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OLマニュアル 2005年2月号より転載

 

「不運の種」が「幸運の花」を咲かせる!

 
 

竹中ナミの「ラッキーウーマン」への道

 
 

VOL2 誰にでもすばらしいところがある

 

プロップ・ステーション代表 竹中ナミ

竹中ナミの写真

●たけなか なみ
24歳の時、重症心身障害児の長女を授かったことから障害児医療・福祉・教育を独学する。平成3年、就労支援活動「プロップ・ステーション」を創設。「チャレンジド(障害者)を納税者にできる日本!」をスローガンに活動を開始。軽快な関西弁トークと「苔が五重に生えた」心臓を武器に、チャレンジドが誇りをもって働ける社会を目指して、政官学業へ独自の人的ネットワークを広げつつ活動を推進。[近況]震災後10年が経ち、兵庫・神戸からユニバーサルを発信するために官民合わせて頑張っています。

 


一定の域を超えると開き直れる!?

 じつは自分の娘に障害があるとわかった時、不遜ですがとても開放感があったんです。私は不良娘だったのに、子供ができたとたん、普通のお母さんをしなければならなくなり、プレッシャーを感じていました。私自身、勉強なんて大嫌いなのに、子供には「勉強しなさい!」といわなければならないなんて、大変なジレンマです。でも、娘に障害があるとわかり、もうこれで普通のお母さんをやらなくていいんだ、と思ったら、開き直れたのです。

 また、世の中の人は「障害がある子供がかわいくないのでは…」と思うようなのですが、実際はそんなことはありません。大変なこともあるし、困ることもありますが、とてもかわいい。もしかすると、障害のない子供よりかわいいかもしれません。

 5本の指があって「どの指が好き」なんてないでしょう? でも、怪我をするとその指に一生懸命薬をつけたりして面倒みますよね。その時ばかりは怪我した指のことに一生懸命になる。それと同じようなものでしょう。

 普通のお母さんでいることができなかったこと、娘がかわいかったことに加え、娘の障害が非常に重かった、というのも、開き直れる要因でした。世間の人は「障害が重いほど家族は苦しいし、大変」と思うようですが、実際は逆です。

 こんなたとえ話をすると、わかりやすいでしょうか。私はとても太っているのですが、娘の介護をしていた時は45キロくらいしかありませんでした。ところが50キロくらいになると「わぁ、大変!」と思うわけです。55キロくらいでも「もうこれ以上太ったら、死んだほうがマシ!」とか思う。でもそれ以上増えてくると、どうでもよくなってくる。体重が少なかった頃は1キロ増えたり痩せたりすることに必死だったのに、ここまでになるとそんなことに気にならなくなります。それよりは、健康管理だけしっかりしよう、と思ったり、「丸々していて性格良さそう」といわれればそれでいい、と思ったり。昔きれいだった頃は友達より敵のほうが多かったけれど、太ったら友達たくさんできましたしね。

 ある一定の域を超えてしまうと、開き直れてしまうのです。

 

他人を羨むよりも…

 障害のある子供を抱えているお母さんも同じで、うちの娘と同じように障害があまりにも重いと、あっけらかんとしていますが、逆に障害が軽いと家族も本人もとても苦しい。

 親にしてみると、ほかの子供と自分の子供の違いはごくわずかしかありません。このわずかな違いが「障害」と呼ばれた瞬間、とても大きな違いになり「世の中のサクセスは全部、この子にはない」と思ってしまいます。

 でも、本当はそんなことはないのです。私が理事長を務めるプロップ・ステーションは、働く能力のあるチャレンジド(障害をもつ人)の就労支援をしていますが、皆さんすばらしい能力をもっている。私がまったくわからないパソコンのことなど、彼らは熱心に勉強し、自分自身で働く場を得ています。ですから「私は私の得意なことをしますから、あなたもあなたの得意なこと、できることを精一杯してください」というだけで、お互い対等です。

 誰にでも、自分にできることとできないことがあり、自分の得意なことであれば、道を切り開いていける。ですから、ほかの人をうらやむ必要はなくて、「私には何ができるんだろう?」と考えればいいのです。

 人には自分を支えるチカラと他人を支えるチカラ、両方あるはず。どんな人にもすばらしいところがあるから、そのすばらしさを社会に活かし、困ることがあったらお互いに助け合う−そういう社会を目指して自分にできることをしていったほうが、他人を羨んでくよくよするより、よっぽど素敵だと思いませんか?

 

タカハシカズエさんのイラスト



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