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E♭ い〜ふらっと 2001年7月号より転載 |
かつて、はったりをかましました |
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社会福祉法人プロップ・ステーション理事長 竹中ナミさん
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神戸市は六甲アイランドにある社会福祉法人プロップ・ステーションの事務所を訪ねたのは土曜日の午後。ちょうどパソコン教室が開かれていた。生徒にはお年寄りの姿が目立ち、講師はチャレンジド(障害者)で”プロ”だ。足の指先でキーボードを叩き、ホームページの作り方を教えている。障害者を「神からチャレンジドという指命を与えられた人」という意味を持つ「チャレンド」と呼称し、コンピューターを武器にして「チャレンジドもしっかり稼いで税金を払えるようになろう」を合言葉にユニークな活動を展開、全国の注目を浴びている「プロップ」、その活動の一端を垣間見る思いだ。理事長の竹中ナミさん(通称・ナミねぇ)は、重度の心身障害者を持つ娘を抱える女性だが、この人の肩書き・経歴は尋常ではない。財務省、厚生労働省、総務省、国土交通省、経済産商省などの審議会、研究会にかかわってきている。 「私の参加している審議会などでは女性のほうが活発に意見を言っていますよ。一昔前なら女性や草の根運動をやっている人、障害の分野の人が委員になることも少なく、意見を述べても無視されちゃったけど、今は逆で、女性のパワーに圧倒された男性のほうが黙ってしまうことが多いんよ」と言い、こう付け加える。「私の意識にはあまり”女性”というのがないんですよ。チャレンジドがどんなことができるか、というのが最大の関心事で、そのために必要ならどこにでも出かけていくわけです。チャレンジド界の吉本と言われる口と、”苔のはえた心臓”に関しては誰にも負けないから(笑)」 応援してくれたのは女性官僚 高校在学中に同棲、それが学校にばれて退学、正式に結婚。四畳半のアパート暮らし、八百屋さんで時給50円のアルバイト。1960年代半ばのことである。爪に灯をともす生活のなかで、25歳の時に長女・麻紀さんを生んだ。生後三か月の健診で障害が指摘され、専門医に「脳に障害がある」と宣告された。「自分がこの子を連れて死んでやる」と言う実父、「家の中のことは女に責任がある」と思い込んでいる夫。「泣き言は言うまい」と決めた竹中さんにすべてが覆いかぶさっていった。麻紀さんが就学の年齢になったころから「何も表現しない娘に私がしてやれること」を学ぼうと「外」に出るようになった。障害者運動、施設でのボランティアを始めるようになって夫から言われた、「お前らが働いたって世の中変わらへん」。その時は、はったりをかました、「私、世の中を変えてみせるから」と。 あれから十数年の歳月が過ぎ、夫とは離婚した。「チャレンジドにも仕事を」と思い、非営利団体の「プロップ・ステーション」を立ち上げ、「チャレンジドにとって大きな武器になる」とコンピューターに目をつけ、持ち前の度胸と”厚かましさ”でひたすら行政、企業に助成を申し入れた。「チャレンジドが使えるコンピューターは誰にでも使えるコンピューターである」ーあのビル・ゲイツ氏が関心を寄せるなど大手コンピューター会社が次々と「プロップ」の輪に加わってくれた。98年9月、「プロップ」は社会福祉法人となった。 「障害を持つ人びとが支えてもらうだけでなく、自分でも何かできると考え始めたこと自体に意味があると思うんですよ。そんふうに個人の発想を切り替えることと、それを可能にする制度生み出していくことと、この両方が大事だと思う。わたしが審議会などに出ていく目的もそこにあります。女性の問題でも同じじゃないかな。介護は女の仕事と男も女も思っていたのを、女性自身が『私だけじゃできない』と叫び、発想を変えていく。そして介護を社会の問題としていく。そしたら制度も変わる。女性が変われば、社会や制度が変わる速度って、もっと速くなると思うな。実は旧労働省で私たちの活動を最も応援してくれたのは、優秀な女性官僚たち。霞が関のなかで子育てしながらキャリアを積み重ねていく苦労を、チャレンジドが働くうえでぶつかる壁と重ね合わせて考えてくれたんだと思う」 珠玉のことばの最後に「彼女らはいつもオシャレできれい。私みたいな国会行くにもジーパンの、コテコテの現場の人間と、これも両方必要なのよね」とオチをつけるのを忘れない”ナミねぇ”だった。 |