村木厚子さんの裁判を見守り支援する部屋

平成22年4月15日 第18回公判がおこなわれました。

村木厚子さんの被告人質問が行われました。

第18回公判 傍聴記 平成22年4月15日
by ナミねぇU

「厚子さん第18回公判傍聴記 by ナミねぇ」

4月15日(水)厚子さん第18回公判。
小雨の中、予定通り10時開廷。
昨日に続き、厚子さんが証言台に。

弘中弁護士が、昨日の尋問の続きを開始する。
「遠藤検事が、明日から取調官が代わると言って、実際に代わったのか?」
「はい、國井検事に代わりました。國井検事から事件の詳細な説明を受けました。倉沢氏→石井議員→塩田部長→私→北村係長→上村係長・・・といったストーリを克明に語られました。」と、厚子さんが答える。

「質問ではなく、ストーリーを語った?」
「はい、よく覚えてないんですが・・・物語風に説明されました。そして國井検事は、色々な人の話を聞いてるようで、あなたの話と他の人で温度差があるね、と」
「その日、調書は?」と弘中弁護士が聞く。
「とってません。翌日は(他の人を調べた)調書を持ち込み、指さしながらまた詳細に話しました。遠藤検事とは対照的に、私が何を言っても全くメモを取らずに話を続け、口述筆記しながらパソコンに入力するよう事務官に指示しました。そして(打ち終わった調書に)サインしますかと聞かれました。」と、厚子さん。

「内容は?」
「私は上村さんに大変申し訳なく思っている。私の指示がきっかけでこのような事になってしまった。上村さんは真面目な人で、一人でこのようなことはしない。私は責任を感じているという内容でした。」
「サインしたのですか?」と弘中弁護士。
「していません」キッパリ答える厚子さん。
「私は、どのようにでも読み取れる、このような、いやらしさを感じる文章にはサインできません。」
「あなたが言ってないことを調書にしたということですか?」と弘中弁護士。
「はい。」

「そのやりとりで國井検事を、どう思いましたか?」
「信頼関係が結べないと思いました。思い込みが非常に激しく、私は罠にはめられると感じました。」
「國井検事の言葉で、記憶に強く残っていることがありますか?」と弘中弁護士。
「あなたが嘘をついてるか、他の全ての人がついてるかだ、と。」

「私は國井検事がいう『石井議員の案件なので全員が私の指示に従って不正をした』という状況が起こりうる場面を考えてみました。3つの可能性があると思いました。

の三つです。
しかし冷静に考えてみると、どれもあり得ないと思いました。
まさか検察官が嘘を言っているとは思わず、このようなことを言う理由は何なのだろうと考えたのです。」

「國井検事は、キャリアとノンキャリについても『ノンキャリは汚い仕事ばかりさせられ、仕事がイヤで嫌でたまらない』とも言いました。全く違う、それはノンキャリに対する侮辱であり、大変失礼だと感じました。でも私がどのように説明しても『いや違う!こうだ』 と、考えを押し付けるので、この人は、なぜこんな思い違いをしてるのかと思いました。

それから國井検事は、ほぼ毎日来るようになり、なぜかと聞くと、あなたのことが心配だから来る。このままだと重大なことになる、それが心配だ、というような話ばかりされました。」
そして『今回の件はたいした罪ではないんだよ』などと言うので私が『それではたいした罪とはどんなものですか』と聞くと『殺人や傷害です』と応えたので、「私は(公務員として)このような罪に問われるくらいなら、殺人犯と言われるほうがましです、と答えました。」

「上村さんのことは、他に何か言いましたか?」と、弘中弁護士。
「はい。上村さんは私が逮捕された時泣いたそうで、ああいう人が嘘を言うはずがない。彼は孤独でゴキブリが出ないのさえ寂しいと言う、そんな人だ。あなたには責任があると。私は自分の職場で起きた事件には、自分にも責任があると思っているけれど、上村さんについては、なぜそんなことをしたのかと叱りつけたい気持ちですと、応えました。」

「あなたは弁護士である私に、手紙をくれたことがありましたね。」と弘中弁護士が問いかける。
「はい。『記憶がないがありえる』ということと『絶対やっていない』ということを
いくら頼んでも書き分けてくれないので、不安になって手紙を書きました。

このよう『記憶がないがありえる』ということと『絶対やっていない』ことを、キチンと区別して調書にして欲しいと言いましたが、聞いてもらえませんでした。

その時の遠藤検事の説明は『調書はあなたから見た真実。客観的事実とは違う』ということでした。つまり、『あるかもしれない=ない』と書けばいいんだと言われサインしてしまったのですが、だんだん不安が募りました。
これは私を『うそつき』という罠にはめようとしてるのじゃないかと恐ろしくなり、お手紙を書いたのです。」

大阪地検に出頭し、いきなり逮捕された時の衝撃と、自分の言葉を全く聞き届けてもらえない理不尽さを思い出しながら、それでも落ち着いた声で話し続ける厚子さん。

尋問が、弘中弁護士から白井検事に代わる。
「取調べにおいて、暴行、脅迫などはありましたか?」と、白井検事。
「(私が)知らないと言った時『知らないはずはない!』と、大声で言われました。また國井検事は、このままでは重い罪になると言い続けましたが、これは脅迫だと思います。」と、厚子さん。

その後、白井検事は、昨日の尋問で「時期的な整合性が無いことが明らかになった、障害者自立支援法との関連」についての質問などを、再び繰り返した後「あなたは保釈された日に、ご主人同席で記者会見を開きましたね。保釈の条件に事件関係者との接触禁止が有ったのではないですか? テレビカメラは、まずいと思いませんでしたか?」と、唐突に聞く。

「逮捕、拘留中に、全く事実と違う報道をされ続け、身の危険さえ感じていました。
(私が家に帰ることで)マスコミが家に押しかけたり、心ない人がルールを無視した行動をとって、子どもたちが恐い思いをすることなどが無いよう、また真相解明に繋がって欲しいとも考え、弁護士に相談したところ『問題なし』とのことでしたので、会見を行いました。」と厚子さんが答える。

弘中弁護士からは「記者会見は、こちらから呼びかけたものではありません。一度保釈が取り消されたこともあり、マスコミから記者会見の要望が非常に強かったので、それに応えたものです。」との説明がなされた。

最後に、裁判官たちから、厚子さんの多忙なスケジュールや配席図の確認などがあり、裁判長からは「凜の会の倉沢氏に、厚子さんが公的証明書を手渡した」という検察ストーリーについての質問が投げかけられたが、「絶対にありません。もしあったとすれば非常にイレギュラーなことなので記憶に残っています!」と、厚子さんがきっぱり否定し、今日の公判が終了した。

私は厚子さんの公務員としての挟持、理不尽な出来事に屈しない強さ、母親としての温かさを噛みしめながら、残る公判で検察側がどのような反撃を企てたとしても、きっときっと厚子さんの名誉を回復しなければならないと、改めて心に誓って大阪地裁を後にした。

寒の戻りの小雨の中を、肩を寄せ合って歩く厚子さんと二人のお嬢さんの、後ろ姿を見送りながら・・・

 PS.
4月の公判はこれで終了し、証拠整理、論告、弁論などを経て、9月1日に判決が言い渡される予定となった。検察に控訴されない(出来ない)無罪判決が出て、厚子さんの無罪が確定することを、切に願うナミねぇです。

<文責:ナミねぇ>

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「4月15日 第18回公判傍聴記 by U」

15日は前日に続く被告人村木さんへの尋問であったが、傍聴券の抽選が予定されており9時半に抽選会場の裁判所裏に行く。小雨状態だったのでいつもと違う屋根のある裏の入り口前に並んだ。時間になってもあまり人数は増えず、結果として66人の定員以内なので全員に傍聴券が配られた。初公判の日の数百人、石井議員のときの約百人の状況を考えると、どういうことかな・・・被告人が無罪を主張することは明らかなのでということか・・・

などと思いながら法廷に行く。前日の午後の開廷前に突然持ち物検査とボディチェックが行われたが今朝はいつもどおり行われなかった。昨日の突然の検査はなんだったのか?

 

*ストーリーを述べる検事、拘置所の部屋に戻って必死に思い出してメモをしました。と村木さん

6月25日の国井検事の取調べはどのようなものだったのかという弘中弁護士の問いに対して、村木さんは「國井検事は、詳しくこの事件はこういうことだとストーリーを話してくれました」「物語風に約10分以上説明されました」「拘置所に戻って必死で思い出し、書き留めました。大学ノートで2頁半位の内容でした」それは「凛の会は4人の方が役員として役割分担をしていた。倉沢さんが役所担当で、石井議員、塩田部長、村木、北村、村松という指示のラインだった。倉沢さんが来て室長や補佐、係長と私と引き合わせた。倉沢さんに村松係長が手続きについて説明しその報告をしたら、何とかやってくれといわれた。村松係長が転勤し引き継いだ上村係長が予算関係で忙しかったので対応が遅れた。遅れていることを電話で督促された上村係長は、偽の稟議書を作った。村木が郵政に電話をしたので大丈夫と思い凛の会が手続きに行ったが、証明書が必要といわれ、上村係長に督促をし、企画課長にも頼んだ。上村は課長からも言われたので夜中に証明書を作った。」という。

 

*6月25日には、「やっているかやっていないかというやり取りの取調べはあったが、國井検事はいろんな人の話を聞いているようで、」検事は、調書は作らなかった。

 

*6月26日の國井検事の取調べは、「田村、北村、村松の入り口の調書を指で追って読み上げて、前日の話をさらに詳しく説明されました。」「仕事の話などをやり取りしましたが、メモは取られませんでした。遠藤検事とは対照的と思いました」「この二日目の最後に調書の口述を検事がしました。その内容は、『私は、上村さんに大変申し訳なく思っています。私の指示がきっかけで、このような事件が起こってしまいました。上村さんは真面目な人で自らこのようなことをする人ではありません。責任を感じています』というような内容でした。パソコンから打ち出す前に國井検事が『この調書にサインしますか』と言われたので、出来ませんといいました。」その理由を尋ねられて、村木さんは「偽の団体と知らずに私のところまで連れてくることや部下に頼むことはありうること。そこから決裁もとらず証明書を作るという行為までには距離がある。上司としてはしかりつけたい事。この調書は、私が何をしたのか、何に責任を感じているのか、何とでも読める表現がされていて“いやらしい”と思い、署名を拒否しました」この調書は約2ページくらいで、拒否したので、プリントアウトもされなかったと言う。この結果、村木さんは、「國井検事とは信頼関係は結べないと思いました。まったく自分の言っていないことを調書にしようとされ、『あなたの言っていることが嘘か、他の人たち全員が言っていることが嘘かどちらか』だと言われ、罠にはめられていると思いました」

また、キャリア・ノンキャリアについて村木さんは、「國井検事は、『ノンキャリアは、汚い仕事ばかりさせられている。この件をトカゲの尻尾きりに、させてはならない。ノンキャリアに人たちは、仕事がいやでいやでたまらない』などといわれました。私の日ごろの印象とずいぶん違う。ノンキャリアの人たちを侮辱している、大変失礼だ、認識が間違っていると思いました。チームで仕事をしており、区別をして考えたことはない。昇進のスピードに差はありますが、一緒に仕事をしている仲間です。」「國井検事が、『上村がこんなことをしたのは、塩田やあんたがこんな仕事をひろってきたから』と言われたので、私は、議員からの要請も団体からの要請も同じ対応をしていますと申し上げました。國井検事は、団体からきたらやらないんだと言い張り、どこでこういう思い込みをされたんだろうと思いました。」

 

*國井検事への評価を問われて村木さんは、「仕事熱心な方なのかもしれませんが、思い込みの激しい方だと思いました。サインを拒否した後は、手帳と業務日誌の点検のやり取りが続きました。國井検事は毎日やって来て、『あなたのことが心配だから毎日来ている。否認を続けると裁判でショックな結果がでる。そのことが心配。』と言われました」

*真実について「國井検事は、『机の上に指でいくともの円を描いて、Aから見た真実・Bから見た真実・Cから見た真実、…、円の重なったところが真実と言わざるを得ないのだ』といわれました。」これは、上村さんの法廷での証言でも紹介されていました。

 

*昨日の「遠藤検事の取調べで言われた『たいしたことではない』という主旨のことをいわれたので、たいした罪とはどういうものかと聞いたら『殺人や傷害』だといわれたので、私が、こんな罪に問われるくらいなら恋に狂って相手を刺したという方がマシと思う。と申し上げたら、返答はありませんでした。」

 

*弁護士への手紙

「最初のころの取調べで、“役所では普通あるかもしれないが、私は覚えがない。”ということと、“私はやっていない”ということを区別して話したが、調書ではすべて“やっていない”とされたので、不安になって弘中弁護士に手紙を書いた」ということで、手紙のコピーが法廷で映し出された。<弁第2号証>

村木さんは、「取調べでは (1) 倉沢にあって凛の会のことを頼まれた。:記憶にはないが、ありうることで、絶対にないという自信はない。(2) 上司からの指示:偽の団体と知らずにという事はあり得るが、知って行うことはない。(3) 偽の証明書の発行:絶対にない、と区別をして述べたが、すべての調書は、“やっていない”だった。記憶にないがありうることと絶対にないとを分けてほしいと言ったが、あなたの側から見て書くもので調書としてはこれでいい。といわれ、初めてのことなのでサインしてしまったが、後になって嘘つきだという証拠を作ろうとしているのではないかと不安になり弁護士さんに手紙を書きました。」という。

 

*事件発覚した後の厚生労働省と村木さんの姿勢、と逮捕後

 「報道されていた頃、自分は部署を離れていたので、詳しくはわからない。上村さんの逮捕後は、大臣より検察の捜査に全面的に協力すること、省として実態・真相解明と再発防止策を講じることが発せられた。国会答弁もそのように行われた。」村木さん自身は、「当時の担当者としての協力をしようと思っていた。マスコミからの問い合わせには、捜査の影響があるといけないので控えるようにした」

「逮捕後も同じ姿勢で臨んでいた。検察の姿勢に何度か失望したが、基本姿勢は変えなかった。」

(この証言のとき、私は村木さん逮捕の日の舛添厚生労働大臣の記者会見で、村木さんが優秀で女性の官僚の希望の星である趣旨のことを述べていたのを、当時のショックとともにまざまざと思い出していた)

 

*検察官への信頼

「友人にも検察官はいるし、同じ公務員としても信頼していました。検察官が嘘をついたり、罠にはめたりするとは思ってもいなかったので、検察官がこのように思うのはどういう思考回路でそうなるのだろうと思っていました。他の同僚の証言を紹介されても同じ公務員として共通と思っていました。國井検事から、あなたの言うことと他の人とが違うと言われたとき、検事の言うとおり私が指示して部下全員が怪しげな団体でも結論ありきと思うとはどういうことだろうとシュミレーションしてみました。(1) 私は偽の団体とは知らず、部下に下ろし、部下は議員案件はすべてやると思っていた (2) 部下全員が私を恨んでいて、口裏を合わせた (3) 私が強度の二重人格であるという3つのケースしか思いつかなかった。今、考えても3つのケースいずれもありえないと思う。別のところに原因はあると思う。」

 

<ここで弘中弁護士からの主尋問は終わり、白井検事からの検事側尋問に移った。>

 白井検事は、取り調べた二人の検事にたいする不満などをまず聞いた。村木さんは、「遠藤検事は、最初の3日間、私の言ってることを正確に聞き分けていただけなかった。6月24日に10日間協力して取調べを受けたのに言ったことのない調書が出されたので、失望しました。どう思って取り調べているのか、有罪にするのが仕事と思っているのかと思いました。取調べの最後の日にも申し上げましたが、裁判で本当のことがわかってからでないと評価の仕様がありません。遠藤検事は、“しらないはずがないんじゃないの”と声が大きくなることはありました。國井検事は、裁判で争うと重い罪になると言い続けられました。これは脅迫だと思いました。」

露骨な利益誘導はなかったかという問いに対して村木さんは「裁判になれば長くなることを考えて認めませんかとは言われましたが、保釈のことは言われませんでした。私も何かしてもらおうとは思いませんでした」

「調書に署名したのは、遠藤検事の作成分のみです。國井検事の面前口述はありましたが、弁護士さんへの手紙のところで申し上げたとおり、どのような責任を感じているのかが曖昧な文章でしたし、私が何をしたと言うことは書かれていなかったので、2日間のやり取りでこのような文章が出てくることにあきれました。読みようで何とでも読める文章で、新聞の見出しが“責任認める”と報道されると受け止めました。」「自分がいた部署でこのような事件が起ったことは責任があります。その原因を解明し、再発防止策を講じることが大事です。」「遠藤検事は、私の仕事はあなたの供述を変えさせること。管理責任はあるでしょ。認めないと長い戦いになりますよ。認めたほうがいい。あなたに対して、倉沢さんだけでなく上村さんも言っているのだから、疑わざるを得ませんよ。などといわれました」

 

手帳や業務日誌の書き方についてのやり取りの後、名刺を切らしたことはないか、渡さないときはという問いに対して「数多く人と会うので切らさないように注意していた。それでも、出張先で切らしてしまうことは何度かあったが役所で切らすことはない。相手がくれないときはもらわなかったが、役所にこられる方はすべて名刺を出されます。人事異動のときに一定整理をして今後活用する可能性のないものは捨てていました。30㎝の名刺入れ4箱が満杯になれば捨てるという感じだった。企画課長時代のものはもうほとんど残っていません」さらに「森隆正さんと夫との年賀状のやり取りがあったことは記憶にありません。年賀状もたくさん届くので、最初に夫婦連名の宛名のもの、夫宛のもの、私宛のものと仕分けをするので、夫宛のものを私がつぶさに見ることはありません」「上村さんが決裁を直接取りにきたことは記憶にありません」

 

*役所の仕事の仕組みを知らない方が作ったストーリーではないかと思います。霞ヶ関で仕事をしている人は、おかしいと感じると思います。

今回の事件の真相への言い分はと検事より問われた村木さんは、毅然として、

「取調べのとき検事さんにも申し上げましたが、今回の事件について想像でものを言うのは恐ろしい。でも、あえて言うなら、検事さんの作ったストーリーは、役所の仕事の仕組みを知らない方が作ったストーリーではないかと思います。霞ヶ関で仕事をしている人は、おかしいと感じると思います。」と述べたとき、弘中弁護士が、すかさず、「言い分とは、どういう意味か、抽象的過ぎる」と抗議、検事は、言い方を変えると言い、「心当たりは」と質問した。「ありうることだが記憶にないことと、記憶にないしありえないこと」について検事があいまいな質問をするたびに、弘中弁護士から、訂正を求める抗議がされた。

そして、「直接担当者と話をすることはないが、大事な話、生の情報が必要なときは下の人間とも話をすると前日の証言で言ったこととは」という検事の質問に対して、村木さんは「団体からの苦情が寄せられたり、来客ともめて騒ぎになったりしたときには、直接対応した人間から話を聞くことはある」と具体的に日常の仕事で起こることや日常の人事管理の方法などについてのやり取りが続いた。その中で、決裁規定では、閣議決定、大臣、局長、部長決裁と重要案件の度合いによって決められており、企画課長が公印を押すのは、政策判断のいらない審査基準のはっきりしている軽微な案件であることも明された。「平成16年の5月ごろ週刊誌の記事や国会でパラリンピックの関係で低料第三種の制度が問題になっているときも証明書が話題になったことはなかった。」と村木さんが述べたところで、昼休みとなった。

 

(私は、午後、仕事が入っていたので、残念ながら、裁判所を後にした。改めて、村木さんの静かな語り口の中の冷静で仕事への誇りに裏打ちされた強い思いを感じながら、「役所の仕事の仕組みを知らない方が作ったストーリーと思う」と言う、証言をかみ締めていた。逮捕された後、厚生労働省以外の官僚の方にどう思うかを聞いたときに、いみじくも「大阪地検は、霞ヶ関を知らないのじゃないか。霞ヶ関を知っていたらこんなストーリーにはならない。大黒星と思うよ」と言われたことを、思い出していた。許せないと言う思いをいっそう強くした。しかし、検事の執拗な引っ掛け質問に見事に抗議した弁護士さんを心強く思うとともに、取調べの主任検事が毎回法廷に来ているという力の入れようをみても油断は禁物と言うことだと思う。)

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