2001年12月15日、京都の向日町駅からJRに揺られていた。車窓から、知らない街の風景が流れるのをぼんやり見ていた。夜型生活の悪癖で朝は苦手。はれぼったい目をショボショボさせながら駅名を注視する。車内放送が聴こえないので居眠りはできない。目指す行き先は、神戸市六甲アイランドにある、社会福祉法人「プロップ・ステーション」。
◆私は中途失聴のライターである
中途失聴とは、「人生の途中で聴覚障害になった人」という意味。そう、私は耳が聴こえないライターなのだ。
以前、同じ仕事をしていたときには、普通に聴こえる「健聴者」だった。地元、北九州市のタウン情報誌を発行している会社に勤務し、活き活きと働いていたが、激務続きで体調を崩したこともあり、結婚を機に退職した。(現在は残念ながら再びの独身)。その後、フリーライターとして、観光ガイド本の取材執筆、広告関係のリーフレット制作、印刷会社の校閲、オペレーターなど、したい時に好きなだけ仕事をしていた。それなりのスキルもあったので、時給や職場環境の良さで比較し、自分で仕事を選べていた。
人生には予想外のことが起こる。原因不明で聴覚障害になった。電話ができない。人とうまくコミュニケーションがとれない。心理的にも不安定になり、好きな仕事は諦めた。視界に入ると辛くなるので、大切にしていた資料も全て捨てた。電話ができないのではどうしようもないと思った。選べるほどあった仕事もピタリと途絶えた。周囲も、もう取材などの仕事は無理だろうと考えたのだろう。無理もないことだと思った。
しかし現在、わたしは、家計簿応援サイト「とくっち.com」のコンテンツの1つ「とくっちボランティア」を担当しており、隔週で連載コラム(小椋知子のボランティアコラム)を書いている。
連載のネタを考えていたとき、以前から気になっていた、プロップ・ステーションのサイトを見た。
オフィシャルサイトで、代表「ナミねぇ」の画像を見ると、いかにも関西風のおばちゃんが笑っている。いいぞ、いいではないか。二十歳の頃、とてもかわいがってもらったスナックのママを思い出していた。きっと「他の人にパワーを与える人」なのではないか?と感じられた。著書、「プロップ・ステーションの挑戦」を取り寄せて読んだ。この人に会ってみたいと思った。
その後、取材の申込みをし、OKをもらった。そして今日、会える。
ここプロップのスローガンは、「チャレンジドを納税者にできる日本!」だという。これはなかなか刺激的、挑戦的だ。一般の人がまずこれを見たとき、「そんなことできるわけないだろう」「どうやって?」と思うのではなかろうか?
自分が障害者の立場になってみて、愕然としたことがある。スキルはあっても、以前と同条件では仕事に就けないのだ。仕事先も極端に少なく、人とのコミュニケーションを必要としない単純作業が殆どだ。しかも以前と比較すると悪条件になってしまう。
「あなた、電話さえできたらねえ」。
ハローワークの職員の言葉だ。
パート扱いで勤めた会社は「うちは障害者に理解があります、聴覚障害者を雇用したい」とのことだった。だが、実際は、休憩時間も無く、昼食時間は僅か15分。普通に仕事をしていても、「うちは障害者を差別しません。普通のパートと同じ時給です」などと、わざわざ言われた。一日中黙ってパソコンに向かい、黙々と入力をし続けた。高速入力で知られている親指シフトでのタイピングだが、「入力が遅い」と言われることすらあった。だが、「ろうあは喋らないからいい。仕事が早い」とよそでは言っていたそうである。
生まれて初めて「差別」が何であるのかを、自分のこととして知った。最終的には理不尽な理由でいきなり不当解雇された。
何で私がこんなメに遭わねばならないの?という気持ちが無いといえば嘘になる。あまりにも嫌な体験をしたので、一時的に人を恨んでしまったぐらいだ。
障害を持ったというだけで、以前の私とどこも変わっていない。だが、この環境の変わりようはいったいどうしたことだろう・・・。悔しい。だが、諦めるしかないのだろうか。焦燥感が襲った。
しかし、神は見捨ててはいない。その会社を不当解雇されたことは幸いとなった。ひょんなきっかけから数年ぶりにライターに復帰するきっかけがやってきたのだ。「あなたの聴こえのハンディは知っていますが、連絡も仕事も全てメールだけで可能だと思います。そんなことより、私は経験者を探していました。仕事を手伝ってもらえませんか」。
東京在住のライター、橋本潤子さんからのメールだった。
パソコンとインターネット、メールを活用すれば、電話ができなくとも再びこの仕事が出来ることを知った。実際、再開した仕事において、聴こえに関するトラブルは何も生じなかった、ホッとすると同時に、私は生き返る。「諦めていたけれど、もう一度、好きな仕事が本当にできるのだ」。
兵庫県神戸市にある『社会福祉法人プロップ・ステーション』は、IT(情報通信技術)を活用して、チャレンジドの自立と就労を支援する社会福祉法人である。私も、パソコンやインターネットをフル活用することで、聴こえのハンディを補い、仕事をしているため、活動内容は想像に難くなかった。
ITを活用することで、仕事ができないと思われていた人の中にも、実は素晴らしい仕事ができる人がいることを証明している場所なのだろう。仲間を見つけたような気分でわくわくする。
「チャレンジドを納税者にできる日本!かあ・・・」。
つぶやきながらJR線を降り、六甲ライナーに乗り換える。平日の午前中だというのに、関西独特のおしゃれテイスト(よーするにラメとか入っていて派手)なオバちゃん達が妙に多い。観光にしてはちょっと変だな?と思っていたら、プロップの入居しているビル内で、正月番組の収録が始まるところのようだった。「正月番組!おばちゃん1,000万円争奪戦!」みたいな番組名に笑わせてもらった。おおこわ、これから“戦う”皆さんだったのね。
◆プロップというのは「支え合い」という意味
−challenged(チャレンジド)って?-
challenged(チャレンジド)とは、障害を持つ人を表す新しい米語「the challenged」が語源。「神から挑戦という課題やチャンスを与えられた人」を意味しており、「障害を持つがゆえに体験する様々な出来事を、自分自身や社会のためにポジティブに生かして行こう!」という想いも込めた呼称だそう。うーん、諦めてふさぎこんでいたところに、こんな言葉を教えられたら元気になるだろうなあ。「だからオマエも頑張れよ」と、背中をたたかれているような気がする。
プロップ・ステーションへ到着。体格に不釣合いな荷物をずるずる引きずっての登場となった私を、竹中理事長が迎えてくださった。「初めまして」のご挨拶。事前にメールでお話をさせていただいた講師のみなさんともご挨拶。
午前中は、「グラフィック中級セミナー」の様子を見学させていただいた。
まず、メイン講師の菊田さんが、宿題の提出を求める。宿題は、「HP制作をするための企画書・サイトマップ・サイトコンセプト・ターゲットは誰か?」など。これは、実際のHP制作をする上で、必要な不可欠な要素である。宿題は、数点提出する人もいるが「忘れました」と言う人もいた。忘れた人には、なぜ忘れたのか、理由をしっかり尋ねている。
講習は、「実践に沿った内容を心がけている」とのこと。仕事ができるようになることを目標としており、趣味のパソコン教室とはさすがに雰囲気が違う。実技習得の目的で、作品の提出は、毎週数点求められているらしい。しっかり「仕事がしたい、覚えよう!」という意志が無いと、ついていくのはなかなか厳しそう。サブ講師として、ボランティアの方が複数名来られており、筆談で話をうかがうことができた。
セミナー終了間際、神戸の要約筆記サークル『西宮ペンの会』の、三浦さんと大崎さんが来られたので、インタビュー時の打ち合わせを始める。と、三浦さんが「わたしあの方(ナミねぇ)知っていますよ、私のことは覚えておられないかもしれませんが」。竹中さんが、かつて西宮で活動されていた頃があったから、ということだった。
この取材時には、神戸の要約筆記サークル『西宮ペンの会』が、私の派遣要請に応えてくださり、ほんとうに助かった。関西地域の要約筆記は、全国的にもいち早く広域派遣制度に取り組んでいて、「関西に居住していない地域からの難聴者の要請にも応えよう」ということから、現在試みられている。
関西では、利用者側の立場に立って考えてくれることを知り、とても嬉しかった。
通常、通訳派遣は、住んでいる地域の人しか利用できないことが多いのだ。
要約筆記とは、主に手話がわからない難聴者のために、音声言語を要約しながら文字化する情報保障手段、つまり「書く」通訳技術のことである。
私は毎度毎度、通訳者の手配には非常に苦労をしている。理由は後ほどお話させていただきたい。
◆私の仕事は、沢山の方にプロップの活動を知っていただくこと
小椋: プロップ・ステーション発足のきっかけを教えてください。
竹中: 私は、重度心身障害児の娘(現在30才)を授かったことから、日々の療育のかたわら、障害児医療・福祉・教育について独学し、challenged(障害を持つ人)の自立と社会参加を目指して活動を続けてきました。
手話通訳・視覚障害者のガイド・重度身体障害者通所施設での介助と介護・おもちゃライブラリーの運営・痴呆症の方のデイケア・障害者自立支援組織メインストリーム協会(西宮市)事務局長など、さまざまなボランティア活動を経て、1991年5月メインストリーム協会内に就労促進部門として「プロップ・ステーション」を設立するに至りました。翌92年4月、大阪ボランティア協会内に事務局を移転し代表に就任。98年9月に、厚生大臣認可の社会福祉法人格を取得して理事長に選任されました。
長女は現在、兵庫県小野市にある国立療養所青野ヶ原病院の重症棟に入院しており、病棟の皆さんの温かい看護を受けて過ごしています。私は病棟の皆さんをはじめ、ご支援下さる多くの方々に感謝しつつ、プロップの活動に励む毎日です。
小椋: たくさんの大企業や著名人が支援者として名前を連ねておられ、月並みな言い方ですけど、すごいですね。
竹中: 私の仕事は、沢山の方にプロップの活動を知っていただくこと。名前の挙がっている企業は、プロップのセミナーを応援してくださっているところです。技術やハード、ソフト、セミナー会場など、いろいろ提供していただいています。これらの企業の全てが仕事を出してくださっているわけではなく、プロップの活動を応援してくれているという意味です。中には仕事をいただいているところも勿論ありますが、全部がそうではありません。
◆全国にいる、在宅ワーカーのチャレンジドたち
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セミナー風景
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小椋: 在宅でお仕事をされているチャレンジドの皆さんは、何人くらいおられますか?
竹中: 現在、全国で約100名のチャレンジドが在宅で働いています。
プロップで受注している仕事の大きなものは、行政や自治体関係が多いです。
現在取り組んでいるのは、大阪府の数十万件のデータ入力です。今年の春から公募形式に取り組み、オンラインで入力者の募集をしました。まず、データを振り分けるディレクション的な仕事をする人がいて、スタッフそれぞれに仕事を振り分け、出来たらメールで戻してもらって、その内容(精度)をチェックしています。
小椋: 採用にあたって、審査の基準となったものは何でしょうか。
竹中: オンラインで仕事をしますから、居住地は問題ではありませんが、
・メールが使えること。
・パソコンの基本的操作ができること。
・インターネットが使えること。
要するに、パソコンがインターネットに繋がっていればOKです。
入力で使用するエクセルのフォーマットは、こちらから送っています。OSは、ウィンドウズを使われている方が多いです。
小椋: お仕事は順調に進んでいますか?
竹中: ミスをチェックする体制を整えていますが、何度もミスする人はお仕事を中止して戴きます。正確に仕事をするということ、仕事のグレードを維持するということは何より重要ですから、皆さん、ゆっくりだけどキッチリ責任を果たせる人になって戴きたいと思います。
◆アート系グループ「バーチャル工房」
-HP制作やCG制作などを手がける-
小椋: HP制作や、コンピューターグラフィック制作などで活動しているアート系の「バーチャル工房」というグループがあるそうですが、メンバーになるためには技量の基準などがありますか?
竹中: グレードもそうですが、先ずはセンス、個性などが重要です。
バーチャル工房のメンバーは、現在7〜8名で、人数は今後増えてくると思います。
グラフィックコースを勉強した人達は、これまで累計約200名くらいでしょうか。プロップのセミナー全体では約500名位の人たちが参加されました。ソフトのバージョンアップなどがあれば、バーチャル工房のメンバーは全員集合し、ここで一緒にレッスンを受けます。
小椋: グラフィック中級コースの講座を先ほど見学させていただいたのですが、実践に則した内容で中身が濃いですし、一度の受講だけではなかなか習得が難しいのでは?と思ったのですが。
竹中: プロップの講座は、初級でも中級でも何度でも繰り返し受講OKです。
例えば、中級セミナー受講に至るまでに、初級を4〜5回受けている人もいるんですよ。自分が納得できるまで、わかるまで何度でも繰り返し受講OKです。
小椋: 私も近かったら受講したいぐらいですよ、うらやましい・・・。
竹中: 羨ましいでしょ!(笑)
中身は非常に濃いです。実践を意識した講座内容に重点をおいていますので、本に載っていないことや裏ワザまで教えますから。
小椋: 実際には、会社に入って実作業をしながら独学をするとか、先輩や仕事仲間などから少しずつ教えてもらうような内容も講座に含まれているように感じました。
竹中: うちのセミナーをいろんな企業の研修担当者が見学しに来られるくらいです。ここを卒業した人なら外に出せるんです。ここまでやっているところはなかなか無いのではないかと自負しています。
ブロードバンド化がもっと進めば、完全オンラインの状態で勉強をすることが可能になります。あと2年後には、全国どこからでもオンラインで受講できるような体制をつくりたいと考えていて、現在、総務省の実証実験にNTT−Xさんと共にプロップも参加しています。
◆「あなたの会社の製品のユーザーと、あなたの会社の仕事ができる一流の仕事人を育てますから、育てるところから応援、先行投資をしてください」
-マインド(意志)のある人には、ピタリとわかってもらえます-
小椋: お金がかかる活動ではないかと思うのですが、財源はどうされているのでしょうか?
竹中: お察しの通り、大変お金がかかる活動です。でも、認可を下さった厚生労働省からの補助金はゼロ。一円も貰っていません。
小椋: えっ?一切無しですか?
竹中: そう。私たちの活動は補助金の対象外なんです。社会福祉法人には一種と二種があって、一種は福祉施設などが対象で措置費等の補助金が出ますが、二種は自分たちで運営を賄わねばなりません。ですから、NPOと呼ぶ方が分かりやすいかもしれません。
支援者として企業の名前がたくさん紹介されていますが、すべて私たちの活動を何らかのカタチで応援してくださっています。最初は自分たちでお金を拠出して活動を開始し、何年かは持ち出しが多かったですよ(^_^)
小椋: どうやってこれほど多くの企業の支援を取り付けたのですか?秘訣みたいなものは?
竹中: うふふ。「口」ですよ、この「口」。それと世界一図々しい「鉄の心臓」だと言われています。「苔が五重に生えてる」とか・・・ははは。
殺し文句があるんです。「かわいそうな障害者にパソコンをくださいとか、彼らに仕事を与えてください」などとは絶・対・に、言わない。
小椋: ではなんと?
竹中: 「このセミナーから、あなたの会社の製品のユーザーと、あなたの会社の仕事ができる一流の仕事人を育てますから、育てるところから応援、先行投資をして欲しい」と、訴えるんです。
センスのある頭のいい人、マインド(意志)のある人になら、ピタリとわかってもらえます。
私が30年間いろんな福祉活動を経験してきて感じたのは、日本では、障害者には「してあげる」という考え方の人がとても多い。私はそういう人たちとは付き合いたいとは思わないし、また、プロップの応援者にはそういう人はいないんです。ボランティアさんも、福祉に長く携わっている人には、できるだけ入ってもらわないようにしているんです。
小椋: それはどうしてですか?
竹中: プロップがボランティアの方に求めるのは、まず「コンピューターが好きな人」。
うちのセミナーは厳しいので、福祉に長く携わっている人は「障害者は保護してあげないと」という人が多くて「セミナーが厳しすぎる」「何でこんなに厳しいの?」と言われちゃうんですよ。
小椋: なるほど、何となくわかります。実際、先ほどのセミナーを拝見していても、ついてこれない人には容赦ないですよね。フォローはしていても、厳しいというのがわかりました。そして、やる気がある人にはとことん教えている。でも、「仕事ができるようになるのだ」という目標がしっかりあるので、当然かなと思えました。
むしろ、私は講座の内容がとても実践に即していることに驚きました。宿題の内容にしても、仕事上では当然といえる課題で具体的だったからです。会社に入らなければ取り組むことがないような課題でしたから。
竹中: 善意や同情などではなく、「勉強したい人がするのだ」という考えですから。
うちが教えたいのは、本人が勉強しよう、したいという強い意志のある人。個人で申し込んだ人。自分の意志で申し込んだ人。例えば、お母さんから相談の電話があっても、必ず本人に意思を確認しています。
それに、「障害者の自分が講座に参加できる場所はここしかない」というケースが多いんです。今日のセミナーの受講生である電動車椅子の男性は、福井県からお父さんの運転で片道3時間かけて通ってきています。現在でこのコースの受講は3クール目になりますね。
私は道具や支援者を揃えてくるのがまず大切な仕事。
そして、教える人がいたら講座がスタート出来ます。予算をチェックする人も、大切な仕事を担ってくれています。とにかく、私たちの活動資金はかなりかかるので、私はこの関西ノリの「口」で押して乗り込んでいきますが、それをきちんと管理して組織運営をしてくれる人が重要なんです。「ナミねぇが広げた風呂敷を、きちんとたたむ人」というか・・・(笑)
基本的にこの活動はボランティアで、スタッフ数名(大半はアルバイト)のみ有償です。スタッフの半数以上が、プロップでスキルアップしたチャレンジドで構成されています。
◆メールでの相談事業もしています
小椋: ふと気になったんですけど、竹中さん自身の生活費というかお給料は?
竹中: 全国にプロップのことを講演しに行くので、講演費で何とかやりくりしています。講演といっても、プロップの活動についてお話しし、プロップのミッションを伝えるということなので「営業活動」でもありますけど(笑)。オフィスにいる時は、メールでのご相談に応じる仕事をしています。年間1,500〜2,000件のメールにお返事を書いてます。講演は、うーん?平均すると月3〜4回でしょうか。
小椋: ほぼ毎週じゃないですか、ハードですね。プロップのホームページで、竹中さんのスケジュール表を拝見すると、あまりにもハードすぎて、どうやって健康維持をされているのだろう?と、心配になったほどです。
竹中: その割りには太るんですよね〜、何でこんなに太るんやろう?(笑)
講演で多いのは、自治体職員の研修、学校、福祉施設、企業の社員研修などです。最近では人事院などもありました。
在宅ワークにおいて、重度障害の人は体調に合わせて仕事をします。例えば春と秋ならバリバリやれるとか、一日2〜3時間ならやれるとか、体調に合わせて仕事をするわけです。そして、プロップが仕事のコーディネートと進行管理、契約等を担当しています。ここがプロップの腕の見せどころ。ただし、健康管理だけは本人にしていただく。
今年から、神戸市と一緒に「世界一 ユニバーサルな街づくり」に取り組むことになったんですが、こういう長い期間をかけて作っていく仕事は、行政と一緒に行います。また、女性の国会議員の皆さんで構成された政策提言協議会の中に「ユニバーサル社会の形成促進プロジェクト・チーム(PT)〜チャレンジドを納税者にできる日本〜」(座長:野田聖子衆議院議員)も発足し、政と民のネットワークも動き始めました。プロップのミッションを実現するためには、産官政学民の幅広い分野で実践が必要だと思ってネットワークを広げてるんですが、「つなぎのメリケン粉」ナミねぇにはぴったりの仕事だと思ってます(笑)
政治家や省庁の官僚さんたちを「ちょと違う世界の人」と思う人が多いみたいですが、私にとってはお客様=営業先なんですよ。ですから誰にあっても「お仕事ください!お仕事ください! チャレンジドが働けるようにして下さい!!」(笑)
◆『時代の風が吹く時がある』
-阪神大震災をきっかけとして-
小椋: 現在、プロップは活動が注目される有名団体になっていますが、これまで順調に歩んできたのですか?
竹中: あのね、『時代の風が吹く時がある』んですよ。
1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災が、私たちにとって大きな転機をもたらしました。
6,432名もの方々が亡くなるという、大変悲痛な出来事でしたが、亡くなった人たちのためにも、私ら神戸大好き人間はきっちりやらなアカンのちゃうか?という強い意志を持てたと思います。
その後プロップを取り巻く社会状況の変化を見ると、やはり『時代の風が吹いたんやな』と思います。
震災前は、NPOは行政のいろんなところで意見を言ったりメンバーには入れなかったんです。
ところが、あの震災の時、公務員は主体的な行動が殆どできなかった。声をかけ、具体的な助け合いの中心になったのはボランティアだったんです。総理大臣も長時間、気が付かなかった。国家としての危機管理が出来ていなかったんです。そして多くの公務員たちの自信が揺らいだんだと思います。震災以後、実際の現場で活動の中心となっている人たちの生の声を聞こう、という考えに変わったのはそういう訳じゃないかと私は思っています。「ボランティア元年」なんて言われたし、NPOという言葉が世に広まったのも震災以降ですから、震災はある意味「国民の自治意識を呼び覚ました」と言えるんじゃないかな。
私も、さまざまな委員や講師を委嘱されてますが、全部、震災後のことなんですよ。
■現在、竹中さんが携わっておられる委員、講師など
小椋: 本当に、みごとに全部1995年以降ですね。
追い風を待つ、時を待つ、「待つ」ということはポイントかもしれませんね・・・。
竹中: やたら焦るとミスをします。焦る必要は無いんですよ、必ず時はきますから。
私の性格は行け行けドンドンですよ、でも押すんじゃなくて、盛り上げ役。関西人のノリで盛り上げるんです。「なんやわからんけどナミねぇに乗せられて、でも乗ってみたらえらい楽しかった」そういう場所にしたい。乗った人が楽しい思いをするようにやっているんです。
言うてみれば座持ち役ですわ(笑)
◆「プロップを自分の活動の中に生かすという約束ができる人」じゃないと載せてあげない(笑)
-名前だけ貸してもらうなんてのは要らない-
小椋: 支援者の顔ぶれもすごいですよね、今回、取材を申し込むのに気後れしたぐらいです。
竹中: 名前や顔写真が載っている人は、無報酬であることが条件です。尚且つ、大事な約束ごとがあって、「プロップを自分の活動の中に活かすという約束ができる人」じゃないと載せてあげない(笑)名前だけ貸してもらうなんてのは要らない。だから、プロップがイベントをする時は、みいんなボランティア。でも、参加した人たちはみんな楽しそうですよ(笑)。ですからイベントをする時も手作りです。
毎年開催している「チャレンジド・ジャパンフォーラム国際会議」も、某大手広告代理店の見積もりでは3500万円必要だと言われた。「やらして」と言われたから、「ボランティアでならさせてあげる」と言いました。勿論、断られましたけど、ははは。
小椋: 某大手広告代理店さん、ボランティアでしたらよかったのに(^^;)
竹中: とにかく、みんなにボランティアで参加してもらう。「ここであんたの言いたいことを言わしてあげるよ」って呼び出すんです(笑)。
宮城の浅野知事は「この会はボクが出なくちゃ始まらない、ダメ!」と自分で言っていましたよ。誰も言うてへんっちゅうの(笑)こんな感じで、参加する人自身も楽しむことが大切。で、最近はプロップ・ステーションではなく「はまったら抜け出せない、ドツボ・ステーション」なんて言われてます。
それからね、お金が無いのは逆に強いんですよ。世の中でマイナスと思われていることや、コンプレックスは考え方さえ変えたら全て武器になる。開き直ってしまえば、怖いものが無いんですから。
私はプロップを実験プラントだと思っています。NPOが実験プラントで成功事例を生み出して、それを次は社会システム(制度)に落とし込んで行く・・・そういうステップを踏んで社会を変えて行くと「無血革命」が出来るんですよね(^_^)
◆あと2年後を楽しみに見ててや、ガラッと変わります
-言うてみれば、あなたも私たちも一緒-
小椋: これから仕事をしたいと願っているチャレンジドの皆さんにメッセージをお願いします。
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セミナー風景
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竹中: 在宅ワークはパソコンを使います。インターネットでやりとりが出来ることが最低
限のハードルです。そこまでは何としてでも勉強する。まず、メールのやりとりが出来るまでを最初の一歩として勉強してください。
次に、アート系に進むのか、事務系に進むのか、自分に向いていそうな方向を選びます。選んだ道一筋にずっと勉強する人と、実際に勉強してみたことで、自分に何が向いているのかがわかって変わる人もいます。両方を一緒に勉強する人もいます。
いろんな勉強をしている間に、自分に本当に向いていることが何なのかがわかってきます。反面、自分が何をしているのかが分からない人は、仕事はできません。
そして、仕事をしながらワンランク上の勉強をさらに始めていくんです。
チャレンジドは、見えない、聴こえない、動けない人たちが大勢いるから、全員が集まって一緒にというのは無理。でも、連絡事項などはメールでやりとりをするので聞き漏らしというのは無いんです。パソコンは活動をしていく上で最大の道具。
プロップでは、もし停電になっても自家発電が出来るように整えてあります。
ところで、小椋さん。
小椋: はい?
竹中: あなたは聴こえなくなって、一旦は諦めていたライターの仕事にふたたび復帰した人ですよね。
聴こえなくなったあなたが仕事を続けていく上で、いったいどんな道具を使うのか、どうやって仕事をしていくのか、そのノウハウはあなたが生み出さなくてはいけない。あなたの後に続く人のために、あなたの後に続く人を見つけるために。
小椋: はい。
漠然とですがそれはいつも感じています。記録として残すべきだと思うし、「伝える」という仕事をしている上で、やるべき仕事でもあるんじゃないかなと思っていて。
聴覚障害という立場、障害者とはどんな経験をするのということは、自分がこの立場にならなければわからなかったことが山ほどあります。毎日が新しい経験といっても過言ではありません。
竹中: 立場もそうだし、その場面に実際になってみて、初めて気付くんですよね。
最初の一人はそらもう大変、チャレンジャーやし、開拓者なんやから。
プロップはいつも最初の一人。だからここまで活動を続けてこられているんです。
言うてみれば、あなたも私たちも一緒。
小椋: 私もチャレンジドの一人なんですよね。
竹中: そうそう(笑)。
障害者が働くことを支援している法律は、法定雇用率の1.8%。この数字は、障害を持つ社員を雇ったときに初めてカウントされます。プロップのしていることはフリーランスの仕事、請負、アルバイトの形だから、この数字にはカウントされません。日本の法律では通勤の正規雇用しか応援できない仕組みなので、ここを変えたいんです。
とにかく、プロップの活動を地道に続けていくことがまず大切で、これが有効だと思った時に法律や制度を生み出していく。今までは古い法律が生きているから、法律を変えたい。しかし、どう変えるのか?そのためには実際の見本が要る。その見本がここプロップ・ステーションなんです。実際に見せることが大事。
「こんな仕事がしたい」という、考えを持った人たちが集まっています。
やりたい事は人それぞれ。みいんな違う花がある。社会の常識とは違うかもしれないけど、自分自身の花を咲かせるため、道具を探すためにプロップに来るんです。パソコンはそのための道具。踏み台にすればいいんです。算数や国語もすべて同じ事。自分のための道具だと思えばいいんです。
あと2年後を楽しみに見ててや、ガラッと変わります。
「ヤルデー!!」
小椋: (拍手)パチパチパチ。私もお手伝いできることはしたいです〜。
竹中: エッセーとか機関紙に原稿かいて! ボランティアで(笑)
小椋: はいっ(笑)
◆マイナスをマイナスではないのだと考えること。
小椋: とても行動的に思えるんですけど、何でそんなにお元気なんですか?
竹中: うーん、悩みが無いからかな?ノー天気なんです、私は。自分にとって楽なことしかしないから。
小椋: 楽なことしかしない?
竹中: そう。
自分が楽なように生きていく方法を考えるんですよ。マイナスをマイナスではないのだと考えること。
私の娘は重度心身障害者。みんなから、「かわいそうかわいそう」って言われたんで、本当にそんなにかわいそうなん?かわいそうだけではないやろ、という考えにまずなるんです。そう考えるためにはどうすればいいかを考える。楽天的なんですよ、根が。
私はね、若い時、すっっごい不良やったんです。子供の時から道に外れていたから、人と違っていてもそれで当たり前。家出が趣味で幼稚園のときから家出して土管で寝ているとか、そんな子やったんです。勉強?大嫌い。勉強が嫌いで悩む人の気が知れない。嫌いなんやったら、せんかったらいいやん(笑)。
小椋: (笑)
竹中: 自分が「必要」と感じたら、その時は誰でも自分から勉強を始めるんやし、そうやって勉強したことが一番実になるしね(^_^)
◆「こうすればできる」を見つけていきたい。
神戸での取材の後、東京へ向かう新幹線の車内で、「マイナスをマイナスではないと考えること」というナミねぇの言葉がずーーっと頭に残ってリフレインしていた。自分のマイナスや壁を感じたとき、どう発想を変えるのか。ここが大切なポイントなのだ。
「あれができない、これもできない」と思えば、そこで終わってしまう。だが、「どうしたらできるのか?」「こうすればできる」を見つけたいと、私もいつも思ってきた。
私の中で、いつの間にか「竹中さん」から「ナミねぇ」に変わっていた。
冒頭で、「私はいつも通訳者の手配には非常に苦労をしている」と書いたが、自身のことで申し訳ないけれど、少しお話させていただきたい。
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左右は通訳者
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手話通訳も、要約筆記も、公費派遣制度においては、「個人の利益に関わることには協力しない」という決まりがある。つまり、少しでも個人の仕事(利益)に関わるものには、公費での通訳派遣制度は利用できない。
だが、例えば、就職のための面接には、公的通訳を依頼できる。会社に勤務していて、聴こえないことから発生するトラブルが起きた場合などにも応じてくれている。
でも、私の場合は会社勤めではなく、フリーランス、自営業だ。こうなると、聴こえないことからトラブルが発生しても応じてもらえない。
これは特に手話通訳で厳しいように感じられる。通訳派遣制度は、あくまで、「福祉」のものであると現行では考えられ、規定されているからだそうだ。
公費派遣が駄目というのは、まあわかる。ところが、ボランティアでも応じてもらえず、障害者本人がお金を払ってお願いするというのも駄目なのだ。
じゃあ、いったいどうすれば?ただ困っていなさいと突き放されている感じがしてしまう。時には、「仕事なんかしなくていいから、家にいなさい」と、言われているような気になることすらある。
また、政治や宗教に関わるものには、一切応じられないという決まりもある。特定の政党や宗教を支持できないからだということだった。
聴こえていれば、べつに特定の政党や宗教を支持していなくとも、一般的な知識欲や好奇心から、それらの情報を耳から得ることは自由だった。だが、いまはそれも無理。通訳者が通訳することを禁じられているからだ。
これらは、さまざまな事情や福祉運動の歴史があるからであり、このような状況になってしまっていることも多少理解はするが、情報から遮断されていることについては、やはり納得がいかない。
聴こえる人と、聴こえない人とで、こんなに得られる情報量に差があっていいのだろうか?
それでは、聴覚障害者は、病院の初診や、役所への用事、学校の懇談会等、通訳派遣が認められているもの以外のことで困ったとき、いったいどうしているか?
結局、「こっそりウラから個人的に頼んでいる」という状況になっているのだ。正攻法でお願いも「できない」し、こっそり個人的に通訳者に頼んでいることがバレたらそれこそ大変だ。頼んだ自分も、気の毒だからと応じてくれた通訳者にも迷惑がかかってしまう。でも、やっぱり聴こえないのだし、個人的な知的好奇心や知りたいことも当然あるから、こういう現象がおこる。
実際、私も「あんた真面目ね、こっそり頼めばいいのよ」といわれたことがある。でも、私は、隠れてお願いするようなことはしたくなかった。何でこっそり頼まねばならないのだろうと、モヤモヤするからだ。
その点は、要約筆記のほうが「困っている聴覚障害者を助けよう」という考えからなのか、事情をきちんと説明すれば、「ボランティアで結構ですよ」ということで来てもらえている。交通費や連絡等にかかる事務手数料が発生する場合は、お支払いをさせていただいている。
取材での通訳が終わった後、「これからもお仕事頑張ってね、難聴でもこんな仕事ができることを証明してみせてね。利用者がいろんな気を遣わずに通訳が依頼できる日が来るように、わたしたちも頑張るわ」と、いわれたときには本当に嬉しかったし、涙が出た。
前例の無いことをやろうとすると、さまざまな現行制度の障壁があり、出鼻をくじかれるというか、そんな思いがいつもしている。
日本でも、「アテンダント」(米国などで一般的な、有料サポート)という考え方があればいいのに。
「ケアの必要なときには適切なケアを、働く意欲のあるときには就労のチャンスが得られるという柔軟な社会システムを生み出すことこそが、日本のすべての人の課題ではないかと思います。齢をとったらみんなチャレンジドやから」と、ナミねぇ。
ひとつひとつの言葉と瞳に、不思議な強い説得力があり、いつの間にか、ぐいぐいナミねぇの世界に引き込まれていった私がいた。
この取材を通じて確信したのは、やはり本人の強い意志、やり方、ハンディを補うための道具や技術、なによりそれらを得るためのチャンスさえあれば、仕事ができる障害者は潜在的にもっとたくさんいるはずなのだ。障害者には、最初からそのチャンスが奪われている気がする。「この人はせいぜいこんなもの」と周囲が決め付けているような気がする。さまざまな福祉制度の規制の枠から抜け出せないこともある。
期待されないと、人間は自信が無くなる。誇りを失う。
だが逆に、「自分にもこんな能力があったのか」とわかったときには、予想以上のパワーが出たりすることもあると思って
いる。
プロップ・ステーションに行ってよかった。新しい出会いから得るものは大きかった。
私もチャレンジドの一人として、前例のない道を開拓していけたらと思う。収入的にはまだまだ低いものだが、いつかは再び納税者になれるよう、この仕事を続けていきたいと願っている。
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小椋&ナミねぇツーショット!!
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