村木厚子さんの裁判を見守り支援する部屋

平成22年2月4日 第4回公判がおこなわれました。

前日に引き続いて倉沢被告に対する証人尋問がありました。

第4回公判 傍聴記 平成22年2月4日
by ナミねぇあい

「厚子さん公判傍聴記 その2。 by ナミねぇ」
後編

第3回 2月3日(水)10:00~17:00 証人:河野・倉沢
第4回 2月4日(木)10:00~17:00 証人:倉沢

2日間の傍聴記を、まとめて書きます。

自分自身の予定では、2月3日のみ傍聴。4日は娘マキの病院で開催される誕生会(マキは2月2日、37歳になりました!)のため欠席と思ってたんやけど、3日の傍聴で「倉沢被告と弁護団の攻防は最後まで聞かねば」という気持ちが強くなり、2日連続で傍聴に出かけました。

 

「厚子さん公判傍聴記 その2。 by ナミねぇ」 前編はこちら

 

開いた口が塞がらないようなやりとりが続く法廷でしたが、最も不可解なのは、倉沢被告が「公的証明書を、村木課長から直接受け取った」という証言を最後まで変えなかったことです。

河野(または、凛の会の黒木か木村)から「証明書ができたそうなので、厚労省に受け取りに行って欲しいと連絡があり、村木課長のところへ行くと、机の上に厚労省の封筒と、その上にB5サイズの証明書が置いてあり、それを村木課長が、ご苦労様といって手渡してくれた」という証言です。

多くの報道関係者や、報道を見聞きした人たちがが「今回の事件は、検察が描いたストーリではないか」と疑いながらも「厚子さん有罪説の根拠」と考えている部分です。

この「受け渡しの場面」について、倉沢被告は非常に詳細に厚労省の部屋の様子(机の配置など)や、その部屋を自分がどのように移動して入退室したかを図面で示してみせました。
それはもう、つい昨日、厚労省に行ったかのような詳細さです。

しかし課長がこのような証明書を直接手渡すことは制度上ありえませんし、またアポもとらずに受け取りに来る人のために証明書を課長が机の上において待機しているというようなことが有りうるというのでしょうか。

そこで弘中弁護士から、誰から取りに行ってと言われたか、それはいつか、そして実際に受け取りに行ったのはいつか、などと聞かれると、聞かれる度に答えが二転三転し、6月上旬といいながら、弘中弁護士が倉沢被告の手帳を見せて、6月1日から一日づつ聞いていくと、倉沢被告は「その日には行っていない。」と答え続けました。

圧巻は、弘中弁護士に「あなたは検察官と、公判について打合せしましたか?」と聞かれ「していません」と倉沢被告が答えると、慌てて検事が「法廷で嘘を言ってはいけません。打合せをしたじゃないですか。」と注意し「あ、そうです。4回打合せしました。」と言い直した場面です。

「なぜ打合せてない、などと嘘をついたんですか?」と聞く弘中弁護士に倉沢被告は「打合せをするのは、悪いことなのではないかと思ったので・・・瞬間的に言ってしまいました。」と答えたのです。
馬脚を現す、というのはこういう場面をいうんですよね!!

こうして、第3回と4回目の公判が終わりました。
合計12時間の傍聴で、メモを取る指がガチガチになってしまったけど、自分自身の目と耳で確認できて本当に良かった、と思いながら帰路につきました。

今日の厚子さんは、グレーのツイードのスーツで、ひっつめ髪はいつもの通りやけど、とても元気そう。
休憩時間に「ナミねぇ、ありがとう!」と話しかけて下さり、嬉しかったです!!(^^)/~

傍聴席はほぼ満席。アトリエinカーブの今中さんも、車いすで来られてました。

次回公判は2月8日(月)10:00開廷です。

(文責:ナミねぇ)

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「2月3日、4日の公判を傍聴して」by あい

2月3日、4日の公判を傍聴して

 

公判の中で、村木さんが無実であるという証拠が着実に積み上げられていくのを、3日、4日の傍聴で確信しました。

国会議員の元私設秘書だった倉沢証人(凛の会元会長)は、取り調べ段階で作られた自身の供述調書の多くの部分が事実と異なっていると証言し、「民主党国会議員からの働きかけがあり、厚生労働省の担当課長が公文書偽造を行った」という検察の作り上げたまことしやかなストーリーはあっけなく崩れました。

なぜそのような間違った内容の調書に署名したのかと問われ、倉沢証人は「逮捕され動揺していた。拘留され不眠症になり、精神的に不安定だった。投げやりになっていた」・・・

さらに、「自分の記憶と違っていても、検察の”お調べ”で関係者が認めていることだと言われて、サインした」「何度も調書が書き換えられ、よく見ていなかった」とも・・・。

まさに、「冤罪はこうして作られる」というお手本のような証言でした。

窮地に陥ったとき、その人間の本質が否応なく現われると思いますが、自身の偽りの供述が罪のない人にまでどんな影響を与えてしまうのかということに考えが及ばず、無責任に嘘をついてしまう人間の弱さ・・・。そしてその弱さにつけ込み、冤罪がつくられたことに強い憤りを覚えます。

 

村木さん起訴の根拠とされたでたらめなストーリーはほとんど崩れたものの、検察側の最後の砦かのように、倉沢証人は、村木さんから公的証明書を受け取ったと述べています。

几帳面な倉沢証人の手帳にも全く記録がなく、証明書を受け取ったという日を特定できず、受け取ったあと、その証明書を凛の会の誰に、どこで、どのように渡したかということもはっきりしない状態でありながら、なぜ村木課長から受け取ったという場面だけは細かく覚えていると証言しているのか? 不思議でなりません。

倉沢証人自身が、いけないことと認識していたという「検察との事前打ち合わせ」でどんなことが話し合われたのでしよう? 

倉沢証人自身の弱さから事件に巻き込んでしまった村木さんに対し、人間としての良心が少しでも残っているなら、せめてものつぐないとして、残された真実をすべて語ってほしいと切に思いました。

 

そして、検察側からの一方的な情報によるマスコミ報道のせいで、多くの人たちは真実を知らされていません。一日も早い無罪判決を待ち望むばかりです。

(文責:あい)

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