会』開催の記事を見つける。当日夜に外出することがめったになかったので、ギリギリまで参加するかどうするか迷ったが、「チャンスかもしれないし、行ってみないと分からない」と思いおもいきって参加する。そのときの内容は、HTMLのことだったが超初心者の私には全く解らずに帰る。その後何か連絡はあるのかなあ、こっちから連絡しないといけないのかなあと思っていた矢先、プロップの鈴木さんより電話があり、いろいろ話ているうちに「今度HTMLの講習会があるから参加してみませんか」と声をかけてもらい、何もわからないままとりあえず参加させてもらうことにする。
 初めての講習会は何がなんだかよく分からず「どうしよう…」と焦ったりしたが、参考書等を購入し、自分なりに勉強し、3回の講習会で少しずつだがHTMLを理解できるようになり、今年1月のチャレンジド分科会の作品発表のため自身のホームページを作成できるまでになる。
 何事に関してもそうですが、とにかく動き出さないと何も始まらない。私の好きな歌の歌詞に『チャンスをチャンスと思ってみて動きだそうよ』というのがあるんですが、まさにその通りだなと思います。待っていても何もかわらない、自分から動き出さないと何もかわらないということです。昔の私はどちらかといえば消極的でわりと引っ込んでいる方でした。でも今はできるだけ積極的になって前向きに取り組んでいこうという気持ちです。そういう気持ちになったのもプロップと出会えたからではないでしょうか。もちろん不安や心配はいろんな事につきまといますが、だからといって何もしないでいると道は開けていかないし。だから今では自分にできることは可能な限り、何でもしたいという気持ちです。それと、人との出会いは大切だなとも思いました。これがプロップとの出会いを通じて強く感じたことです。

『 野村総研とプロップの共同実験に参加して』

<全体を通しての感想>
 きっかけは1月のチャレンジド分科会のあとに鈴木さんから「野村総研のお仕事をしてみませんか」と声をかけてもらい、とりあえず何もわからず「ハイ」と返事をしてからです。というのも、何でもいいから引っ込んでいては何も始まらないので、自分で道を開けていこうという気持ちが強かったからです。勢いよく返事はしたものの、「大丈夫かなあ」という気持ちになって少しずつ不安と心配が入り交じってきたが、「何とかなる」という気持ちで頑張ろうと思いました。その後1月の末に山崎さんより仕事内容を説明していただき、自分で山崎さんのレポートを見て、手探りしながら作業方法をつかんでいく。何もかも初めてで分からない時は、恥を承知で(?)山崎さんや鈴木さんに聞いて教えていただく。
 3月末から練習を兼ねて作業を始める。実際に自分でやってみて本当にやっていけるのか心配になってくるが、先の事を気にしてもいけないので頑張ってみようと思う。最初毎日作業をしなくてはいけないと思いそうしていたが、一日おきででいいといわれ心なしかホッとする。今では作業日に病院等に行かなければいけない日は、前日か土日に作業をして調節するようしている。ある程度作業にも慣れたが、初めは頭の中で作業の事でいっぱいで夢にまで出てきてしまったこともあった。
 何とか作業にも慣れてきた頃、突然パソコンの調子がおかしくなり、作業ができなくなっていしまい、鈴木さんに修理していただく。マシントラブルと作業が遅れたことでストレスがたまってしまい、2日ほど頭痛があったのを覚えている。
 体調も目立って変化はないが、やはり長時間画面を見ていると、どうしても目や肩が疲れて痛くなってくる。本当は休憩を取ればいいのだろうけども、休んでしまうと気が抜けるというか残っている分が気になってしまって休めないので、昼の休憩以外はぶっつけで作業することが多い。正直、検索量が多いとぞっとしてしまうが、スクロールバーの動きを励みに、半分までくるとあと半分頑張ろうという気持ちになる。それとどうしても会社に出勤するわけではないし、顔を合わすことがないので、私は作業報告書に自分の様子や質問、連絡等をなるべく書くようにして、こちらのことを分かってもらえるようにしています。
 それともうひとつ、在宅で仕事をしていると家にこもりがちになると思うので、私は何か機会を見つけては、なるべく外へ出て社会との関わり、外の空気を吸うこと、また情報収集も必要だと思っています。ある意味、外へ出ないと改善されない部分も多いと思います。
 でも今はとてもいい環境で作業をさせてもらっていると思います。在宅で仕事ができるなんて願ってもいなかったことが実現できたので本当にうれしいの一言。在宅で仕事をするには、かなり大変だと聞いた事があったけど、設備と環境さえ整えば、仕事も可能なんだなあと思いました。何より仕事をしているという充実感があり、生活にもメリハリがついてきた。初めは「私がさせてもらっていいのかなあ」、「何で私なの?」と思った事もあったけど、せっかく声をかけてもらったので、もう何も考えずに、来た船に飛び乗ったという感じです。今では全てがプラスになってるし勉強させてもらってると思います。

<作業を通して困ったこと>
 一番困ったなと思ったことは、私の家だけかもしれないが、やはり電話回線を使うので作業中は外からの電話がつながらないこと。家族にはちゃんといってあるが、それ以外の人からでやはり大事な電話の時もあるので困ることがあります。しかし、これも先日改良されました。というのも『キャッチホン・』というのを使用し始めて、キャッチが入っても切り替えられない時に、メッセージを録音してくれていて、後で聞けるというものです。

『未来予想図』

 これからだってしたいことはいっぱいあります。その夢の一つに大学に行きたいということ。1年程前から英会話を習い始めていてあれだけ中学、高校の時苦手だった英語に少しずつ興味を持ち、いつかもっと本格的に勉強しようと思っています。どんな形でもいいから勉強したいし、近い将来に実現させたいと思っています。
 現在考えているのは、『放送大学』というもので、ビデオやカセットテープで講義を聞くもので、自分の好きな科目だけを選択できる制度があり、かなりの科目数があって、そこでこの秋10月から英語を勉強したいと思っています。他にも『障害者の福祉』という科目もあるのでそちらも興味を持っています。

『支 え』

 今までたくさんの人に支えられて生きてきましたが、特に一番のよき理解者である家族、両親に関して言えば、今まで本当に私のやりたいようにさせてもらっているの一言です。何をするにしても反対されたことはないくらい自由にさせてもらってます。(甘いだけかもしれませんが)最終的な選択決定は、全て私に任せてもらっています。一度言ったらきかないという私の性格もあるのかもしれませんが、本当にありがたいなあと思い、感謝しています。
 それとこれからはなるべくボランティアさんやヘルパーさんにお世話になっていきたいと思っています。私ももう21才なので、ある意味で自立を図りたいと思っています。両親特に母親には今まで私にかかりきりのところがあったので、これからはなるべく自分の自由な時間を持ってもらいたいと思っています。

『最後に』

 今までのことを書いてきましたが、もっと細かく書けば書くほどいろいろ書きたいことはあるのですが、きりがないので簡単にまとめました。
 病気になって、歩けなくなって小学生の頃はそんなに悩んだりしなかったけど、やはりある程度になってきたら、先の事が不安でうつ病的になったこともあります。それでも今ではあんまり先々の事を考えても仕方ないので、なるべく『今』を大事に生きていきたいと思っています。そういう事があって、余計前向きに生きれるようになってきたのかもしれません。人生はなるようになると思っています。(決して投げやりではありません)こうなってしまったのもまた、ひとつの私の運命だったのかもしれません。それはそれでよかったと、今はそう思っています。「歩けてたらなあ…」とかは、あんまり思いません。だって普通と変わらない人生を送れているから。それだけ幸せで、恵まれているのかもしれません。自分のしたいことは可能な限り実現、実行できているし。これからもどんどん突き進んでいきたいと思ってます。

  1. おわりに
 本プロジェクトの途中で、欧米の状況を「インターネットに関わることは、インターネットで調べよ」にしたがって、「telecommute」、「telework」、「disable,disability」の関連する言葉で情報を検索したが、本プロジェクト・実験に類似した情報を見つけだすことは出来なかった。challengedに対して米国では、1990年に成立の「障害をもつアメリカ人法」(Americans with Disabilities Act)によって、米国社会の障害者に対する差別を撤廃すること打ち出した。また、スウェーデンの状況として、「障害者に迷惑な社会」(松兼功・晶文社、1994年発行)の『「障害者」は枕ことばじゃない』の中に日本からの福祉関係者の視察旅行時の質問に、「スウェーデンには、画家のなかには障害を持った人はいますが、”障害者の画家”はいません」の回答があり、スウェーデンにおける生身の人間としての個性、感情、能力を最大限に尊重していくことに国民のコンセンサスが出来ていると記述している。すなわち、challengedが一般社会に溶け込んでいく”ノーマライゼーション”が着実に進んでいると思われる。
 1995年12月、手探りの状況から開始した半年間の実験は、極めて局所的ではあるがchallengedの在宅から作業の可能性と課題を良く浮かび上がらせた。課題は、一企業が対処出来るようなものではなく、国民的課題として検討していかねば解決はしないし、企業とchallengedを結ぶ中間組織の役割の検討が極めて重要である。
 インターネットの持つ「水平な関係を築く」機能を有効活用し、官民協力して知恵を出し、実験によって確認を行い、challengedの在宅勤務への活動を推進していく必要があるだろう。

 本報告書については下記に問い合わせ下さい。
プロップ・ステーション代表 
竹中 ナミ nami@prop.or.jp TEL 06-881-0041
(株)野村総合研究所リモートワーキング・プロジェクト・チーム
西埜 覚 s-nishino@nri.co.jp TEL 045-336-8454


 謝 辞

 本プロジェクトの実施においては、VCOM責任者の金子郁容先生(慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科教授)にご指導、ご助言をいただきました。また、各種マスコミで本実験を取り上げていただき、各方面から多数のご意見をいただきました。ここに謹んで感謝いたします。


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