リレーエッセイ 「チャレンジドの夢」

 中村 弘子さんの場合

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中村さんカット「へんな顔」

 「へんな顔」「へんな人」街を歩いていると幼い子供達からよく言われる言葉です。そのような時、そばにいる親が慌てて子供の口をふさぐ、これがよくあるパターンです。私は緊張すると顔にゆがみが出てきます。幼い頃から言われ続けているため、子供を見かけると緊張し、緊張すると顔がゆがみ、そうなると、また言われる。このような悪循環は今後も続くことでしょう。何回言われても女性としてはあまり嬉しくない言葉に違いありませんが、相手が悪気のない子供であることと、言われ慣れているせいもあり、それほど嫌な気はしません。ただ望むことは、親は子供の口をふさぐだけではなく、子供たちに障害者の存在を説明してほしいのです。
 先日、法事があり、家にお坊さんがみえた時のことです。3歳の甥がいかにも物珍しそうにお坊さんの顔を覗き込みに行きました。きっと子供にとってお坊さんも障害者も同じように珍しい存在なのでしょう。私には5歳と3歳になる姪と甥がいます。今は大変なついてくれて、絵の好きな姪は私の顔を可愛く描いてくれます。彼女達が成長して私の障害をどのように受け止めてくれるのか、不安でもあり楽しみでもあります。
 同じ言葉を言われても相手によって気分が滅入ることがあります。それは高校生ぐらいの男の子で、必ず4、5人程の集団でクスクス笑いながら「すげぇ顔」だの「気持ち悪い」だのと言われた時です。このような行為が彼らにとって楽しいのでしょうか。ちょうど弟が高校生だった頃、「雪道で足の不自由な女子大生がころんでいたので、友人と一緒に起こしてあげた。そしたら、その大学の先生に有難うってお礼を言われた」と嬉しそうに話してくれました。弟もごく普通の高校生であったと思います。弟と私を笑った高校生とでは、何処が違うのでしょうか。ただ単に身近に障害者がいるかどうか、それだけの違いであるように思います。私は障害者に生まれたからには、少しでも私達のことを理解してもらうことが、私に課せられた使命かも知れないと考えています。
 この「へんな顔」で出歩いていると嫌な事ばかりではありません。買い物をすると私だけ袋に詰めてもらったり、電車で席を譲ってもらったり、レストランでお肉だけではなくパンまで一口大に切って出てきた時には驚きました。これもレストランでの出来事です。スパゲティを普通にフォークで食べようとした時に「よかったら、どうぞ」とお箸を持ってきてくれました。フォークの方が食べ易いのですが、その心遣いが嬉しく、お箸で食べたこともあります。また、電車で私がお年寄りに席を譲ってあげると、その隣の人に席を譲ってもらったことがあり、その瞬間、車内の雰囲気が和らいだ感じがしました。私達が街へ出る事で少しでもこのような和やかな雰囲気が広がれば良いと思います。
 人々の優しさを当然と受け止めてはいけませんが、健常者より嫌な事や不平等を感じる事が多い世の中で、人の優しさに接する機会が多いのは障害者の特権のようにも思えます。 最後に「人間、顔じゃない」と言わせて頂きたい。

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