リレーエッセイ 「チャレンジドの夢」

 井上 雅友さんの場合

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井上雅友さんの作品  「夢いろいろ」

 「春眠不覚暁、処処聞啼鳥」

 これは孟浩然の有名な漢詩の初めであるが、今の私はその時分に眠りにつくのが日課のようになっている。
 今は見なくなったが子供の頃は、よく高い所から落ちる夢を見て目を覚ましたのも明け方だったように記憶している。フロイト的には少年の抑圧された性衝動の現れ程度の解釈は私にもできる。それ以上の心理学的な答は聞かないで欲しい。生半可に「精神分析入門」や「夢判断」を読んだだけだからである。当時はフロイトよりユングの方が面白かった事だけは覚えている。
 四十才も過ぎれば他の夢も見なくなった。と言うより、忘れっぽくなったと言えるだろう。それだけ中年になったと言うことだろう。
 私の好きな俳句に永田耕衣の「夢の世」を詩(うた)った作品がある。残念ながら著作権の関係で紹介は差し控えるが、難解な句で本当のところは私の能力では解けないし、解説は一口では出来ないので省くとして、耕衣俳句を句集で初めて読んだときの衝撃は、頭をガツンと殴られた程のショックを受けた。波郷門で一番難解な俳句を創る人。それが永田耕衣の印象であった。こんな俳人に成りたい。が夢であった。その望みも自身の現実の才能の無さの前には霧散していったが。
 今は阿波野青畝の方が好きである。これも年齢的なものと解している。  今、夢と言えば、一生に一度で良いからパリのルーヴル美術館に二週間ほど通い詰めに通いたい。という夢がある。
 若いときから解りもしないのに美術館に行くのが好きで、やれレンブランドの「夜警」がどうした。ピカソの「ゲルニカ」がどうしたと言ったものである。
 芭蕉は最後に

 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 松尾芭蕉

と詠んだが、私はそこまでの気持ちにはなれない。行くならば早く行きたいと思っている。ついでに足を伸ばせるならばスペインでゴヤも見たいものである。
 インターネットでルーヴル美術館やプラド美術館は覗いたが観れば観るほど実際にその場に立ちたくなる。
 上の三句の前では出すさえ恥ずかしいが私の駄句でこの文を終わりとしたい。下の句は「雲」を旅や恋、大きく言えば人間の意志とお読み下されば幸いである。

あなたなる雲の通ひ路風光る  井上雅友


*カットは、高校の修学旅行(二十七年前)で買った「アイヌのこけし」をデジタルカメラで写し、氷のイメージに処理したものです。Adobe Photoshop3.0J使用。

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