●はじめに
皆さんこんにちは。プロップ・ステーションの竹中ナミことナミねぇと申します。
「プロップ・ステーション」は1991年5月に生まれた「草の根のボランティアのグループ」です。活動を開始したときから現在に至るまで、インターネット、コンピューター技術を使って仕事に結びつけることを活動の柱にやってきています。障がいが重くて家族の介護が必要な方や、病気や障がいでベッドの上におられる方でも、コンピューターの技術によって社会とつながったり、人とコミュニケーションが取れ、人に頼むのではなく、自分の力でゲットし、社会に向けて発信することで、仕事として稼げて、なおかつタックスペイヤー(納税者)にもなりうるようなことができないかということで生まれたグループです。
●私たちのめざすもの
「障がい者ってたいへんな人たちだから、手助けしてあげようよ!」ではなく、私たちの考えは最重度の障がい者でも、何らかの能力があったら、「ちゃんと働きや!」「稼ぎや!」「税金払いや!」ということです。15年前、日本にはパソコンが一般家庭には普及していなかった時代に、重度の障がいのある人が、コンピューターを使って働けるようになろうという運動が起きたことを不思議だと思いませんか?
半年、一年、一年半勉強すると、どんなに重い障がいのある方、自閉的な障がいでコミュニケーションがとれない方でも、自分のホームページぐらいは作れるようになります。仲間たちが必死で向き合い、技術を習得して、仕事ができる状態を少しずつ広げてきたというのが、「プロップ」の今の姿です。
多くのコンピューター会社、ソフトウエアの会社、一流のエンジニアの人に、先行投資という考えで支援していただいて、技術を学ぶことができた結果、私たちの仲間からは優秀な人材が育ってきています。
●私の長女のこと
障がい者はかわいそうで気の毒な人たちやと思いますか? 私は彼らに期待してるんです。期待する気持ちがないと人の中に眠っているところは見えないです。その気持ちを芽生えさせてくれたのは、実は私の娘です。
娘は33歳なんですが、他の人より時間が掛かり、少しずつ成長してきたんです。彼女の上に37歳になる兄がいます。考えてみるとお兄ちゃんが1年間くらいで達成した発達の道筋を、下の娘は33年掛けてまだ途上なんです。何年も変化が無くてちょっとだけ小さな階段を登り、またその繰り返しを重ねて今日にきてるわけです。ところで、その娘とともに歩んできた日々のことですが、娘は生後三か月のとき、お医者さんから脳に重い障がいがあると言われたんです。その時に私、両親の所へ娘をどうやって育てようかって相談に行ったんです。そしたら私の父親が、娘を引ったくるように抱き取り、「ワシがこの孫連れて死んだる。」って。もう、びっくりしました。「何でそんなこと言うの。どうやって育てるか相談に来てるのに何でそんなこと言うの?」って言ったら、父は「こういう子を育てていくのはお前がしんどい。辛い目して不幸な目にあってたいへんな目に合うんや。ワシゃ、お前がかわいいさかいにお前がそんな目に遭うのをよう見とらん。今やったら、この孫も小さくって、まだ分からんからワシが連れて死んだる。」と言ったのです。父親は本気でした。私は若いころ、ワルで散々不良して、しゅっちゅう家出をしました。ある時、長い間家出をして、しばらく振りに家に帰ったら父の黒かった髪の毛が真っ白になっていたんです。この父親が顔色変えて「この孫連れてワシは、死んだる。」と言うから、本当に死ぬやろうなと思いました。
私は、その時、2つのことを決心したんです。一つは「絶対、父と娘を死なさん。元気で楽しくやっている姿を父に見せること。」もう一つは「私の幸せ、不幸せは自分で決める。いくら父親でも決めさせん。絶対幸せになったる。」でした。お陰様で、たくさんの仲間や支援してくれる人に恵まれて今日になりました。父は、5〜6年前、84歳で天寿を全うしました。その日まで私の最大の応援者でした。「あの日、死なんでよかった。」と言ってくれました。
●長女から学んだこと
彼女を授かって、初めて「人間っていろんなスピードで生きる人がいてこそ、人間社会なのだ。」というのを知りました。それまで人間というのは年月の経過相応に成長していくのをあたり前のように思っていたことが、崩れたんです。
もし、彼女がよそに生まれた子どもだったら、どう感じたかなって思うことがよくあります。よその子どもさんだったらきっと、「ああ、かわいそうやなぁ、気の毒やなぁ、あんなお嬢ちゃんいてお辛いやろなぁ」としか思えてなかったかも知れません。だけど、自分が授かってみて分かったんですけど、全然違ったんです。「人間ってすごいなあ、本当にいろんな人がいるんやなぁ」と思いました。その時、同時に私がもし、彼女のマイナスの部分だけ数えていたら、彼女何のために生まれてきたか分からない存在になるなと思ったんです。彼女のわずかながらの変化にもすごく愛しいという気持ちや感覚を絶対に失ったらいけないんです。その人なりのスピードがあって、そのスピードにどう自分も着目していけるのか、それを尊いって思えるかどうかだと思ったんです。その時に彼女を通じて出会ったたくさんの「チャレンジド」っていわれる人たちのマイナスや不可能なところではなく、その人の可能性を見て感じて、それを引っ張りださなあかんってことにつながったわけです。さきほど、申し上げたようにワルだった私を更生させたのは、娘やったわけです。「すごい娘だなぁ」と本当に思います。
※「チャレンジド」とは、障がいを持つ人の可能性に着目したアメリカの新しい言葉です(正式にはザ・チャレンジドと言う。)。
「神からの使命や課題、あるいはチャンスを与えられた人々」という意味がこめられています。
●これからの課題
日本は、世界一の少子高齢化が進み、社会の福祉の受け手と言われる人が増えてくる時代がもう目の前にきてます。
法律の改正によって多様な働き方ができるようバックアップすることで、たくさんのチャレンジドが在宅でも働けるようになって欲しいなと思います。そこで自分の力を10出せる人は10、5出せる人は5、そこまでじゃなくても2の人、1の人、0.5の人も力を出して欲しい。重要なのはチャレンジドといわれている人たち自身の意識改革です。しかし残念ながら、働くチャンスがないし、福祉の受け手だと思っている人がまだまだ多いのが現状です。だからこそ、私たち自身が意識を変えていかなければと思っています。
●最後に
少子高齢社会では、多分、私の娘の入院費も、税金ではもう賄えなくなってしまうと思います。現在、「障がい者自立支援法」が施行され負担金が増えました。本当に無理な人はみんなで支えなければならないが、それ以外の人は応分の負担をし、自分の責任を果たせるような仕組みを作っていこうと、障がいのある人たちに広く呼び掛けています。
しかし残念ながら、それに対して福祉の世界の抵抗は大きく、私たちの活動は異端なのかも分かりません。でも、「自分は障がい者ではなくチャレンジドでありたい。」と思う人たちが増えて、自ら働く機会につながっていけばと考え行動しています。
今日のお話を聞いていただいて少しでも共感し、応援してやろう、いっしょにやろうと思っていただけばうれしいなと思っています。どうもありがとうございました。
以 上
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