ラグビーのポジションの名前でもある「プロップ」は「支えあい」「つっかえ棒」を意味する言葉。竹中ナミさんは、平成3年にチャレンジド(障害者)の自立を支援する任意団体プロップ・ステーションを創設する。以来12年間活動を続けている。
武器はパソコン。パソコンのキーボードなら、手が使えない人は足で、手も足も使えない人なら棒を口にくわえてキーボードを操作することができる。平成4年からチャレンジドの就労を目的としたパソコンセミナーを開催する。平成8年からインターネット上で、全国どこからでもアクセスできるセミナーもスタートする。これまでに2000人以上が受講し、約100人がプロップ・ステーションのコーディネートで在宅就労についている。
「『チャレンジド』(the challenged)という言葉は、アメリカで15年前くらいから使われている言葉です。神から挑戦という使命や課題、あるいはチャンスを与えられた人々という意味が込められています。アメリカやスウェーデンではチャレンジドが働き、税金を払うのは当たり前のことです。政府機関や教育機関、企業やNPO(民間非営利組織)でチャレンジドが大勢働いています。“障害者”という字は、マイナス思考そのものだと思うんです」
神戸で生まれ育った竹中さんは、小学生のころから家出を繰り返す。15歳で熱愛し同棲。16歳で結婚、22歳で長男を出産する。竹中さんの人生を大きく変えたのは、24歳で長女麻紀さん(現在30歳)を出産したことだ。
麻紀さんの障害に気がついたのは、3カ月検診だ。その後、麻紀さんを連れて病院巡りをする。どこへ行っても、「気の毒やけど、こんな子を生んだのは、あんたのせい違うからね。元気出すんだよ」と医者の答えは同じ。竹中さんは、片っ端から医学書を読みあさる。それでも原因は分からない。
「原因が分からないなら、これからどうやって生きていくかということをステップに進もう」と自分自身に言い聞かせる。
孫に重度の脳障害があると知った父は「わしが麻紀を連れて死んでやる! この子と一緒じゃ、おまえが絶対苦労する。不幸になるんや!」と言った。
「そんなこと絶対させたらあかんって思いました。麻紀がいても楽しい状況をつくっていこうと思いました」
ここから本領発揮。多くの支援者を巻き込んで生活を楽しみながら、さまざまな活動を開始する。「幸不幸は心の持ちよう」という言葉はまさに竹中さんにぴったり当てはまる。
平成11年、アメリカのシアトルに行き、労働省(現・厚生労働省)が主催した「テレワークの国際会議」を視察。「チャレンジドのテレワーク」という分科会に参加。そこでダイナー・コーエンさんというペンタゴン(米国国防総省)の幹部と出会う。「すべての国民が誇りを持って生きられるようにするのが、国防の第一歩」と言う彼女自身もチャレンジドだった!
「『チャレンジドを納税者に!』というプロップ・ステーションの理念も、“すべての人が誇りを持って生きられる日本”ということなんです」
竹中さんは今、チャレンジドを含めた、女性、高齢者など、すべての人たちが持てる能力を発揮できる“ユニバーサル社会”の実現を目指して活動中だ。今後のさらなる活躍が期待される。私たちも応援を惜しみなくしていきたいと思う。
(森本 和子)
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