村木厚子さんの裁判を見守り支援する部屋

平成22年4月14日 第17回公判がおこなわれました。

午前中、高橋和男副検事と牧野善憲副検事が証人として出廷し、午後からは村木厚子さんの被告人質問が行われました。

第17回公判 傍聴記 平成22年4月14日
by ナミねぇU

「厚子さん第17回公判傍聴記 by ナミねぇ」

4月14日(水)寒の戻り、というにはあまりに寒い朝。地方によっては「寒波襲来」とか。
つい先日、真夏日さえあったのに、今年の天候はホンマに異常やっ!と呟きながら大阪地裁に到着。

厚子さん第17回公判。今日の午後はいよいよ厚子さん自身が証言台に立たれることもあり、厚子さんのお嬢さん2人や、厚子さんを尊敬する厚労省時代の後輩たち数名も傍聴に来られている。今日の厚子さんは、くっきりした縦ストライプのブラウスにダブルのスーツ姿。襟元に着けたオレンジ色のスカーフが濃いグレーのスーツに生えて、表情が明るく見える。
とても落ち着いた雰囲気で入廷して来られたので、傍聴席に穏やかな雰囲気が広がった。

10時開廷。午前中は検察側証人として、取調べを担当した高橋副検事と牧野副検事が出廷したが、二人とも、検事側からの尋問に対しては終始前を見つめて淡々と答える。
結論から言えば、二人の取調官は、常に前田主任検事の指示を仰ぎながら取調べを行った、というか前田主任検事が想定した結論に沿って取調べを進めたことがよく分かる証言だった。

印象的やったのは、高橋副検事が信岡弁護士に「前田主任検事からの指示は・・」と聞かれた時にチラッと検事側席の方を向いたので、すかさず信岡弁護士から「主任検事が居るとプレッシャーを感じますか?」と突っ込まれ「い、いえ・・・」と俯いたこと。
そして二人目の証言者である牧野副検事は、検事側尋問では一度も検事席を見ることなく証言し、反対に弁護側尋問になると身体を弁護側に向けて、身振り手振りを交えて答えるその様子から、証言者交代の僅かな時間にも上司からの指示が飛んでいたことが伺われた。

高橋副検事は、取調べに対して「記憶がない」と一貫して否認し続ける田村元補佐と(厚労省職員)K氏の否認調書を一通も作成して居ないのだが、このことについて弁護側から問われると「本当は記憶に残っているのに(わざと)隠しているのだから、思い出すまで調書を作成する必要は無い」「否認調書を作成すると、嘘をついても良いのだと思わせることになる」と答える。「証言の変遷を記録することを必要とは思わないのか」と河津弁護士が聞くと「思わない。前田主任に報告したら、不要だ、思い出した部分だけ調書にしといてくれ、と言われた」と答え、取調べ検察官たちは前田主任検事の方針に粛々と従って取調べを行ったことが、傍聴席にストレート伝わった。

「6月7-8日に作成された調書で、多くの証人から一斉に『自立支援法を成立させるため』という文言が出てくるが、これも主任の指示か?」と弘中弁護士が聞くと「指示はなかった。証人が自発的に喋った。」と言いながら「主任の指示で調書にした」と答える高橋副検事。

公判終了後の記者会見で弘中弁護士が明らかにしたのだが、田村補佐、北村補佐が6月7日、塩田元部長、江波戸室長、村松係長、N氏が8日に、「自立支援法を通すために」という調書を、まさに一斉にとられているのだ。

「主任の指示というのは会議などで出されるのか、一対一か?」と弘中弁護士が聞く。
「一対一です。」と答える高橋副検事。 「指示はどのように受けるのか?」「取調べが終わってからだけでなく、休憩時間などにも受ける。自分は東京、主任は大阪地検に居るので電話で指示を受ける。」と、忠実に職務に励んでいることを強調する高橋副検事。

う~む、検察という組織は、取調べ内容などを組織全体で共有し、確認や評価、批判をしあいながら捜査を進めるのかと思ってたけど、違うんやな!! 主任検事がストーリを創ったら 部下たちは疑うこと無く(疑うことを許されず!?)ストーリに沿って捜査を進めるんや、ということを痛感した。

また取調べでは、すでに取られた別の被疑者の供述調書(否認供述は一切書かれていない)を手元に置いて「誰それはこう言ってるぞ」と迫るのだが、その理由を高橋副検事は「他の取調官以上の調書を取るよう、主任から指示されてのこと」と証言。取調官どうしを競わせる手法が使われていると分かる。

「田村補佐の取調べ前に見た資料は何か?」と弘中弁護士が聞く。「それまでの供述調書や捜査報告書などだが、それが資料の全てかどうか分からない。しかし・・・主任から回って来たものは全て見る」と応える高橋副検事。
高橋副検事が、証人席でただ一度だけ前田主任検事のほうをチラ見したのは、プレッシャーからなのか、忠誠心を認めてもらいたいためなのか・・・いずれにしても「主任検事の判断が、絶対遵守すべき捜査基準なんや!」と、強烈に伝わってくる。

裁判官から「取調べメモ」の破棄について糺された時は、高橋副検事も(今日の二人目の証人である)牧野副検事も、すでに出廷した取調べ検察官たちと同じく「不要だから」と言い切った。高橋副検事は「調書は、どの部分を書き込むか主任からの指示を受けたものだが、メモは自分の走り書きなので役立たない」と”補足”までしてみせる。そして「誰それから、こういう供述を得ているよ、というのは圧力ではないのか?」と裁判官に聞かれると「ちょっと・・・意味が分かりません。」と、本当に戸惑った様子を見せるのだった。

牧野副検事は、記者会見で弘中弁護士から「便利屋」と評されたほど、主任検事の指示によって日替わりで何人もの取調べに当たってるのだが、弁護側の尋問に対しても、裁判官からの尋問にも答えが常にしどろもどろで、時には検察官席に目で助けを求める様子を見せ、裁判官から注意を受ける一幕も。その検察官側には、前田主任検事が奥まった席からガンを飛ばしているというシチュエーション。

二人の副検事の尋問終了後、検察側により河野、倉沢、塩田、木村の4氏の調書が証拠請求された。4氏については、検察官調書と食い違う証言をした重要証人だからという理由だが、「自分に都合の良いところだけを調書にしておきながら、今になって覆した証人の調書を証拠請求するのはおかしい!」と弘中弁護士が激しく抗議して攻防の結果、「証拠物」として採用された。調書がえぇかげんで一方的なものやということは、すでに明確になっているけど、裁判が長引くのが心配やな。

昼休み終了後、なぜかいきなり法廷入り口でボディチェックが始まった。理由の説明は無し。江川紹子さんはじめ傍聴者がすべてチェックを受けたそうやけど、チェックに気付かないで「うっす!」などと言いながら、キャリーバックを引っ張って傍聴席に走り込んだ私は、なぜかチェックを受けずじまい。江川さんに呆れられてしまった。

そしていよいよ、厚子さんが証言台へ。
弘中弁護士から「公務員としての思い」を問われ、「大学の時の恩師から、公務員は国民の願いを法律や制度にして行く翻訳者だ、と言われた言葉を最も大切にしている。」と、少し緊張が感じられるものの、いつもの穏やかな表情を浮かべ、明瞭な声で尋問に応える厚子さん。

「女性、高齢者など、日本において遅れている分野の仕事にはやりがいがある。この分野は民間の人も大変努力されているので、信頼に応えたいと思いながら仕事を続けて来た。平成9年に旧労働省で障害者雇用対策課長として、初めて障害問題に取り組んだ。『働くこと』は、障害の有無にかかわりなく人間の尊厳にとって、とても大切な問題であり、障害があっても働けることが当たり前の社会にしなければならないと思った。女性も障害者も、能力が高くても社会的偏見などで働けない場合が多く、よく似た問題だと思っていた。労働省で障害者に関わる課は一つしかないので、ここだけか・・・と思っていたら、厚労省になって改めて福祉分野で(障害者問題に)携わることができた。」
厚子さんの声が静かに法廷内に広がる。

そう・・・プロップ・ステーションは、厚子さんが障害者雇用対策課長に就任された年に、草の根のボランティアグループから厚生大臣認可の社会福祉法人となり、それからずっと「障害者(チャレンジド)が、当たり前に働ける日本」を目指して、厚子さんと私は二人三脚で歩んで来たのだ。拙著「プロップ・ステーションの挑戦~チャレンジドが社会を変える~(筑摩書房)」を厚子さんに手渡し「これ読んでくれへん」と言うと、一日で読み終え「ナミねぇ、これで私は上司と闘えるわ」とニッコリ微笑みながら言われたのを、昨日のことのように思い出す。「女問題も、障害者が働きにくいのも根っこはおんなじ、日本システムの課題だからね。それを変えなくっちゃ!」と、朗らかに言った厚子さんに「わぁ、官僚にもこんな人が居てはるんや。私ら同士になれるかも!」と強く感じた、あの日。

その厚子さんが、検察の創作ストーリという罠にはまって5ヶ月間も勾留され、公務員の仕事を奪われ、今、裁判を戦っている。こんな理不尽なことが有ってえぇもんか!!
いやいや、怒ってる場合ちゃう。厚子さんが冷静に証言してはるのに、私が血ぃのぼってどないすんねん。どぅどぅどぅ・・・と傍聴席で自分を諌める。

「それが、今回の福祉企画課長ですね。」弘中弁護士の問い掛けが続く。
「はい、もう一度やれる!と嬉しかったです。」と厚子さん。
「でも、支援費で予算が不足し、障害者団体が厚労省を取り巻く状況の中で、自分にやれるかな、やらねばならない、という思いでいっぱいでした。」

支援費制度の導入で、行政が障害者の施設やサービスを規定する制度から、障害者自身がきちんと契約してサービスを得る制度に転換したものの、財政面が脆弱で「補助金の枠」を超えると地方自治体が持ち出すか、サービスを止めるかという状況に陥ってしまい、年度当初は予算を無理に圧縮したり(高齢施策などから)流用したりしたが限界が来たことから、制度の見直しが必要になった・・・という経緯を厚子さんが簡潔に説明する。

そこで、高齢者の介護保険制度の年齢制限をなくし、保険料を支払うことで若い人も障害を負ったら使えるという方向で行けないかということを介護保険の審議会にかけたが、なかなか進展せず、16年8月ごろから新たな制度設計をしようということになり、10月にグランドデザインをまとめた。
サービスの選択、大型(収容型)施設ではなく街の中で暮らす、働くことを当たり前にして行く、国民全体で支える、など支援費の良いところも取り入れ、11月頃に「介護保険を使わずにやる」ということで財務省も説得できた時、自立支援法の骨格が固まった。そして
17年1月に始まる国会に法案提出する、という経過をたどりました。

厚子さんの説明を聞いて弘中弁護士が「すると自立支援法は、16年の夏から暮れにまとまった訳ですね」と質問する。「そうです」と厚子さん。
「(この事件は、自立支援法を通すため、石井議員からの要請を断り切れなくて起きたというのが検察のストーリーだが)それなら16年6月に、自立支援法が理由でということは・・・」「あり得ません」厚子さんがキッパリ答える。
「インターネットなどで審議会関連を調べると、経緯がすべて確認できます。」

その後、同僚から「メモ魔」と言われる厚子さんの手帳や、日々細かく綴ったノートの(手書きの)内容をパソコンに移した資料などを元に、弘中弁護士が16年6月1日から10日間の、厚子さんのスケジュールを法廷内のディスプレイに映し出して確認する。
まさに分刻みで会議、打合せ、委員会、与野党議員への説明、関係団体回り、などなどなどがビッシリ続いており、「アポなしで倉澤氏が訪れて、厚子さんから手渡しで偽造証明書を受け取ること」など「やれるもんならやってみなはれ状態」やったことが明らかにされた。

また厚子さんが上村係長に直接指示したという点については「直属の上司の頭越しに、私が係長に指示するような失礼なことは、あり得ない。また交付や通達は通常郵送される。石井議員についてはお名前とお顔は存じ上げていたが、話をしたことは一度も無かったし、石井議員と厚労省との関わり自体も無かった。」と述べた。

逮捕の状況については「遠藤検事から大阪地検に前日出頭要請があった。倉澤氏からの依頼や、上司から指示を受けて部下に自分が指示しただろうと、何度も何度も聞かれたが、記憶にも無いし、覚えてもいないので話が噛み合わなかった。」弘中弁護士が「逮捕は遠藤弁護士から告げられたのか?」と聞く。「知らないことを、知りませんと言って逮捕されるなんて、なんか非常事態のような気持ちで・・・手続き説明では、10日間の勾留が1回更新されて20日間。それから起訴するかどうか決まるが、あなたは起訴されます、と言われました。決まってるなら20日間は何なんだ、と思いました。」と、初めて厚子さんの声が悔しそうに震える。

「真相解明が検察の役割のはずなのに、検察がそんな方針ならどうすれば良いんだろうと、思いました。」

「調書を拒否したことは?」「ありました。長い調書を持ってこられたけど、塩田氏や上村氏への悪口などがいっぱい書かれていて、これは自分の人格と違う!と拒否しました。」
「その調書は面前口授ではなく(遠藤検事が)出来上がったもの持ち込んで来たんですか?」と弘中弁護士。「はい。立派な否認調書ですよ、どこが気に入らないのか言いなさい、と言われて、全く別人格の内容なので一部だけ直せるものではない、と答えました。すると検事が『これは検事の作文です。書きなおします』と言って、作り直されました。でも納得できない部分があったので、明日弁護士に相談させて下さい、と言うと、自分は今日だけで、明日は検事が変わる、と言われたので、徹底的に直してもらって(否認調書に)サインしました。」と、厚子さんが話す。

遠藤検事の直した調書にサインしたことについて「明日は人が代わると言われたことと、逮捕前に女性事務官たちの雑談から、失礼な言い方だけど、割とましな人と思ったので・・・」と厚子さんが言うと、傍聴席からクスクス笑いが起きる。「でも、二人でかなりやり取りして調書を書き直し(私が)サインします、というと『決済を取る』と言って出ていかれたので、もし上司がダメと言ったらどうするの・・・と、すごく失望しました。」

「罰則などについては何か聞きましたか」と弘中弁護士。
「執行猶予がつくだろう、たいした罪ではない、と言われ、非常に腹が立ちました。私にとっては・・・・」厚子さんの声に涙がまじり、嗚咽となる。
「公務員としてやってきた30年間の信頼を、全て失うのです・・・・」
厚子さんの小柄で細い背中が震え続ける。隣の席で傍聴している二人のお嬢さんも目を真っ赤にしている。
「今日はこれで。」裁判長が、閉廷を告げた。

厚子さんの証言は、明日も続く。

<文責:ナミねぇ>

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「4月14日 第17回公判傍聴記 by U」

高橋副検事の尋問が始まった。田村さんへの取調べの状況と、金井室長への取調べについては6・7回やったが、厚生労働省への報告をした調書は取ったが、他は否認していたので、取調べのつどは否認調書は取らず、6月17日になってから否認調書を作成したということ。などが述べられた。

*取調べメモについて

 高橋副検事は「供述調書作成直後にすべて調書にした分は破棄し、供述調書に書かれていない分で今後捜査に必要になるかもしれない後日調書が必要になるかもしれないと思う分は捜査が終了した時点(公判請求がされた時点)で破棄した。」

*金井室長の取調べのつど調書にしなかったのは「嘘をついていると思っていた。その時点で調書にすれば記憶にないで通ると思うのではないかと思い調書にしなかった。主任に報告し、調書必要ないと指示された」

*田村が思い出したことへの調書の取り方も主任検事の指示通りに行ったことなど検事や裁判官の質問に対して答える際、検事席をちらちら見ている証人に、信岡弁護士が、「当時の主任検事が法廷にいるとやりにくいことはないか」と質問。「ありません」と答えた証人であるが、どうであろうか・・・・

 

<11時に終了し、次に牧野よりのり副検事の証人尋問となった>

牧野副検事は、田村、村松、江波戸、北村の取調べを日替わりで行ったこと、その調べの内容は、別の検事が調べた調書を要約して読み上げそれを確認すると言うことが中心であったと言うことが、やり取りでよくわかった。「田村さんについては、6月2日に自分の疑問点は解消されていなかったが、主任検事より供述の範囲で調書をとるように指示されてとった。」

「公印の管理状況については、西田係長と落合係長とから聞きました。」と述べたところで、裁判官より「検察官を見ないで答えるように」と厳しい指示が飛び、それからは、露骨に弁護士のほうを向いて答える姿が少し、滑稽に見えた。

 

*障害者自立支援法

 北村室長から障害者自立支援法の調書をとるように指示があったかという質問に対して「指示はあった。当時の仕事の状況を聞き、国会議員とのかかわりや団体とのかかわりを聞いた。障害者自立支援法についてどういう仕事をしていたのかを聞いた。北村が、自立支援法と言うことを言い出した。平成16年2月当時法案にむけた動きがあった。それへの反対の動きなど、押収した資料を見たり、インターネットで調べたりした」平成17年6月付けの自立支援法をめぐる動きが資料として添付されていることを指摘されて、「平成16年当時は動きのみで資料はなかった」

(これを聞き、私は、役所の仕事の流れではありえないことを言っているなとあきれてしまった)

 

<ここで昼休みになり、午後の再開前に法廷に行くと、入り口で突然ボディチェックと持ち物検査が行われた。今までになかったことできわめて異例。なぜなのかの説明なし。>

 

午後の引き続く尋問でも牧野検事の調書の書き方の厳密でない点などが弁護側から追求され、裁判官からも念押しされた。特に障害者自立支援法の検討状況について16年当時の資料のことが繰り返したずねられたが、当時の資料にはなかったことがより明らかになった。

 

(弘中弁護士が指摘しているが、6月7日から8日にかけて7人の自立支援法に関する調書が一斉に取られている。このことを見ても、主任検事のいや大阪地検の意図的捜査が明らかだと感じた)

 

「平成16年2月、障定協に証明を受けてはと進言し、平成16年3月進捗状況を聞くと障定協と調整中といったので、村木課長に報告したら、上村係長に引き継いでと言われ、上村に引き継がれたので田村は、この件は終わったと思っていた。といったので決裁していないのになぜ終わったと思ったのかと問うた。その時、1回机をたたいた。」机をたたいていったときの言葉は、「ちゃんと説明してほしい」と大きな声で言った。田村は、おびえてはいなかった。

調書の表現が「~など」と書かれている箇所についての質問に対して、はっきりしないことか他にもあるという意味かと問われて、「区別はない。言葉のあや。癖。」ときわめて不正確な表現をしていることも判明。

 

<その後、書面関係のやり取りが行われ、休憩に入った。休憩後、いよいよ、村木さんへの『被告人質問』。村木さんは、がんばってとガッツポーズをする私に「緊張するわ」と一言。>

 

<弘中弁護士から、経歴の確認が行われ、本論に入っていかれた。>

 

*公務員と言う仕事への心構えと仕事のやりがい

弘中弁護士:本件の冒頭陳述で、「国家公務員として誇りを持って取り組んできました」と述べられましたが、その趣旨を説明してください。

村木さん:大学を卒業して国家公務員になるとき、恩師から「公務員は『翻訳者』といわれました。国民のニーズを訳して法や制度にしていくことだと」

弘中弁護士:やりがいは

村木さん:長く携わったのは、女性・障害者・子供のこと。日本の中で遅れている分野であり、やりがいがありました。民間の人たちも運動している分野でその人たちと一緒に応援役として仕事をやる。成果が出れば感謝もされる。信頼にこたえて仕事をすることにやりがいを感じていました。平成9年に労働省の障害者雇用対策課長として始めて障害者問題とかかわった。労働分野は、三者構成で政策を決めていくが、障害者団体という4者構成で政策を決めていくという慣れない分野でした。強く感じたのは、働くということを軸にすれば、障害者もそうでない者も同じと言うこと。働くことは生きること。人としての自立、人間の尊厳の問題として、皆さん熱心に活動されていました。女性労働者と障害者の共通点は、働きたいという気持ち強く、能力高いのに社会的偏見で働けない。似ていると思いました。厚生労働省となって、障害保健部企画課長になったときは、もう一度障害者政策にかかわりたいと思っていたのでうれしかった。平成15年4月から支援費制度が発足したが、初年度から財源不足で行き詰っていた。障害者の方の厚生労働省前の座り込みも続き、やれるだろうか、やらなくちゃという気持ちが強かった。

 

<障害者自立支援法について>

*検察のストーリーは、法案の検討の流れからも成り立たない

村木さん:措置から支援費制度になり、使い勝手がよくなり、需要が多くなった。しかし、財源面の仕組みが弱かった。法には、「補助することが出来る」としかかかれていなかったので、予算の枠内でしかやれない。それ以上は、自治体の持ち出しか、サービスをやめるかしかなかった。予算不足には、省内の他の分野から流用してしのいだ。制度の抜本的改革が必要だと思ったのは、非常に喜んでいただいている制度だが、致命的欠陥がわかってきた。平成16年4月30日に議論を重ねてきた障害者団体の方々に「今後に向けた検討が必要です。みなで考えましょう」という1行の提案をした。その後、介護保険の障害者の活用を8月下旬に審議会障害者部会の提案としてまとめました。それを介護保険の審議会に投げかけました。介護保険の議論がなかなか進まないことと、介護保険ではすべてカバーできないとの議論も出てきて、障害者政策のグランドデザインを障害保健福祉部として10月にまとめました。それは、(1) サービスが自分で選べる (2) 地域で暮らす (3) 働くことを応援する (4) 制度を支えるため利用者負担を導入することで国民全体の負担を行う。財源の一部に介護保険を使うことは当時生きていたが、11月に断念した。それは、介護保険を使わなくても制度が作れると財務省を説得できたから。10月にグランドデザインで制度の骨格、11月に財政の骨格が出来た。障害者関連法は身体・知的・精神と三つの法律に分かれていた。3つの法をそれぞれ改正する方向で議論を進めていたが精神障害者関係が弱くなるとなり、3つをカバーする大きな法をとぎりぎりの段階で「障害者自立支援法」を決断し、平成17年1月からの通常国会に提案することとした。このことは、検察官の取調べの後半のころ丁寧に説明した。私の業務日誌に国会議員への説明内容を書いているので、それを見ながら説明をした。従って、平成16年2月ごろに障害者自立支援法案が出来ていることは、ありえません。考え方が固まり、与野党議員に説明する状況でもありませんでした。グランドデザインについて障害者問題について非常に関心のある先生方に10月ごろにお話をしました。厚生労働省のホームページに審議会の議事録を追ってもらえばすべてわかると思います。

 

<弘中弁護士が、平成15年から16年の企画課長当時の在席状況やスケジュール管理と会議や来客対応の頻度などについて手帳とパソコンに打ち込んだ業務日誌を示し、その内容の説明を求める。村木さんが丁寧に説明する>

村木さん:手帳は、持ち歩いており、其の都度予定が入れば記載。仕事の内容は、A5版のノートに記載。電話の内容も議員からの要請も上司からの指示も同じノートに記載。2年間で50冊くらいになった。別の形で情報を保存するためにパソコンで1日の終わりに大事なことを打ち込んでいた。日付、相手、内容の3欄に整理。データは保存し、ノートは一定期間で捨てていた。名刺は、点字名刺を使っていた。

 

*倉沢さんとはあった記憶も記録もない

村木さん:平成16年2月下旬に企画課で倉沢さんと会った記憶はない。手帳、業務日誌にもその記録はない。平成16年5月下旬に企画課で会った記憶も記載もない。平成16年6月上旬もない。探したが見当たらない。<当時の手帳示され説明される>

<企画課が部の取りまとめの課であり、仕事の流れと部の三つの課と三つの室のレイアウトを示しながら、決裁の流れを説明。>

村木さん:部長以上にあげる社会参加推進室の決裁はすべて企画課長を通ると言うこと。年間200以上の決裁をしているので内容はすべては覚えていない。本件についての決裁の記憶は残っていない。推進室からの相談案件は、室長が課長に持ってくる。係長が直接来ることはない。係長は部内に30人くらいいたので企画課内以外の係長や係員を直接呼んで指示をすることはなかった。何故なら、人の部下を勝手に使うことになる。公印の管理は、総務係長の担当。具体的な管理は承知していないが、係りで起案をし、決裁を受けて、日付と番号をとり、清書分と決裁を持って行き、契印を押して公印を押す。企画課長は決裁までで、公印を押したものを手にすることはない。通常は担当係りから郵送する。通達の扱いもそうだ。

 

<定量第三種郵便について>

村木さん:平成21年以前に制度があることは認識していた。平成17年の郵政国会で民営化議論がされ、制度がなくなるのではないかと心配する相談が来ていた。承認までの手続きについてきちんとした認識はなかった。企画課長名で証明を出すと言う記憶はなかった。障定協についても直接やり取りしたことがなかったので認識がなかった。間補佐とは毎日情報交換をしていた。私は、労働分野出身なので、国会議員との関係もそれまでの付き合いのあった方とは違う方も多かったので、地雷を踏まないよう意識して間さんにはすべて情報を入れていた。上村係長は知っていたが1対1で話をした記憶はない。4月の移動が固まったときに人事より事前の了解を取りたいという話はあった。旧労働省分野で仕事をしていたが、メンタルで薬を飲んでいるが、ホームグラウンドに帰るので大丈夫と思うので了解をということだったので、気にかけていた。自分の厚生省分野での実感と同じようなことを上村さんも感じていたのだと思い気にかけていた。会議室で顔を合わせたことはあったが1対1で声をかけるチャンスはなかった。

 

<議員案件について>

村木さん:石井一議員の名前は知っていたが、話をしたことはなかった。厚生労働省と特別にかかわりのある先生という認識はなかった。手帳、業務日誌にも名前はなかった。

議員案件とは特定の議員から頼まれごとという認識。平成16年2月から6月ころは70件位。特定の政策分野への問い合わせが多く、個別具体的要請は、10件位。補助金の要請に対しては、地元の優先順位を上げてくださいと申し上げた。無理な要請はなかったと思う。不当な要請があったときの対応は、出来ないことははっきり言うこと。へんな希望をもたれないように。

弘中弁護士:違法でもいいからやれということは?

村木さん:一度断ったとき上司に電話があり、上司に私が行くと言って、再度断りに言ったら、先生がいやな顔をして、女性課長とがんがんやるのはいやだと言われたが、どの上司に言われても担当課長は私なので私が来ますと言ったらいやな顔をされそれきりになった。

<逮捕と拘留>*結論ありき=組織としての方針を感じる

村木さん:6月14日に逮捕されました。朝8時半に大阪地検に出頭するように連絡があったので、前日に大阪に入りました。それ以前に随分報道があり、なぜ自分は話を聞かれないのかと思っていたので、逮捕されるのではないかと予感はありました。其の日の朝8時半から遠藤検事の取調べがあり、夕方5時ごろ逮捕されました。取調べの内容は、倉沢からのお願い事はあったか、凛の会のことについて、上司から何を指示されたのか、係長に証明書を作らせたのか、などザクッとしたもので、覚えていない、指示していない、記憶にないと言い、噛み合わない話となった。逮捕を遠藤検事から告げられ、あっけないと思いました。やっていないと言って逮捕されたので不思議な気がしました。逮捕後、手続きについて説明があり、10日間拘留され、1回更新される。20日後起訴が決定されるだろうといわれ、結論が決まってしまっているなら、20日間は、何のためにあるのだろう思いました。遠藤検事から、「私の仕事はあなたの供述を変えさせること」と言われました。これを聞いて組織としての方針を感じました。一体どういうことかと思いました。真相解明は誰がしてくれるのだろうかと思いました。遠藤検事は、丁寧にメモをとっていました。A4の白い紙を束ねたもので、縦書きで2色以上の色を使い分けていました。手帳と業務日誌を見て質問されました。日程で団体へ行った時について東京か地方かを詳しく聞かれて、アリバイのない日を探しておられる印象を受けました。

 

*検事は責任と権限がある独任官と思っていたのに、失望しました。

弘中弁護士:調書について、拒否したものはどういうものですか?

村木さん:10日ぐらいたってから作った調書です。面前口述ではなく、作った調書を持ってきて、それを読んでサインしてほしいといわれました。上村さんや塩田さんの悪口を私が言ったように書かれているので、サインできないとつき返しました。署名を拒否したら「どこが気に入らないのか。立派な否認調書と思いますよ」と言われました。私と別人格の人の調書と思いました。署名できないと再度言うと、「検事の作文です。筆が滑ったところもある」と言われ、自分で作り直されました。まったく言っていない分は消えていたので、最後は署名しました。署名する前に、明日弁護士に相談してからにしてほしいと言いましたが、「明日から人が変わる」と言われ、事実と違うと思うところを直してもらいサインしました。

 明日から検事が変わると言われ、署名しようと思ったのは、逮捕前の取調べで女性事務官が2人交代でついていてくれて、二人ともが遠藤検事は被疑者の言うことを聴いてくれる人とおっしゃっていました。明日からの人とどう違うか賭けのようなものと思い、サインしました。

 でも、サインをする前に、「内容が変わるので」と調書を取り上げて「上司の了解を取る」と部屋を出て行かれました。検事は、独任官として責任と権限があると思って、1対1で必死でやり取りをしたのに、それを持っていかれたので、失望しました。

 

*「罪人になると言うことは30年の公務員としての信用をなくすこと」と悔し涙で訴え

村木さん:検事が、「被疑事実の重さからみて執行猶予がつけば、たいした罪にならない」と10日間の拘留の半分くらいのところで言われました。私は、非常に腹が立ちました。検事のものさしと一般市民のものさしが違うと思いました。(涙ぐんで声を詰まらせる村木さん)私にとっては、罪人になるかどうか、公務員としての30年の信用をなくすかどうかと言うことですと泣いて訴えました。

<ちょうど5時前になったので、弘中弁護士が切がいいので続きは明日に、と言われ、裁判長が閉廷を宣言した。傍聴席では、すすり泣きの声がいくつもあった。席を立ちながら、大したものだとささやいている人も。仕事の誇りを汚されることが耐えれないと、悔し泣きする村木さんの姿は、男女を問わず、仕事に責任と誇りを持っている(持ちたい)すべての人の共感を呼ぶ。>

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