リレーエッセイ 「チャレンジドの夢」

 井上 雅友さんの場合

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「本いろいろ」

久保さんイラスト 初めに断っておきますが私は読書家ではありません。また、この一文は感想文でもないのです。ただ、今まで生きて来た年月に影響受けた本のいろいろに付いて書きたいだけです。この一文には本の題名は一切出てきません。ただ著者の名前だけです。この様な本を読む人間はこう云う性格の人間だと空想して頂きたいのです。
 専門の人の名前の名も出て来ると思いますが、少し文学に興味のある方ならばお聞きなったことのある人名ばかりだと思いますので説明は致しません。尚、敬称は抜かせて頂きます。
 子供時代、我が愛読書は江戸川乱歩の「少年もの」でありました。未だにあの影響は続いているのです。高校生のときに本物の乱歩全集を読んで益々ファンになりました。かといって推理小説のファンでは無いのです。あの文章の上手さに惚れたのです。そして、次が谷崎潤一郎であり、三島由紀夫であったのです。様は嘆美主義であり、その意味では子供の時から進歩していない事になります。小説で個人の全集を持っているのはこの三人だけです。文庫では日本SF界の三巨頭の本はだいたい読みましたが、正直なところ漱石、鴎外などは数冊しか読んでおりません。他の大正、昭和の純文学(この様な言い方は好きではありませんが)は殆ど読んで居ませんし、平成の小説など無視しています。
 普通ならここで外国文学が出てきても不思議はないのでしょうが、私は殆ど読んだ事がありません。頭に残っているのはドストエフスキーとカミュぐらいで、他に何冊かは読んだと思うのですが。
 高校の頃はよく皆のかかるビョウキにかかり心理学に興味を持って、先ず読んだのが岩波新書の宮城音弥もの、今も時々買うのは河合隼雄ぐらいです。
 次が日本人論、山本七平であり、梅原猛、土居健朗、その他色々と。山本七平が亡くなって全集が出たので買おうと思っていましたが未だに買っていません。買っても読む気力があるかどうか怪しいものです。
 その他の本で大きいスペースをとっているのは仏教です。仏教と言ってもある宗派や新興宗教のものではなく、純粋に東洋哲学の学問的な学者のものです。中村 元であり、増谷文雄であります。中村 元はすこし専門的過ぎて彼の著作集を全部読もうなどと大それた考えを持つ気すら起こりませんが、何冊かは棚に並んでいます。そこから「ヴェーダ」まで行ってしまった経験の痕跡も本棚の隅に残っています。
 確か宗教に興味を持ったのは私が障害者だったからかも知れませんが、その意味においては心理学もそうですし、俳句も同じだと思っております。大阪府立堺養護学校に入学しなければ、師匠との出会いも無かった訳です。
 最後の柱は何と言っても俳句です。この関係の書物も余り多いとは言い難いのですが私の本の中では一番多く重要です。しかし、これも大変片寄りがあり、個人の全集は芭蕉と高浜虚子と石田波郷だけです。波郷については我が師であった工藤雄仙の師匠であり、虚子はご存知の通り、明治、大正、昭和の俳諧の巨人です。
 後は個人句集で師匠の句集を筆頭に何人かの友の句集が並んでいます。プロップステーションの仲間のでは石田京愛氏のもあります。そして、私の句集もそのなかの一冊として並んでいます。
 今回のカットも我が句集からの転写の私の文字です。本来ならもう少し加工してだす所ですが、私の代表句ですのでそのままの文字を御覧頂ければ幸いです。

風神の遊びて在す刈田かな  井上雅友




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