リレーエッセイ 「チャレンジドの夢」

 中村 弘子さんの場合

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「夢の足跡」

中村さんイラスト 大きくなったら何になりたいですか。子供の頃に誰もが受ける質問です。ところが、私はこの質問を受けた記憶がありません。障害児にこのようなことを聞く人は極めて稀でしょう。しかし、この質問に対する答えを私は持っていました。それは女の子なら珍しくない看護婦さんでした。あの真っ白な制服に憧れていました。おそらく初公開になる子供の頃の夢です。親も知らない、私自信ですら忘れかけていた遠い昔の記憶です。この年齢になって昔の夢を発表するのは些か恥ずかしい思いですが、私にも夢があったことを再確認しました。障害の有る無しに関わらず、子供の夢は大差ありません。
 この夢も障害を認識すると共に自然消滅していきました。私が自分の障害を直視するようになったのは、近所の子供達から障害を理由にからかわれ始めたのが切っ掛けでした。養護学校のスクールバスから降りて自宅までの帰り道で、近所の小学校の集団下校に出くわし、子供達から石を投げられました。このようなことには慣れていたはずでしたが、この時ばかりは悔しくて自宅の玄関先で泣いてしまい、祖母を驚かせたのをよく覚えています。この体験からかどうか分かりませんが、今でも小学生の集団に出会うと緊張してしまいます。同じような経験をしている障害者は多いでしょう。私は小学校からある意味で世間から守られている養護学校で過ごしましたが、地域の子供達との関わりで、普通とは違うことに気付きました。
 障害を意識してからの夢はもっぱら障害を軽くすることに変わりました。右手を使う、言語障害を軽くする、首をまっすぐにする、など生真面目な私は、養護学校のスローガン「やればできるんだ」この言葉を単純に信じようとしました。しかし、障害は簡単に治るものではありません。「アルプスの少女ハイジ」に出てくる、車椅子の少女が訓練をして歩けるようになった感動的な場面を、複雑な思いで観ていたのは私だけでしょうか。
 中学生になると将来自立したいと考えるようになりました。自立することが夢であり、目標になりました。障害者の自立には様々なケースがあります。精神的な自立、経済的な自立、親から離れて施設で暮らすのも立派な自立であると思います。私自信、中学生の頃から目標としていますが、私にとって何が自立なのか、最近ふと考え込んでしまいます。今後もこの答えを模索し続けていくような気がします。
 実現できない夢は持たずに、現実だけを見つめている方が大人のとるべき態度なのかも知れません。しかし、今もささやかな夢を持っています。夢は夢として大切にして、日々の生活は現実を見つめて前進したいと考えます。今の持っている夢は、まだ恥ずかしいので公表できませんが、数年後に何処かのホームページで「チャレンジドの夢」を掲載させて頂く機会に恵まれれば、また照れながら叶わなかった夢の話をしていると思います。私の夢は人々との触れ合いの中で、これからも移り変わっていくでしょう。


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