リレーエッセイ 「チャレンジドの夢」

 吉田  幾俊さんの場合

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「夢、ゆめ、話さぬように・・・・。」

吉田さんイラスト わたしは全ての人が、夜は夢を観るものと最近まで想っていたのであるが、どうも、違うらしい。眠りの深さやパターンが違うので観ていないのか、あるいは目覚めた瞬間、ころりと忘れてしまうのか、よく判らぬが、「夢など生まれてこの方、観たことないわ。」とか「ここ、数年間、夢らしい夢なんか観てません。」と証言する人が結構、いらっしゃるのだ。自分のことで、考えるなら、どんな夢かと聴かれても答えられない位の恥ずかしい夢ゆえ、はじめから観ていないと黙りを決め込んでいるのかと勘ぐってしまうのだが、人柄からして、どうも本当らしい。年に数回、昔、話題になった「一杯のかけソバ」的、ちょっと感動ものの夢を観て、枕をぬらし(よだれ、ではなく涙であるぞ)朝から自身の夢の浪花節、人生賛歌に酔いしれ、文部省推薦文芸映画を一本観た感じで得したなぁと喜ぶ、わたしであるから、夢のない砂漠のような(テレビの放送終了後の砂嵐とでも言うか)睡眠人生など哀しくて、とうてい信じがたいのである。(-----以上、「チャレンジド夢」、わたしの今回分、唐突に終わり。つづく・・・)
な、訳ないのだ。がしかし、夜、観てる夢もコマ切れで短く唐突に終わるというのは、わたしだけではないらしい。けれど、五歳、離れた姉などは、観たい夢なら翌晩、念じれば続編を観れると豪語し眠るのだった。よくあるパターンで、美味そうな御馳走と見たこともない異国のフルーツ山盛りのスイス(どういうわけか?)の野外の昼食という、幸福の絶頂、「いただきます。」の三秒前で、いつも目が覚めていた小学生のわたしには歯ぎしりするほど、くやしく、そして、うらやましく想えた。そのかわり、姉は寝ると歯ぎしりする癖があり、これが念じると言うことなのかとも思えた。とにかく、当時のわたしには旅行、まして、海外旅行など夢のまた夢であり、夢で観ていたのだ。そして、幾も幾星霜、青年となり、某新聞社主催の「車いすヨーロッパ ツアー」でスイスを訪れることが出来、参加者一行、野外で昼食を囲んだのだから、一応あの夢は正夢だったわけだ。
 さて、現実の世界においての希望というか展望という意味での夢であるが、「まぁなぁ、「チャレンジドの夢」と言うても、ぶっちゃけた話、大きな夢がある人ってメンバーにいてはるのやろうか。だって数人を除いて、みんな、そこそこ、ええ歳だし、分別盛り?だし一応。自分の出来ることの限界とか体力とか、やっぱり見えてきておりますからなぁ、たぶん。夢もない、つうのも夢がないので夢々公言できなくて、苦し紛れに夢を語ってるんちゃうの?でも、こうしたいとかいう、ささやかな希望や願いは、あるでしょうがね。みんな、結構、苦労人で根は暗いはずですよ・・・だってマジで真面目で謙虚で優しいから。」という、水を差す、独り言が聞こえてきそうですが、止まれ、それは、ひとつの照れ隠しのポーズなのかもしれないのだ。つまり、自分のことで、考えるなら、どんな夢かと問われても答えられない恥ずかしい誇大妄想と鼻で笑われる大それた野望なため、はじめから夢など語らないことにしているのではと勘ぐってしまうわけである。「言わぬが花」ということだ。なんで、好きな事とはいえ、あんなに苦労してモグラ叩きの悪夢のように次々出てくる様々な新アプリケーションの扱い、さらに、そこそこ慣れたころに新機能満載でバージョンアップする定番ソフトの操作を再び、老脳にムチ打って、あっぷ、あっぷしながら、うろ覚え、一にも二にも根気と辛抱のパソコン作業の日々。夢でも、なけりゃやってられますかぁ、皆の衆。もし、そうじゃなければ、文字通り、「辛苦ダイレクト!」でしょ。月曜日が待ち遠しいというが、SOHOなら年中楽しいのか。
 そう、夢は観るものじゃない。実現させるものなのだ。CG絵画でいえば、イメージをかなりの精度で描けるようになってきているので、これは夢のような話だ。わたし自身の作品も時間は掛かるけれど、想いの6、70%は、なんとか描けるようになってきたようだ。(他人の評価は依然、厳しいままだが)また、最近、アニメーション制作をする必要もあり(チャレンジド・ジャパン・フォーラム国際会議のオープニングムービーと、各セッション用ジングルムービー制作)実作は、若い衆におまかせという感じでしたが、動きと音が加わることで平面絵画とは全然インパクトの違う作品が出来ることが判り、大いに勉強になった次第。「いやぁ、マルチメディアっておもろいでんなぁ。」が感想だ。(作り込みが大変でしたが、チームワークで乗り切って・・・。)
 最後に、わたくしの野望でも・・・。あのビル・ゲーツの要塞のような巨大豪邸の客室に飾る絵画を「時価?」で、買い取られるアーチストになること。(Win98覚えますかぁ)あちゃ〜公言してしもうた。世間に知れたら、ホンマ恥ずかしいのと、念じる願いの言霊の力が人づてで薄まっていく気もするので、「夢、ゆめ、話さぬように・・・・願いたい。」

おしまい。

◎添付は挿し絵「自画像・ゆめ話」・フォトショップ・クラリスワークス

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