リレーエッセイ 「チャレンジドの夢」

 井上 雅友さんの場合

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自画像  「猿の尻尾」

 親が言うには、私が生まれて半年経っても首がすわらず、病院を何軒か回ってやっと脳性小児麻痺だと解ったそうです。幼い頃から畳の上を座ったまま移動していたので、未だに私の尻には猿のしっぽを根元から切り落としたような胼胝(たこ)があります。
 今はその胼胝も大分柔らかくなっていますし、歩くだけならば健常者と殆ど変わりがありません。階段は少々危なっかしいですが。
 歩くのもままならなかったので二年遅れて小学校に入学。小中高と堺の養護学校に通い、その中学部のとき、俳句と出会い、性懲りもなく未だに続けています。
 私の師事した先生は石田波郷の直弟子の一人で工藤雄仙という方です。全国的には無名に近いのですが、俳人としては素晴らしい方でした。国語の教鞭をとられていてテストに作句の問題を出されるユニークな面もお持ちでした。そのテストがきっかけでこの道に入って三十年近く、人生の師と仰いできました。その工藤雄仙先生が今から四年前に急死され、途方にくれた毎日を過ごしたものです。 今は東京の山田みづえ先生の「木語」に所属しています。
 俳句を始めて五年ぐらい経った頃、家庭用のワープロが出て来ました。今のパソコン程の値段だったのを覚えていますが、この出現によって私の句数が飛躍的に伸びたのも事実です。今はパソコンを使っています。この文章も勿論それを使って書いています。
 パソコンを本格的に「プロップステーション」で勉強して三年が経とうとしています。勉強のきっかけは俳句仲間であり、我がパソコンの師匠でもある石田京愛氏が「猫の恋」という句集を自身の手で作ると聞いたからです。今はやりの「DTP」ですね。「京愛が出来るなら僕も」と簡単に思ったのが運の尽き。面白さにはまってしまい、とうとう「バーチャル工房」の一員として仕事にまで成ろうとは。
 私は平成四年に句集「風神」を牧羊社から出版した経験がありますが、いまだに自身の手で句集は出していません。

  「風神」の中から一句挙げますと

たかし忌や我は脳性小児麻痺   井上雅友

 「たかし忌」は「松本たかし」の忌日。能役者の曹司であったが病弱のため、高浜虚子の門を叩く。そうした「たかし忌」に作者は自らを「我は脳性小児麻痺」と宣言することによって俳人としての決意の一句となっている。
 上の言葉は工藤雄仙先生のお言葉です。

作品  また、プロップステーションでは俳句の喜びを皆さんと味おうと、「プロップ俳壇」というページを井上雅友のホームページに開設しています。インターネットのEメールやパソコン通信で俳句のやり取りをしたり、デジタルカメラで撮った写真に俳句を添えるなどを楽しんでいます。写真の加工などもプロップステーションで教わった技術が大変役に立っています。ちなみに近作としては

 ことごとく道果てるらん花の下   井上雅友

があります。内容を簡単に説明しますと、どんな困難な「道」でも最後には桜の花の下に着く。と言う意味を込めたものです。

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