PropStationでは障害者のことをアメリカで出来た言で ”チャレンジド”と呼んでいる。
文字通り生まれながらして神様 より挑戦することを与えられた人たちという意味である。
残念ながら僕はそういう意味ではチャレンジ社会的には中途採用なのだが、これも神様から 与えらた試練なのであろう。
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しかし神様からの挑戦以外にも、自らの力で一般社にチャレンジしていこうという
コンセプトで立ち上がったのがPropStationのバーチャル工房である。 僕は今バーチャル工房に入って一番日が浅いのもあって、やることなすこと勉強の毎日。
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元々バーチャル工房自体が次々に新しいアプリケーションや最先端の技術を駆使して作品の
クオリティーを高めていくという使命があるので常に勉強は欠かせないのだが、その中で 学んだことを自分の実にしていくにはやはり自分自身の中にチャレンジ精神があるかどうかに
かかっている。正直言って面倒に思うこともある、今やアプリケーション1つをとって見ても アップグレードの期間がだんだん早くなってきている。それだけ技術革新が早いのだから
仕方ないと言ってしまえばそれまでなのだが、同じアプリケーションですらインターフェイスが 少し変わるだけで取っつきにくくなる、ついつい前のバージョンに頼りがちなことが多々ある。そこに新しいアプリケーションともなると辟易してしまう。
しかし最新の技術を会得してしまえば それだけ作業効率も上がるし、作品のグレードも上がってくる。そこには誰でもウマク 作れてしまうと言う別の懸念もあるのだが、それはそれで自らのレベルを上げていくしかない。
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こうやって様々な面でチャレンジ・チャレンジの連続なのだが楽しんでしまえばいいのだ。
仕事をすれば仲間もできるし、新しい出会いもある、なにより”やりがい”というより”やりごたえ”、 ”生き甲斐”と言うより”生きごたえ”、どんどん人生にハリが出来てくる。
僕は最近思うのだが、なにも障害者だけが神様からチャレンジを与えられているわけではない、 きっと誰でもみんなそうなのだ。ただその量がほんの少しみんなより多いだけ。
その分あきらめなければならない喜びもあるだろうが、逆に大切なモノを失わずに済んだり 違う楽しみを得ているんだと思う。チャレンジドなのだから挑戦すべき事が多いのは当たり前と
受け止め、レッテルやコンプレックスと呼ばれているモノをいかに自分の肥やしにしていくかに これからがかかっているように思う。これを読んで負けず嫌いな印象を持つ人も当然いるだろうが
賛同し、共感を持ってくれる人も少なくないと思う、それだからこそ今日僕はこうして 頑張っていられるのだと思う。 |