■プロップステーションと言えば、チャレンジド(障害者)の自立を支援するNPOとして全国レベルの知名度と実績を持っているわけですが、そもそも始めるきっかけは?
「関西学院の高等部でラグビーをやっていて全身マヒになってしまった若者が居られたんです。はじめは絶望して死んでしまおうと考えたともいうんですが、そのうちに『残された考える力を活かそう』と考え直して、社会復帰されたんです。ご両親が『障害者でも働け』とおっしゃったのもすごい。その後、大学、大学院も卒業され、コンピュータープログラマーとして自立、今では経営者でもあります。補助金をもらって生きている障害者は目が死んでいる。でも彼の目は輝いていた」。
「彼を知って、私は『これまで日本の福祉は何をしてたんやろ』と感じたんです。私自身も重症心身障害者の母なので実感してましたが、従来の日本の福祉は身障者が『できない』ばかりに着目して、そこを補うモノやサービスをくれるばかりやったんです。これからはその障害者の可能性に着目すべきではないか。そう思って考え直したんです」。
■可能性というと−−。
「本人の働く意志、それを支える家族の方向付け、そして(脳の機能を拡張する)コンピューターという3点が揃えば、働くことができる。そうすれば、補助金を一方的にもらう側ではなく、障害者自らが働いて納税者になれる。それで、91年5月にプロップ・ステーションを立ち上げました」。
■今になっていると理解できる考え方ですけど、当時はかなり驚かれたでしょうね。
「ま、だれもやってないことをやりたい性格なんですよね(笑)」。
「娘は31歳になりましたが、実際に授かってみると『かわいいやん!』というのが実感。上の子が1年でできたことを、娘は31年かかってようやく『できた!』ということがある。1人1人できることとできないことがある−−。そういう新しい価値観を伝えたいんです」。
「究極のところ、おかあちゃんのわがままをやってるんですけどね(笑)。でも自分の子を『かわいい』と言ってもらうためには、世の中変えなくちゃ。娘の価値がされるようにしてから死にたい」。
■十数年活動を続けてこられて、どうですか?
「だいぶ変わってきましたね。市民運動やボランティアなどは今まで官や企業を敵として闘うパターンでした。自分が正しくて相手が間違っている、という。でも、公務員や企業人も、個人に分解すればそれぞれのAさん、Bさん、Cさんで、ボランティア活動もやる。そういう考え方が定着してきました」。
「官庁の壁をケンカでぶち破ろうとする不毛さも見てきました。私たちの活動は、障害者問題とみれば旧厚生省でしたが、障害者が働きたいといえば旧労働省、コンピューターを使うとなると旧通産省、通信を使えば旧郵政省、納税したいとなると旧大蔵省−−といった具合に、複数官庁にまたがる。1つ1つの省庁と闘っていたのでは不毛なんです」。
「私は、個人として(省庁の)中から『かんぬき』を抜いてくれる人を探すことにしました。壁をうち破りたいところの全てにそういう人をつくっていくわけです」。
「そうすると、今度はこちらに課題が返ってくる。説得力、企画力、どんな結果が出せるか。あくまで自分は何をするのか、見せられるものを持っていかなければ、”かんぬきを抜く人”は動けない。そういう意味では厳しい道やとは思います」。
■経済システムの変化はどうですか?
「コンピューターは、チャレンジドにとってあらゆる職業に就ける可能性を提供してくれるものですね。コンピューターとネットワークを使えば、1つの仕事をいっぱいに分解してやることができる。今までの常識ではスピードが遅かったりこなせる作業量が少ない人は排除されてしまってわけですが、仕事を分解すれば、量をこなすべきところは速い人、じっくりやらねばならないところはそれが得意な人−−という風に分担できる。全体としてクオリティーがきっちりしてればいいんです」。
「ただ、コーディネートは私たちバックオフィスの人間がしっかりやる。バックオフィス機能が強くないと、うまくいきません」。
■そういうやり方は今後どのように発展していきますか?
「これからはフルタイムで働く人が減るんですから、むしろ私たちのような仕事の進め方が一般的になるんじゃないですか。そのようにして日本人の力を十分活かしていかないと。それをできずに海外に安い労働力を求めていくのはいびつだと思いますね」。
■「チャレンジド」から「ユニバーサル」へというわけですね。
「意識と制度の問題ですね。アメリカはケネディー時代に黒人・障害者・女性差別を撤廃する制度をつくったわけですが、父ブッシュ大統領が『チャンスの平等』をうたったADA法(障害を持つアメリカ人法)を成立させるまでに30年かかった」。
「国家は障害者を納税者にする義務があり権利がある−−ということです。日本にも新しい法が必要です」。
■「ユニバーサル社会基本法」の策定を働きかけておられます。
「勉強会を重ねて既にたたき台は出来ています。いろいろな意見があるのでまだ表に出す段階ではないけれど。それから、この5月にアメリカにADA視察ツアーを出します。そうした動きを踏まえ、来年の通常国会にかけるつもりで国会や行政に対して働きかけたいと思ってます」。
■個人として夢は?
「個人としてねえ・・・。まあ、自分の娘にお返ししたいということですかねえ。私が死んだ後も娘が堂々と生きていける社会にしたいです、ホンマに」。
(インタビュー全文は「京経WEB」に)
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