リレーエッセイ 「チャレンジドの夢」

 貝本 充広さんの場合

バー

「CJF国際会議オープニング・ムービー顛末記」

貝本さんイラスト あれは中級セミナー(グラフィック・コース)も終わりに近づきつつあった6月末頃。空は今にも泣き出しそうで、インドラの矢が曇天の隙間より地上を狙っていたかどうかは忘れました。そんな折りに僕に仕事集団・プロップ・バーチャル工房入りの話があるという噂を小耳に挟みました。「まだまだこれからだというのに、いきなり工房入り?しかもこんなチュート(中途半端)な時期に??」・・そんな思いが僕の中に半分に分けたティッシュのように漂いました。
 実はそれにはこういう経緯があったのです。中級セミナーでの中継ぎ的授業で今話題のアプリケーションもやはりおさえておかないと、ということで”FLASH”なるものを少し教えていただきました。それはインターネット用のアニメーションソフトで割と直感的で覚えやすく、僕の五感を刺激する楽しさを持っていました。・・で、いらん事しぃの僕は”笑点”的ひとりよがり作品を数点発表しました。それが功を奏したとこの場合言うべきなのだろうか、8月8−9日に催されると言う「チャレンジド・ジャパン・フォーラム(CJF)国際会議」のオープニングムービーなどを工房で手がけるというのです、それも"FLASH"を使って。FLASH自体が出始めだったこともあって(工房の中でも使いこなせる人材が十分にいなかったと言う事も手伝って)僕がセミナーの終了を待たずしてバーチャル工房へ暫定的に参加する事態へと展開していったのです。
 僕にとっては初めての大きな仕事でした。初めての打ち合わせ、初めてのブレスト(ブレーンストーミングを略して、こう呼んでいますが、これもホンマは今もよく分かっていません・・)、初めてづくしでしたがグループで仕事をするのも初めてでした。
 今回の仕事で実制作に関わったメンバーは4人、当然僕はその一人、長い道のりの入り口だったのです。
 まず僕が混じって話が始まったのが6月の最終水曜日だったと記憶しています。共同で作品を作っていくということは、それぞれの思惑・センス・得意分野などの様々なファクターが絡まり合って大変なモノだったのです。なんにもない所から生み出すのだし、とりあえず全体の路線などが決まったものの国際会議まで一ヶ月そこそそに迫っていたし、制作は急を要するということで僕は焦りました。 サウンド・セッション部分・まとめ、と色々ある中でなんと僕は、オープニング部分を担当することになったのです。
早速家に帰って2日掛かりでオープニングイメージを作成、その次の日に路線変更=ボツ。また作りまたボツ、打ち合わせを重ねる度にムービーの完璧を目指し、その精度を上げるべく作り直しを続ける僕がそこにいました。これ以上ないという形でムービーの骨子が決まり、次はメインとなるシンボルキャラクターの案が問題となってきました。まとめ役からは厳しい注文を受け、またそれだけは譲れないと来たもんだ。しかし我ながらと思うほど例の条件を満たしたキャラクターは出来がよく、OKをもらった時の喜びはひとしおだったのをよく覚えています。
そして更にそのキャラクターに動きを与えるためのポーズを描き上げてホッとしたのは実は僕一人、その時点で会議本番は約2週間後に迫っていたのです他のメンバーの方々は寝ずの作業を強いられた人もいたそうな。特にラスト一週間は想像を絶する忙しさだったとか。そのお話はまた別のメンバーから、ここでぜひ発表して欲しいものです。


バー


戻る