週刊京都経済新聞 2005年1月10日より転載

 

 
 

眠った力 活かす社会に

 
 

ユニバーサル基本法制定目指す

 

大西辰彦インタビュー「くらし」と「いのち」のInnovation(2)  高度成長は、人の流れや時の流れに歩調を合わせられない人を”お荷物”として扱う社会をつくってしまった。それは膨大な数の「目の輝きを失った人々」をつくり出すプロセスだったとも言える。人々の個性を引き出す社会にするにはどうすればいいのか。「障害者を納税者にしよう」と就業支援活動に取り組む竹中ナミさんに、大西辰彦氏が聞いた。

眠った力 活かす社会に

ユニバーサル基本法制定目指す

社会福祉法人プロップ・ステーション理事長  竹中 ナミさん

竹中ナミの写真 竹中ナミさん
(たけなか・なみ)


社会福祉法人
プロップ・ステーション理事長


 ニックネームは「ナミねぇ」。神戸市立本山中卒。重症心身障害児の長女を授かったことから、日々の療育のかたわら障害児医療・福祉・教育について独学。チャレンジドの自立と社会参加を目指して1991年5月「プロップ・ステーション準備会」を設立。98年社会福祉法人になり、理事長に就任。公職は財政制度審議会委員(2005年1月就任予定)など。不良少女から更生して弁護士となり大阪市助役に転進した大平光代さんとは「大の飲み友達」とか。

■プロップステーションと言えば、チャレンジド(障害者)の自立を支援するNPOとして全国レベルの知名度と実績を持っているわけですが、そもそも始めるきっかけは?

 「関西学院の高等部でラグビーをやっていて全身マヒになってしまった若者が居られたんです。はじめは絶望して死んでしまおうと考えたともいうんですが、そのうちに『残された考える力を活かそう』と考え直して、社会復帰されたんです。ご両親が『障害者でも働け』とおっしゃったのもすごい。その後、大学、大学院も卒業され、コンピュータープログラマーとして自立、今では経営者でもあります。補助金をもらって生きている障害者は目が死んでいる。でも彼の目は輝いていた」。

 「彼を知って、私は『これまで日本の福祉は何をしてたんやろ』と感じたんです。私自身も重症心身障害者の母なので実感してましたが、従来の日本の福祉は身障者が『できない』ばかりに着目して、そこを補うモノやサービスをくれるばかりやったんです。これからはその障害者の可能性に着目すべきではないか。そう思って考え直したんです」。

■可能性というと−−。

 「本人の働く意志、それを支える家族の方向付け、そして(脳の機能を拡張する)コンピューターという3点が揃えば、働くことができる。そうすれば、補助金を一方的にもらう側ではなく、障害者自らが働いて納税者になれる。それで、91年5月にプロップ・ステーションを立ち上げました」。

対談風景の写真

■今になっていると理解できる考え方ですけど、当時はかなり驚かれたでしょうね。

 「ま、だれもやってないことをやりたい性格なんですよね(笑)」。
 「娘は31歳になりましたが、実際に授かってみると『かわいいやん!』というのが実感。上の子が1年でできたことを、娘は31年かかってようやく『できた!』ということがある。1人1人できることとできないことがある−−。そういう新しい価値観を伝えたいんです」。

 「究極のところ、おかあちゃんのわがままをやってるんですけどね(笑)。でも自分の子を『かわいい』と言ってもらうためには、世の中変えなくちゃ。娘の価値がされるようにしてから死にたい」。

■十数年活動を続けてこられて、どうですか?

 「だいぶ変わってきましたね。市民運動やボランティアなどは今まで官や企業を敵として闘うパターンでした。自分が正しくて相手が間違っている、という。でも、公務員や企業人も、個人に分解すればそれぞれのAさん、Bさん、Cさんで、ボランティア活動もやる。そういう考え方が定着してきました」。

 「官庁の壁をケンカでぶち破ろうとする不毛さも見てきました。私たちの活動は、障害者問題とみれば旧厚生省でしたが、障害者が働きたいといえば旧労働省、コンピューターを使うとなると旧通産省、通信を使えば旧郵政省、納税したいとなると旧大蔵省−−といった具合に、複数官庁にまたがる。1つ1つの省庁と闘っていたのでは不毛なんです」。

 「私は、個人として(省庁の)中から『かんぬき』を抜いてくれる人を探すことにしました。壁をうち破りたいところの全てにそういう人をつくっていくわけです」。

 「そうすると、今度はこちらに課題が返ってくる。説得力、企画力、どんな結果が出せるか。あくまで自分は何をするのか、見せられるものを持っていかなければ、”かんぬきを抜く人”は動けない。そういう意味では厳しい道やとは思います」。

■経済システムの変化はどうですか?

 「コンピューターは、チャレンジドにとってあらゆる職業に就ける可能性を提供してくれるものですね。コンピューターとネットワークを使えば、1つの仕事をいっぱいに分解してやることができる。今までの常識ではスピードが遅かったりこなせる作業量が少ない人は排除されてしまってわけですが、仕事を分解すれば、量をこなすべきところは速い人、じっくりやらねばならないところはそれが得意な人−−という風に分担できる。全体としてクオリティーがきっちりしてればいいんです」。

 「ただ、コーディネートは私たちバックオフィスの人間がしっかりやる。バックオフィス機能が強くないと、うまくいきません」。

■そういうやり方は今後どのように発展していきますか?

 「これからはフルタイムで働く人が減るんですから、むしろ私たちのような仕事の進め方が一般的になるんじゃないですか。そのようにして日本人の力を十分活かしていかないと。それをできずに海外に安い労働力を求めていくのはいびつだと思いますね」。

■「チャレンジド」から「ユニバーサル」へというわけですね。

 「意識と制度の問題ですね。アメリカはケネディー時代に黒人・障害者・女性差別を撤廃する制度をつくったわけですが、父ブッシュ大統領が『チャンスの平等』をうたったADA法(障害を持つアメリカ人法)を成立させるまでに30年かかった」。

 「国家は障害者を納税者にする義務があり権利がある−−ということです。日本にも新しい法が必要です」。

■「ユニバーサル社会基本法」の策定を働きかけておられます。

 「勉強会を重ねて既にたたき台は出来ています。いろいろな意見があるのでまだ表に出す段階ではないけれど。それから、この5月にアメリカにADA視察ツアーを出します。そうした動きを踏まえ、来年の通常国会にかけるつもりで国会や行政に対して働きかけたいと思ってます」。

■個人として夢は?

 「個人としてねえ・・・。まあ、自分の娘にお返ししたいということですかねえ。私が死んだ後も娘が堂々と生きていける社会にしたいです、ホンマに」。
(インタビュー全文は「京経WEB」に)

 

聞き手:
大西辰彦(おおにし・たつひこ)


 1958年生まれ。関西学院大学法学部卒。大学時代はアメフト部「KGファイターズ」に籍を置いたアスリート。卒業後は京都府庁に入り、産業政策や府総合計画の企画立案に携わる。2002年京都リサーチパーク(株)に移籍、実践の場で新事業創生に取り組む。2004年関学大大学院修了、MBA所属。同年に京都大学大学院非常勤講師。主要論文に「京都バレーのクラスターモデル」ほか。
大西辰彦氏の写真



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