リレーエッセイ 「チャレンジドの夢」

 井上 雅友さんの場合

バー

井上さんカット「友いろいろ」

 最近、時々女性からEメールが届くようになりました。というのは大阪府堺市の養護学校時代の学友からのもので、今の学校の事や同窓会の事などが話題になるだけです、それでも私に取っては楽しいものです。
 九州に引っ越した元悪友(今は結婚して真面目そのもの)からも月一回のペースでなんのかのと言ってきます。
 卒業して二十年余、今がクラスメイトとの付き合いが一番多くなっています。
 俳句の仲間の一人に、どうしてもパソコンは性に合わないという者がいます。それはそれで立派だと思い、その男を私は一番信頼して付き合っています。念の為に言わせて頂くと、その親友は私などより遥かに頭は良い人間です。
 その男、名前を蘆田禮人と言い、俳人です。彼の若いときの俳句に

三月の友に打明けられてをり 蘆田禮人

という句があります。俳句は蘆田禮人氏の句集『孫弟子』の中の一句で、この「友」は言うまでもなく私です。何を相談したかははっきりと覚えていませんが、多分、ある女性に対する恋の悩みだったと思います。今なら絶対に相談などしないでしょうが若さのなせる技だったのでしょう。
 友達は皆、私の事を我侭でどうしようもない奴だと言います。私も否定はしません。ですが、それでも付き合ってくれるのは不思議です。友達は親鸞の「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」の心境であろうと思っています。
 俳句の友には健常者も沢山います。私は養護学校の出身で働いた経験も無いので、俳句に出会うまでは殆ど健常者の友達など居なかったのです。それが今では友と呼べる人達の半数近くが極一般の人達になりました。その友人達は不思議なぐらい私の障害にについて理解があります。理解といっても完全な人はそう何人もいる訳でもありませんが、それでも私が子供の頃から考えますと雲泥の差を感じます。良い時代に生まれたものです。
 その何人も居ない完全(ある程度)な理解者の友人の一人は大酒飲みで我が家の酒類を空っぽにして行く男ですが、一度酔っぱらって「色紙を貸せ」と言うので渡すと、その場で書いてくれたのが、

震はせつつ友の注ぎたるビールかな 福田 博

の一句です。俳句としては大した句でもないかも知れませんが、これを読んだ時の感動は今も忘れられません。その色紙はかの震災で散逸しましたが、福田氏は今も時々飲みにきては俳句を書いて帰ります。
 現在、プロップステーションの友達は、今や私にとって無くてはならぬ存在になっています。俳人と少し異質な感じは受けますが、それはそれで刺激的で知的なものです。新しい機種を買うとか、はたまた、このアプリケーションが使い安いとか言っては喜んでいます。それらの事はパソコン通信に流してプロップステーションの仲間のものとなります。これは友人が自動的に増えるということで入会当時は大変有り難いシステムだった事を覚えています。
 最後に画像の一句、

息弾ませ滝への道を駈けにけり 井上雅友


*カットは何年か前、何人かの友人と何処かの瀧に行った時の思い出をCD−ROMのフリー画像に入れて処理したものです。

バー


戻る