[up] [next] [previous]
  

世相 2003年9月号

     
 

時の人・話題の人

 
 
 
 
マイナスはプラスになる!
「ラッキーウーマン」の考える福祉
 
 

 

社会福祉法人プロップ・ステーション
(http://www.prop.or.jp)理事長。1948年神戸市生まれ。神戸市立本山中学校卒。著書に『プロップ・ステーションの挑戦』(筑摩書房)、『ラッキーウーマン』(飛鳥新社)がある。
竹中ナミ Takenaka Nami

障害を持つ人は「神から挑戦されたチャレンジドだ」といい、障害の有無にかかわらず、皆が自分の力を活かすことのできる社会を目指す竹中ナミ氏。日本の福祉制度と、私たちに根強く残る固定観念の問題点を聞いた。



竹村: 今回は社会福祉法人プロップ・ステーション理事長の竹中ナミさんに話を聞くのですが、この方はいつお会いしても「エネルギーの塊」みたいな人です。
竹中: うるさくてすいません(笑)。
竹村: さて、竹中さんは 『ラッキーウーマン』という本を出されました。
 これは、重度の脳障害をお持ちのお嬢さんとのことを含め、ご自分のこれまでをお書きになった本だということですね。いろいろなことがあったと思うのですが。
竹中: ええ。私の父も、自分の孫つまり私の娘が、生後二、三ヵ月で重症の脳障害と分か
ったときには、「この子を育てていくのは大変なことだ。お前が不幸になるから、つらい目に遭うだろうから、わしが連れて死んでやる」といったのです。
 私の父は、戦争に行って、南方から引き上げてきてから結婚しました。
 そして長女として私が生まれたのですが、年をとってからの子供だったためか、私を溺愛しました。
 私は私で、父ちゃんが大好きで、いわゆる「ファザーコンプレックス」でした。
 そんな父ちゃんが、「お前のために(子供を)連れて死んでやる」というのですから、どれだけ私のことを思っていってくれているのか、その本気度が伝わってきました。
 そういうこともあって、子供の障害が分かったときに、私は二つの決心をしました。
 まず一つは絶対二人を、私の父と娘を死なさないこと。そのためには、この子を育てることが、父がいうように不幸であったり、つらいことであったりということだけではないのだと、自分で証明する必要があると思いました。
 それからもう一つは、どれだけ自分をかわいがってくれる父ちゃんのいうことでも、自分が幸せかどうかは、自分で決めるものだと思いました。「あんたにいわれたくない」という気持ちもありました。
 本にも書きましたが、私はもともとごっつい不良で、とにかく道を外れたことばかりやってきた人間ですから(笑)。
竹村: :あなたが? それは喧嘩も強いはずですね(笑)。
竹中: はい。それはもう、すごかったです。まあ、口げんかですが(笑)。
 子供のときの趣味が、「木登り」と「家出」で、補導されたこともあります。
 私があまりにも家に帰って来ないので、父が私の写真を持って警察に行き、「私の大事な娘が家出をしたので探してください」と尋ねると、出てきたおまわりさんが「この人の写真、見たことがあります」と。
竹村: 頻繁に警察にご厄介になっていたわけだ(笑)。札付きの不良だったのですね。


神様から挑戦されている「チャレンジド」たち


竹中: そうですね。札付きでした(笑)。もともと勉強嫌いなのでもちろん学校も嫌いでしたし、誰かに 「こう生きなさい」と決められて生きるのが、とても嫌でした。
 これまで、割と自由な生き方をしてきて、娘の問題にぶつかりました。そしてそのことで、大事な父ちゃんが、私の大事な娘を連れて死ぬといっている。
 これは、私自身のこの型破りでハチャメチャな性格のまま「突っ走れ、思いっきり規格外で行け」ということではないかと解釈しました。
 娘が生まれたことで、自分はやはり独自の「不良道」を突っ走るぞ、突っ走ればいいんだと気づいたのです。
竹村:そうですか。それで障害を持っている人を「チャレンジド」と呼んでいるのですね。
 これは、「神様から試練を与えられた、挑戦された」 いう意味だそうですが、どうしてこういう名前にされたのですか。
竹中: 私たちの会は 「プロップ・ステーション」というのですが、会の目標として「チャレンジドを納税者にできる日本」を掲げています。
 「チャレンジド」は、アメリカで十年ほど前から使われ始めた新しい言葉で、挑戦という使命や課題、あるいはチャンスを与えられた人たちという意味です。
竹村: 身体障害者や、苦労する立場の人は「神から挑戦されている」ということですか。
そして、それを受けて立ちなさいということですか。
竹中: そういうことです。これまでは、「ハンディキャッパー」「ディスエイブル・パーソン」などといわれていましたが、やはりそれは、その人の弱いところ、マイナス面を強調しすぎていると思ったのです。
 こういう言葉が、彼らの自立や誇りを失わせる言葉になっているということで、新しく「チャレンジド」という言葉が生み出されたわけです。
竹村: なるほどね。「言葉を変える」ということは小さなことではなく、哲学みたいな大きいものを根本から変える力になりうるということです。
 そこであらためて考え直してみると、日本の障害を持つ人への一般的な感覚は、「弱者」「気の毒」「できないことが多い」といったものでした。
竹中: 確かに、できないこともあるかも知れないけれど、逆に「この人、こんなことならできる」っていう見方もできるわけで、できるところを見つけていく、誰もが堂々と、できるところは発揮することができるような、そういう文化に変えようと思ったのです。
竹村: ですから、「何もできない人」と我々だけの価値観で判断し、「ハンディキャップがある」と呼んでいたのは間違いで、かえってチャレンジをされている人だと前向きにとらえようというわけですね。
 ところで、「プロップ」とはどういう意味なのですか。
竹中: プロップには、「つっかえ棒」「支柱」「支え合い」という意味があります。
 それから、ラグビー用語でもあります。私と一緒にこのプロップを始めた男の子がいるのですが、彼はかつてラグビーの選手をしていました。
 ところがあるとき、スポーツ事故で負傷し、全身が麻痺してしまいました。わずかに左手の指先が動くだけ。
 それでも彼は、わずかに動くその左手の指先で、家業のマンション経営を継ぎ、自分でデータベースを立ち上げ、きちんと青年オーナーをやっています。
 ですから、チャレンジドは、支えられるだけではなく、支える側にも回れるということ
をいいたかったのです。
 お互いに障害があろうがなかろうが、支え合いをするような国にしようということで、「プロップ・ステーション」という名をつけました。
竹村: そうですか。
 こういった竹中さんの考えに賛同する人も多い。僕もこの竹中さんと知り合ったのは、財界の大物で、ウシオ電機会長の牛尾治朗さんから、「ぜひ、竹中さんに会ってみてください」と紹介されました。
 日本でも、著名な方や地位のある人が、竹中さんの活動を心からバックアップしているのだな、という感想を持ちました。
竹中: そうですね。本当に政、官、財、さまざまな立場の方が応援してくださっています。
ただ、応援してくださる方々には共通項があるのです。
 それは、地位があるとか名誉があるとかいうことではなく、皆さん、いまの日本に危機感を持っている人たちばかりだということです。
 だから、いくらお金や地位があっても、危機感を持ってない人はナミねぇの応援団にはなってくれないのです。
 あ、私は皆からナミねぇと呼ばれているのですが (笑)。
 いまの福祉や社会保障の形は、「この人たちにはできない、無理」 というところから始まって、だから「何かをあげましょう」というところに帰結している。つまり、弱者の存在をつくってその弱者に何かあげるという発想、形なのです。
 これは、障害者問題だけでなく、地域の過疎化をはじめとする、日本のさまざまな問題と結局は繋がっているということがあるのかも知れません。
竹村: どうも日本はそういう傾向にあるみたいです。ところが竹中さんは、弱者が税金を納めることができるような社会をつくることを目標にしている。
竹中: そうです。つまり、できないところを数えて埋める福祉というのは、結局できるところに蓋をしているわけです。
 それで、支援を受けるほうも、「できない」ということを前提として支援してもらおうとするから、本来できる部分をも出さないでおこうと考えてしまう。これでは悪循環に陥ってしまいます。
 ですから、こういった部分を根本から変えていかないと、日本は根腐れ状態で、枝葉の福祉論はいろいろあるけれども、やはり根っこのところが危ないなというふうに感じます。

 

人はそれぞれ他の誰にもない個性や才能を発揮する権利を持っている

 


自分を弱いと認めることで支援される恐さ


竹村: 僕は、竹中さんの取り組みによって、日本人の福祉に対する考え方が根本からひっくり返るだろうと評価してます。
 それから、障害者の人たちだけがチャレンジされているのではなく、健常者も凝り固まった考え方を変えるべく、「チャレンジ」されているのです。
竹中: すべての人が、自分が弱いとか、駄目だということを認めると、何か支援してもらえるみたいな感覚になるというのは、とても恐いことだと感じます。
竹村: そうですよ。ですから僕は、講演会場で何か書いてほしいといわれたら、色紙に「自灯明」と書くことにしています。これはお釈迦さんがおっしゃった言葉として知られているので、ご存じの方もいるでしょう。
 死の床で、弟子たちがお釈迦さんの周りで嘆いていた。「お釈迦さんが亡くなったら、私たちどんなふうに生きていったらいいのでしょう」と。
 するとお釈迦様は黙って「自灯明、法灯明」と書いたというのだけど、これは結局、「自分での足で立ちなさい」ということなのです。
 つまり、まずは自分で考え、お釈迦様がこれまで話したこ
と(=法)は拠りどころとして参考にし、あなた自身の答えを出しなさいといったのだそうです。
 いまの日本は人を「助ける」ことだけが美徳になってしまっているけれど、ハンデを背負った人が、自分でも何かできると自発的に思う社会をつくることのほうが、本当は大事なはずです。
 そして、ハンデがある人ががんばっているのに、元気な人ががんばらないわけにはいきませんから。
 


ハンデを持つ人に誇りをと考えたケネディ大統領


 竹中: そうですね。考え方を変えようとするときに、人の意識と法律とか制度っていうのが、こんにゃくの裏表みたいなものだと思うわけです。
 人の意識が変わっていくにつれ、当然、既存の法律や制度も見直されないといけない。
 あるいは、アメリカで「チャレンジド」という言葉が生まれたように、新しい認識に基づいた共通の制度が生まれるべきだし、制度が生まれることによって、人の意識の変化が確立される……というふうに、すべてが繋がっているわけです。
 そういう意味で、私たちが掲げる「チャレンジドを納税者にできる日本」の中の、「納税者」 という言葉は、J・F・ケネディが一九六一年の大統領就任式で 「国民諸君、国が何をしてくれるかではなく、国のために自分が何をできるかを問うてほしい」「すべての障害者を納税者に」ときっばり教書に記しました。
 ケネディ家にも、実は何人か障害を持っていた方がいらっしゃったということですし、ケネディ大統領が一番大好きだったご兄妹が重度の知的ハンデをお持ちだったそうです。
 ですから、彼は「憐れみ」ではなく「誇り」がほしいと考えたのでしょう。あるいは誇りをきちっと与えられる国家が本当の国家なのだといいたかったのでしょう。
 私は、この言葉を知ったとき、「これだ!」と思いました。もう私たちのやることはこれしかないと。
 ケネディ大統領のその発言以降、アメリカでは障害があろうがなかろうが、あるいはマイノリティといわれる人たちでも学ぶ機会やチャンスを平等にし、まず平等にしたうえで競争をしなさいという方針で社会づくりに努めてきました。
一方日本では、最初から障害の有無によって分けて考えるのが当たり前になっています。障害を持つ人は結局、「無理な人たち」というのが前提でした。
 ところが、例えばアメリカのワシントン大学では、障害を持つ学生が全体の七%ぐらいだといいますし、全米平均では約三%の割合になるそうです。
 さらにワシントン大学では、障害を持つ学生の割合を、できるだけ人口比率に応じた割合にしようと努力しています。つまり一〇%近くにまで上げようということです。
竹村: アメリカでは、身体障害者が人口の一〇%いるのですか。
竹中: はい、そうです。日本でも障害者手帳所持者だけで一〇%弱います。ところが日本の大学での比率は、何と〇.〇九%です。
 つまり、教育現場から「車椅子だと困る」「点字では受験できない」とか、「聴覚障害のサポーターつきで授業を受講されては困る」と拒むわけです。
 これだけ学歴中心の社会で、教育を受ける機会も得られずに、彼らが本当の意味でよき働き手になるわけがない。
竹村: たまたま、そういったハンデを持っている人が大学に無事入学したということで、マスコミは美談仕立てにしますね。
竹中: そうなのです。けれども、それは滑稽この上ないことです。私はこれまで、たく
さんのチャレンジドと出会ってきましたが、チャンスを平等にしたうえで、同じ土俵で競争した場合、私の十倍頭のいい人はたくさんいますよ。
目が見えないとか、一部に不自由があるというハンデがあるだけで。
 ですから、「チャンスを平等にする」と法律で謳うことが重要かつ必須事項となってくるのです。
 そこで、国会できっちりと法制化していくために、「ユニバーサル社会の基本法」をつくろうと提案をしています。
 「ユニバーサル社会」とは、すべての人が持てる力を発揮し、その力で支え合っていく社会を指して、私がつくった呼称です。
 おかげ様で、このユニバーサルの法案の議論もたたき台をつくるところまで一年やってきまして、与党のプロジェクトチームが発足しました。
 自民党から六名、公明党から四名、保守新党から二名という形で、まず与党がユニバーサル法案に向けて議論を開始してくださっています。
 もちろん最終的に、全国民の賛同をいただければいいと思っていますが、政権を持つ与党がプロジェクトチームをつくってくださったことを嬉しく思いますし、第一歩だとも考えています。


子育ての喜びや悲しみは親なら誰もが持つ


竹村: なるほどね。竹中さんに賛同を覚える国民は多いと思いますよ。読者などから、実際に何か感想などを聞く機会はないのですか?
竹中: そうですね。この本を書いてから、さまざまなご意見やご感想をメールあるいは手紙でいただいています。
 特に嬉しいのは、障害を持つ子供がまだ二、三歳の若いお母さんから来る「よくぞラッキーウーマンといってくれました」という意見です。
 私たちは周りの人からずっと、気の毒に、かわいそうにね」といわれ続けてきたけれど、本当は違うのだ、と。
 「障害を持っていようがいまいが、子供を育てることで生まれる、親としての喜び、悲しみは一緒なのだ」といいます。
 むしろ、自分の子が障害を持っていたからこそ、いままで気がつかなかったことに気づくことができたといいます。
竹村: きっと、そうでしょうね。
竹中: 彼女たちは、「私もラッキーなんだけど、私がラッキーなんていってはいけない」と自己規制をする傾向にありました。
 けれどもナミねぇが、『ラッキーウーマン』というタイトルをつけてくれて、たくさんの人と手を繋ぎ、「ラッキー」と堂々といえることが 「嬉しい」というメールが、全国からたくさん来ました。
竹村: 皆、それぞれに自分のことを 「ラッキー」 と思っていた、というのは素敵ですね。
竹中: そうなんです。
 ですから、自分が課題を与えられてそれに向き合っているというその誇りを、「ラッキーウーマン」 という言葉に、置き換えていることになるのでしょうか。
竹村: そうですか。考えてみると、一般的な「幸せ」の本質とは一体何なのかと思いますね。
 キリストも同じようなことをいっていたけれど、一般に「不幸」と思われている人ほど、実は幸せなのかも知れません。そういう見方を実際に、実践してくれているのが、この人、竹中さんだということです。
 しかし、本当に元気のいい人だ。あなたは(笑)。
 僕も竹中さんに共感する部分は大きいです。
 というのも、学生時代、因っている人を助ける人ボランティアで活動の会にも参加していましたから。ハンセン病の診療所へ慰問に出かけたりもしていました。
 竹中さんと話していると、
そういう学生時代のことまで思い出します。
 竹中さんのような人のおかげで、日本の福祉や社会について見つめ直す動きが生まれているし、竹中さんのように考える人がどんどん増えればいいと思います。
 そして、「チャレンジド」と呼ばれる人たちが本当に、納税できるようになる社会が当たり前になればいい。
 日本の福祉は、支援してもらうことを中心にしか考えてこなかったから、竹中さんたちのやろうとしていることは非常に前向きだと思います。


すべての人の力を引き出すのが本来の福祉行政だ


竹中: そうはいっても、私たちが「納税者」という言葉を使って活動を始めたときには、やはり批判の声も多かったです。
 特に福祉業界からの批判は大きく、「福祉というのは税金をどれだけ取ってくるかであって、(税金を)払うことではない」とよくいわれました。
 しかし私は、「そういう考え方はやはり間違っている」と、その言葉を聞いてあらためて確信しました。そして、やはり、日本の福祉を変えていく必要があると思いました。
 こういった活動をはじめて、もう十二年になりますが、この間、本当にさまざまな分野のいろいろんな方が、日本に危機感を抱き、この活動をずっと一緒にやっていこうといってくださる方もたくさんいます。そういう意味で、未来は明るいと考えます。
 だから、教育についてもいま、たくさんの議論がありますが、福祉も教育もすべて、もっと根っこから考えていく必要があります。
 すべての人の力を引き出せるような社会にしていくべきです。そうでなければ、少子高齢が進む日本は、十年ちょっとしたら崩壊してしまいますよ。
 だから私たち一人ひとりが、非力ながらも支える側にいたいし、非力ながらも十人寄れば三人分の力を出せるのであれば、それはそれでいいではないか、と思っています。
 皆の力を寄り合わせて支える側に回り、無理なところは支えてもらうっていう共通認識ができたらいいなと。
竹村: なるほど。他にあなたの本の読者からの、何か印象的な意見はありましたか。
竹中: そうですね。やはり、チャレンジド、障害者には「親切にしてあげないといけない」「とにかく手を差し伸べてあげないといけない」という認識が根強いです。
 そして「何かをしてあげる」ことこそ「福祉」だという考え方が、やはり多勢を占めていたことがよく分かりました。
 しかし私の本を読んで、「チャレンジドのできることを後押しするという考え方に、自分も変わっていくことができそうだ」という意見もいただきました。
竹村: あなたのいう「ラッキー」な人たちが、自分たちの持てる力で、自分たちのために働く、納税することができるようになる社会基盤が整えばいいですね。まずは法整備からだと思いますが。
 そもそも、チャンジドが自分の力で、自分のためにやることが美談にしかならないような社会から、まず変えていかなければなりませんね。
竹中: そうですね。私たちの活動の中から、そういうチャレンジドの方がどんどん働いていますし、働ける力を持つ人も待機しています。
 そういう実例が当たり前になるようにしていきたいです。
竹村: そうですね。我々にはない、稀有な才能を持っている可能性も大きい人たちですから。
 相変わらず元気のいい竹中さんにお話を伺いました。法律など、社会的に新しい動きがあればまたお話を聞かせてください。
竹中: はい。ありがとうございました。