海外ゲストのご紹介

記念講演者

写真:ジョン ディー ケンプ氏JOHN D. KEMP
ジョン ディー ケンプ氏略歴

ジョン ディー ケンプ氏はその偉大なる功績により実業界及び非営利社会の双方に於いて多くの尊敬を集めている。自身が四肢共に義肢によるチャレンジドとしてジョンはその卓越した知識、経験、ビジョン、不撓不屈の精神により不可能に挑戦してこれを克服する姿が多くの人々に感動を与えている。ケンプ氏は1971年にジョージタウン大学卒、1974年にウォシュバーン大学法科大学院を卒業、2003年5月に同大学院より名誉法学博士号を授与された。

2006年3月にケンプ氏は米国におけるチャレンジドリーダーの業績に対する最高の栄誉として知られるヘンリー ビー ベッツ賞をシカゴ リハビリテーション 研究所とアメリカ障害者協会(AAPD)より共同で授与された。ベッツ賞は障害を持つ人の偉大な業績とその影響力の及ぶ範囲を評価し障害を持つ人々の過去及び将来に亘る生活の質的向上に重要な貢献が認められる場合に贈られる。

ジョン ケンプ氏の45年を超えるチャレンジドとしての活躍は極めて広範囲に及び、多くの障害福祉関連団体、機関の役員理事を歴任している。それ等は、米国脳性麻痺協会、VSArts, ハーフザプラネット財団、能力開発基金の独立セクター、アメリカ障害者サービス協会、イースターシールズ、アメリカリサイクル産業協会、米国国際障害者協議会など実に多い。ケンプ氏は1995年にAAPDの共同設立者となり今日迄役員を務めている。ケンプ・ヤング会社在職中に障害者就労管理トレーニング及びカウンセリングサービスを設立している。

ケンプ氏は現在メディケイド委員会および国務省の米国国際開発庁(USAID)の海外援助指針と策定に関する国務長官への諮問委員会の障害者支援政策担当委員を務める。

ジョン ディー.ケンプ氏は首都ワシントンD.C.の法律事務所 Powers, Pyles, Sutter & Verville, P.C. の主席弁護士でもある。


海外ゲスト

Lena Maria Klingvall
レーナ・マリア・クリングヴァルさん略歴

LENA MARIA KLINGVALL(レーナ マリア クリングヴァル)がスゥェーデンのストックホルムで生を受けた時、両腕が無く足も満足なのは片方だけで片足は未発達のままだった。1988年彼女が20歳の時スウェーデンのテレビ視聴者は彼女のために製作された”GOAL IN SIGHT”「目標に向かって」という30分番組で彼女を知ることになる。このプログラムは89年4月にスウェーデンのシルビア ベルナドッタ女王によって米国ワシントンDCで開催された障害を持つ人々の国際会議に於いて紹介された。これは当時のジョージ,バーバラ ブッシュ大統領夫妻の眼にとまり、更にプログラムの要約が”グッド モーニング アメリカ“により全米に放映された。スウェーデンでもその週のベストTVショウに選ばれた。

レーナ マリアは僅か3歳で水泳を習い、18歳でスウェーデンナショナルゲームに参加し3個の銀メダルを獲得して一夜にして彼女はスターアスリ−トの座に押し上げられ、ナショナルチームの一員として迎えられた。数多くのコンペティションが続いた。レーナマリアは25メートルと50メートルのバタフライで2つの国家記録保持者となった。彼女の選手生活のハイライトは88年に韓国ソウルで開催されたパラリンピックゲームであった。

1987-1991年にかけてレーナマリアはスウェーデン王立大学付属音楽院でスウェーデンで最も優れた音楽家レーナ エリクソンに師事し歌唱指導を受ける。91年大学卒業後はスウェーデン、ノルウェー、フィンランドの教会で歌い、TVやラジオでの演奏を主としてジャズピアニストのアンドレ ウィヒクその他東京フィルハーモニックオーケストラなどと共演するようになる。彼女はジャズ、ソウル、ポップの強い影響受けたゴスペルを歌う。彼女は演奏会をモスクワ、ラトビア、ベラルーシュ、ドイツ、スイス、リヒテンシュタイン、アメリカ、香港、タイ、シンガポール、マレーシア、及び台湾で開催した。彼女を最も有名にしたのは日本である。TV,ラジオ及び他のメディアで彼女は日本の人々を魅了し、恐らく日本人の80%は何処かで彼女の歌を聴いていると思われる。特に98年の長野パラリンピックゲームの開会式での演奏は感動的であった。

スウェーデンでレーナマリアは7冊のアルバムをリリーズしている。中には彼女自身の作曲によるものも見られる。99年から2003年にかけて日本のユニバーサルミュージックが5枚のCD「ハートフィルド」「インユアデライト」及びミニクリスマスCD「シーズンオブジョイ」「エヴリリトルノート」と「アメージング グレイス」をリリーズした。歌唱に加えてレーナマリアは90年以来「マウスアンドフート」による絵描きの奨学生である。水彩画、アクリル画及び油絵を描く。レーナマリアは折にふれ彼女自身の経験を通して人間の尊厳、独自性の認識及び生活の質について語り続けて来た。

96年秋にリブリス メディアがレーナマリア自身による伝記を出版した。「フートノート」と題された書物は96年10月のスウェーデンブックフェアに出展された。同書はスウェーデン、ノルウェー、デンマーク、フィンランド、エチオピア、ポーランド、ドイツ、フランス、日本、タイ、韓国、マンダリン、ロシアの各国語と英語に翻訳された。2005年春に彼女は台湾の名誉市民となる。同年8月には”Artur Erikson” 奨学金を支給される。彼女が公演する全ての機会に、世界の何処でも、常に笑みを絶やさないその歌と語りに神が与えた素晴らしいチャレンジを受けて人々の心に忘れ得ない感動を与え続けるレーナマリアの姿がある。


Suporntum Mongkolsawadi
スポーンタム・モンコンサワディ氏略歴

現職:パタヤ市レデンプトリスト障害者職業訓練学校校長
    パタヤ市レデンプトリスト障害者福祉財団事務局長

スポーンタム・モンコンサワディ(Suporntum Mongkolsawadi)氏は1967年タイ王国の敬虔な仏教徒の家庭に生まれ自身も熱心な仏教徒である。1089年にパタヤ市のレデンプトリスト職業訓練学校専門課程にてコンピュータプログラミングを習得、バンコクに出てラムカムハエン大学にて経営管理学を学び学士号(アカウンティング)を取得、更にフワチェウ チャレンバキアット大学にて社会福祉事業管理を専攻、社会福祉学マスターを取得した。そして2004年にバンコク チュラロンコン大学においてマスターオブアーツ(政治経済学)を授与されている。

モンコンサワディ氏の活躍は極めて多方面にわたり、自国のみならず近隣諸国に於けるチャレンジドの活動にも積極的に参加している。日本の各方面との関わりも深く、CJFへの参加も今回が二度目である。特にスポーツに積極的に参加し、タイ王国に於ける最初の車椅子テニスクラブ、バスケットボールクラブ、車椅子レーシング協会などの設立者としても知られている。

また、各方面の委員、顧問等を歴任し、現在はタイ王国障害者スポーツ振興協会顧問、タイ王国障害者協議会顧問、タイアジア車椅子友好協会委員、タイ王国レデンプトリスト障害者福祉財団事務局長の要職にある。更にモンコンサワディ氏はタイ王国社会開発省就労促進小委員会、下院社会福祉コミッショナー社会福祉専門委員及び首相(タクシン シナワトラ閣下)の障害問題諮問委員会委員を兼ねる。